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桜と絵本と豆乳と

43歳という境界

2024年10月25日 | 雑記帳
 今年は町の図書館だけでなく、隣市施設も利用している。先日、予約していた本を取りに行ったら、エントランスで除籍されていた月刊誌が並んでいた。一昨年までの分が十数冊揃っていて、誰でも自由に持ち返ることができる。歴史ある雑誌だがあまり馴染みのなかった『中央公論』があったので、手に取ってみた。


 風呂場読書には最適かと思い、2冊頂いてきた。一つは「非・保守という選択肢」と「人生後半戦の作法」という特集が組まれていて興味をもち、それなりに面白かった。なかでも、尾辻参院議長の「気づけば『左』に立っていた」の記事はいわゆる「右」の象徴的存在の氏が「軸のずれ」を指摘していて、目を惹いた。



 一通り見た中で、ぐっと惹き込まれたのは、「連載再開」と銘打った冒険家角幡唯介の文章だった。著書を読んだ記憶があり、検索したら10年以上前だったが、今改めて読み返しても著者の凄さが伝わってくる。この「届かないものについて」と題した文にも、彼の持つ信念、そして歩んだ景色が色濃く出ていた。


 この冒険家は「意味ある遭難死と、無意味な遭難死をわける境界は何歳にあるのだろう」と問いを立てる。自ら「年齢論が好きな私」と書いてはいるが、それを堂々と論じられる経験値は、凡人がたどり着かない境地かもしれない。彼はその年齢を「43歳」とした。それは「遭難死する者がやけに多いから」と記す。


 登山家や冒険家を対象とした詳細データの有無はわからないが、確かに著名な名前が43歳の遭難死者として複数挙げられていた。それは「冒険家の落とし穴的年齢」であり、それ以前つまり三十代の遭難死は、四十代後半以降のそれと比べて深いとし「人生の膨張期と減退期」を区分しながらその意味づけをしていた。

つづく