「アーネスト・サトウ」古川薫(小峰書店)

伝記であるが、同時に明治維新前後の歴史も描かれているのが魅力。
アーネスト・サトウ氏に関する本はいくつかあるが、この作品がコンパクトで比較的読みやすい、と思う。
逆に、最も詳細な伝記は萩原延壽さんの「遠い崖」(全14巻)でしょう。

また、アーネスト・サトウ氏自身も著作多数著している。
日本各地を訪問されているので、旅行記も書いている。


伝記であるが、同時に明治維新前後の歴史も描かれているのが魅力。
アーネスト・サトウ氏に関する本はいくつかあるが、この作品がコンパクトで比較的読みやすい、と思う。
逆に、最も詳細な伝記は萩原延壽さんの「遠い崖」(全14巻)でしょう。

また、アーネスト・サトウ氏自身も著作多数著している。
日本各地を訪問されているので、旅行記も書いている。



いくつか興味深い話を書いておく。
サトウは武田兼(たけだ・かね)という日本人女性と結婚した。
サトウ28歳、兼18歳のとき。
(ただし、内縁関係で、公の席には出ていない、という)
子どもも生まれて、長女、長男、次男。
次男は植物学者になり、尾瀬の自然保護につとめた。
また、小島烏水らと日本山岳会を設立。
(こんなことろで、日本登山史に影響を与えてたんですね)
さて、アーネスト・サトウは日本に兼を残して、英国に戻る。
兼との書簡は多数残されているらしいが、最後の手紙には、冒頭ローマ字で
KOISIKI OKANESAN(恋しきお兼さん)と書いてあった。
では、どうして正式に結婚しなかったのか?
当時の欧米人は、日本に来て「現地妻」と事実上夫婦生活をおくり、子どもをもうけながら、家族を捨てて帰国する。
よくある話である。
プッチーニのオペラ「蝶々夫人」が有名。
サトウもそれに倣ったのだろうか?
でも、ピンカートンよりマシ。
→ピンカートン私立探偵社とピンカートン海軍中尉(世界史レッスン第101回)
PS
それでは、日本人・小泉節子と正式に結婚したラフカディオ・ハーンはエライ、って事になる。
でもこれは、性格の違いと同時に、役人と民間人の違いもある・・・かな。