降雪は少なかったが、大寒の朝はずいぶんと冷えた。買い物に出かけようと車庫で車のエンジンをかけようとしたら、なんとバッテリーがあがっている。何年ぶりだろうか。まだ4年も経たない愛車だが、確かに昨年点検時ディーラーから劣化は指摘されていたのだ。乗車頻度もあるだろうし、少し甘くみていた。
人間の心身も同様、動かしていなければ錆びつく。さて、学校での読み聞かせを始めて6年ほど経つが、自己都合で出向けなかった時は一度もなかった。昨日は複数の事情が重なり、断りの連絡をした。たった一度の機会に過ぎないが、ふと声を子どもたちに届けただろう時間は戻すことはできないのだと改めて気づく。
自分にとって「親」と呼べる最後の人であった、妻の母が一昨日逝去した。若い頃から苦労を重ねた人生だ。しかしそれは、一家を守り歩み続けて、成し遂げたことの多き一生と呼んでいい。個人の時間はそこで終わったが、それは残された者たちへ様々な足跡をくっきり残し、実る樹を与えてくれた。感謝している。
何十年ぶりかに岩波書店のハードカバーを読み出す。『日本文化における時間と空間』(加藤周一)。理解が追いつかないが、ゆっくりとページを開く。第一章では、日本文化における三つの異なる時間が示され、それらが共存していると下記のように結ばれる。今、一つの時間の終末を目にしながら、時は流れている。
(略)始めなく終りない直線=歴史的時間、始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、始めがあり終りがある人生の普遍的時間。そしてその三つの時間のどれもが、「今」に生きることの強調へ向うのである。
人間の心身も同様、動かしていなければ錆びつく。さて、学校での読み聞かせを始めて6年ほど経つが、自己都合で出向けなかった時は一度もなかった。昨日は複数の事情が重なり、断りの連絡をした。たった一度の機会に過ぎないが、ふと声を子どもたちに届けただろう時間は戻すことはできないのだと改めて気づく。
自分にとって「親」と呼べる最後の人であった、妻の母が一昨日逝去した。若い頃から苦労を重ねた人生だ。しかしそれは、一家を守り歩み続けて、成し遂げたことの多き一生と呼んでいい。個人の時間はそこで終わったが、それは残された者たちへ様々な足跡をくっきり残し、実る樹を与えてくれた。感謝している。
何十年ぶりかに岩波書店のハードカバーを読み出す。『日本文化における時間と空間』(加藤周一)。理解が追いつかないが、ゆっくりとページを開く。第一章では、日本文化における三つの異なる時間が示され、それらが共存していると下記のように結ばれる。今、一つの時間の終末を目にしながら、時は流れている。
(略)始めなく終りない直線=歴史的時間、始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、始めがあり終りがある人生の普遍的時間。そしてその三つの時間のどれもが、「今」に生きることの強調へ向うのである。
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