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「登山の誕生」小泉武栄

2010年04月24日 18時42分16秒 | 読書(ノンフィクション)

「登山の誕生」小泉武栄(中公新書)

このブログ、2010,3/13付-『怖い絵』で人間を読む」中野京子で、次のように書いた。
山関連の読書も必要ですね。気が向いたら、ぼちぼち読んでみようか・・・
そこで、とりあえず「登山の誕生」を読んでみた。
いろいろ学ぶことが多かった本である。
(いくつかの疑問も解消した)
次の章から成っている。

第一章・・・好奇心は山へいざなう。
第二章・・・アルプスへの憬れ
第三章・・・山と日本人
第四章・・・日本近代登山の発展
終章・・・現代の登山を考える

いくつか、興味深い点を書き出してみる。

●山岳信仰の始まりを火山系、水分(みくまり)系、葬所系に分けている。P88
火山系・・・火山が噴火し、爆発することに人間が畏怖の念を抱いた
水分系・・・分水嶺すなわち水源の山に対する信仰
葬所系・・・人が死ぬとその霊は高いところに行くという考え

●万葉集での歌P90
磐が根の凝(こご)しき山に入りそめて山なつかしみ出でかてぬかも
・・・(岩だらけの険しい山に入ってくると、山がいとおしくて、もう山から出て行くことができない(♪俺たちゃ町には住めないからに、って感覚?)

●仏教についてP94
釈迦自身はすでに生死を超越し、死後は無、あるいは空になると考えていたから、霊魂や地獄・極楽の存在は認めなかった。また同じ理由から葬儀の必要も認めず、自分自身の墓もつくるなと遺言したほどである。地獄・極楽の思想は明らかにバラモン教に由来しており、釈迦の死後、仏教に取り入れられたものである。釈迦の思想は宗教というよりもむしろ哲学であって、あまりにも高尚であったために、当時のインド社会ではそのままでは受け入れられることは困難であった。

●修験道P110
役小角に始まるとされるそれ以前からの山岳仏教と、新しく伝えられた密教は融合し、修験道として確率していくことになった。修験者とは、もともとは加持祈祷において著しい効験をあらわした密教僧のことを呼んだことばである。なお修験者は山に伏して修行したことから、山伏とも呼ばれる。

●百名山ブームについて著者の危惧と警鐘P208
①オーバーユースと自然破壊の問題
②数字を増やすことに夢中になり、肝心の山をよく見ていない
③「日本百名山」を、金科玉条のごとくありがたがるのは、自立した登山者にふさわしくない
④山に来てまで競争することはない
大半のスポーツでは強い者、早い者ほど尊敬される。しかし、登山は速いことがけっしていいわけではなく、遅いからといって悲観することもない。誰もが自分のペースで山を楽しむことができる。こういうスポーツは珍しいが、それこそが登山の長所といえる。

以上、いかがでしょうか?
特に④に関しては、考えされられた・・・クライミングにも当てはまるから。
(ただし、冬山に於いて「早さ」が「安全」に繋がる場合も有る、為念)
クライミングは自分の年齢、技術、体力等の実力に応じて楽しめる。
また、岩場でのリードがあり、ボルダリングがある。フリーもフェース、スラブ、前傾があり、クラックになると特殊なテクニックを要する。クラックのなかにも、フィンガー、ハンド、オフハンド、フィスト、オフィズス等がある。フリーのマルチもあれば、本チャンもある。ビッグウォールもあり、極地クライミングもある。ジムでの「登り」はクライミング界から見たら、ごく一部であり、クライミングは本来コンペのような競技で優劣を競うものでもない。
上手く登れないからと言って、グレードを気にしすぎるのは良くないし、
多少上手いからと言って、天狗になってはいけない、と自戒の念をこめて書いておこう。
(だから、「ロクスノ」#47、特集「最強クライマーは誰だ!」、ってアオリは好きでない)
最後に、木暮理太郎氏の言葉を引用して、この文章を終わる。

私達が山に登るのは、つまり山が好きだから登るのである。登らないではいられないから登るのである。なぜ山に登るか、好きだから登る。答えは簡単である。しかしこれで十分ではあるまいか。
 登山では志を大にするという。そうであろう。登山は剛健の気性を養うという。そうであろう。その他の曰く何、皆そうであろう。ただ私などは好きだから山に登るというだけで満足する者である。


【ネット上の紹介】
古来ヨーロッパにおいて山は悪魔の棲家として忌み嫌われていた。
一方、日本人にとっては聖地であり、信仰にもとづく登山は古くから行われていた。
だが近代的登山が発祥したのは二百年ほど前のヨーロッパで、楽しみとしての登山が日本で普及するのはそれから百年後の明治末期になってからである。この差はなぜ生まれたのか。
日欧を比較しながら山と人の関わりの変遷をたどり、人々を惹きつけてやまぬ山の魅力の源泉に迫る。


PS
本来、クライミングと山、ってのは不可分な関係のはず。
それが、いつもまにか希薄な関係になってきた。
これからも、(一般の小説を読みながらも)時たまこういった山関係の本を読んでいこうと思う。