すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

漫談芸人やら船長やら

2022年08月06日 | 雑記帳
 『なまけていません』という絵本をこども園で二日続けて読んだ。シリーズもので2冊あったが、こちらは登場人物の会話のやりとりが主の流れだ。下読みをしている時は気づかなかったが、子どもたちの前で語り出すと、無意識に脚色が強くなっていくのか、「この調子、誰かに似てきたなあ」という思いがよぎった。


 ああ、あの浅草の…そうだ「ぴろき」だと思い出す。自虐ギャグのウクレレ漫談。かつて「笑点」に出演したことがあったが、それ以外のお笑い番組にはまず登場しない。数年前の寄席で二度ほど見たことがあり、なんとなく憐れみを伴う親近感を覚えて、売りに来たその場でCDを買ってやった(笑)。憑依されたか。


 同じ日に中学生の職場体験学習があり、最後に「絵本講座」と称して50分ほど、三人の女子中学生を前に語らせてもらった。簡単に絵本の種類のことなどを話しつつ、いくつかの絵本を読み聞かせる形だ。メインは『海の見える丘』(くすのきしげのり)。いつか朗読したいと思っていた作品なので、いい機会となった。



 冒頭の一句「人は、自らの人生を俯瞰するとき、そこに何を見るのでしょうか」の「俯瞰」という語だけは説明を加えた。実は絵本の注釈としては「キャプテン=船長」が唯一あるのだが、そこは触れなくとも進められると判断した。ただ掘り下げると、「船長」という語には深い意味があることを、読了した後に思う。


 人物としてのキャプテンの職業は「画家」だが、存在として「船長」。大海原に乗り出す船の長。それは乗員の行く先を導いてくれる者という意味を持つ。同時に、町全体を大海原と帆船に見立てて描いた意図は、人々が個々の人生の船長であれというメッセージだ。見事な結び。船長だったら憑依されてもいいかな。