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読書録3~その目線が決める

2025年01月27日 | 読書
 TVニュースで耳にした政治家の発言の違和感がどうしても拭えない。高校の授業料無償化がなった場合に「塾代に充てるなど高額の所得者に対して有利に働くのではないか」という箇所だ。教育の機会均等という点を念頭に置いているのかもしれない。しかしどのレベルの機会均等が肝心なのか。やはり目線は上だ。


 「塾に行くことは有利」…常識には違いないが「有利」の中味はやはり価値観・人生観を反映しているし、それは喧伝されている「多様化」と擦り合わせできていることか。「年収●●●円の壁」問題にしても、どうにも政策提案が小手先じみている。もはや小国の悲哀か。とそんなことを前置きに読書メモを書く。



 『コーヒーカップの耳』(今村欣史 朝日新聞出版)。「阪神沿線 喫茶店『輪』人情話」という副題の通りに、詩人である著者が夫婦で営む喫茶店で見聞きした話を、語った人の口調そのままに構成している。戦前から平成までの実に様々な物語…それらはいずれも、地べたからの目線で「己と人の世」を描いていた




 自分と同齢の「行動人」の著書を手にして、もう半世紀近く経っている。しばらくご無沙汰していたが、知人の感想を見て注文したのが『学校がウソくさい』(藤原和博 朝日新書)。義務教育初の民間人校長となった頃に読んだ内容と、本質的に変わっていない。正直、何年同じことを言っているのか、という印象だ。
 
https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/e02b971ae94f55c5a05b9d74136edf87

https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/0f6efef8af7b72561622b7520f86bd80

 しかしそれは、いかに学校が変わってないかということの証左でもある。もちろんここ20年、半分は現場にいて、変化した事象は数えきれないほどあった。ただ抜本的・構造的な改革が為されたかといえば、それはNOだ。逆説的であるが「教師自身の学び」を尊重しない学校、社会の目線が規制する壁は強固だ。


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