百醜千拙草

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30年前の思い出

2007-08-17 | 音楽
多くのアメリカ人にとって今年の8月16日はやや特別なようです。ちょうど30年前にエルビスプレスリーが死んだのでした。今年の命日は例年に増して多くの人がメンフィスのグレースランドを訪れています。興味深いことにその多くの人はプレスリーをリアルタイムで知らない比較的若い世代の人らしいです。私もなぜかプレスリーが死んだ日のことはよく覚えています。当時は子供でしたからまだ音楽にそれほど興味もなく、ロック音楽とはどんなものかさえよく知りませんでした。プレスリーの死が報道される前の晩、たまたま自宅のレコード置き場に父親が昔買ったのであろうエルビスのLPを見つけたのでした。子供ながらエルビスプレスリーの名前ぐらいは知っていましたので、興味本位で針を落としてみたのでした。ですから私が初めてエルビスの歌を聞いた翌朝、テレビでエルビスの死亡を報道しているのを聞いたときはとてもびっくりしました。ひょっとしたら私がレコードを聞いていたちょうどその頃に死んだのかも知れません。もっとも悪名高いエルビスのマネージャー、トムパーカーが、エルビス死亡のニュースの隠蔽工作をしたという話もあるので、私がエルビス死亡のニュースを聞いたのが、本当に彼の死亡した直後であったのかどうかちょっと定かではありません。実はこのレコードは1968年にエルビスが長らくぶりにテレビに出演したときのライブ版だったのでした。トムパーカーは60年代に映画会社と長期の契約を結び、エルビスをハリウッドに釘付けにしてしまいます。エルビス自身も「だだで見られるテレビに出たのでは、お金を払って映画を見に来てくれるファンに悪い」などと発言し、テレビの出演を長らく行っていなかったのでした。その間、歌手活動は低迷し大きなヒットも出ませんでした。どういう経緯か知りませんが、エルビスのテレビ再出演が実現することになり、これは相当なインパクトをもってアメリカ国民に受け取られたようです。68年のNBCの1時間にわたる特別番組、「ELVIS ON STAGE」は、瞬間最高72%という驚異的な視聴率を叩き出し、一瞬にしてエルビス神話が復活しました。このライブレコードの日本語版のライナーノーツの一つは湯川れい子さんが書いていて、そのタイトルが「エルビスは生きていた!」というものだったように覚えています。レコードは、トラブル、ギターマン、ハウンドドッグ、監獄ロック、ラブミーテンダーなどなどのヒット曲からなっていましたが、当時子供だった私が知っていたのはラブミーテンダーだけでした。子供だったので、バラード曲を除いて、ロックンロール、R&Bやゴスペル調の曲はいいとも思えず、レコードを聞いている間に寝てしまったのを覚えています。その後は折りにふれ、このレコードを聞きました。クリスマス曲のブルークリスマス、バラードのメモリーズはお気に入りになりました。クリスマスシーズンの日本ではビングクロスビーのホワイトクリスマスが定番ですが、私のクリスマスソングはブルークリスマスでした。大きくなるにつれ、エルビスの他の曲にも親しむようになりましたが、中学の頃はビートルズとかもっとコンテンポラリーなロック、ポップス、高校になってからはジャズ、大学では主にソウルミュージックと興味が移っていったので、余り音楽そのものを聞かなくなった10年前ぐらいまではエルビスの曲を聞くこともありませんでした。皮肉なことに音楽から興味がうすれてきてから、おりおりにラジオなどで聞こえてくるエルビスの曲を耳にする機会が相対的に増えてきたようです。没後30年に因んで、エルビスの娘のリサマリーが、録画した父親とデュエットをするらしいです。数年前、ナットキングコールの娘ナタリーが同じような技術を使って亡き父デュエットしたレコードがヒットしたのを思い出します。私はリサマリーの歌は聞いたことがないので彼女がナタリーコール並みに歌えるのかどうか知りません。
エルビス死亡のニュースは、マイルスデイビスが復帰した日のように、映像つきで昨日のことのように覚えているのですが、それがもう30年も前のことだったのかと思うと、まるで邯鄲の夢のような目眩を覚えるのでした。
コメント (1)
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