百醜千拙草

何とかやっています

司法が科学界に振るう暴力

2008-03-14 | 研究
論文のピアレビューというのは、研究の世界ではなくてはならないボランティア活動です。一つの論文のレビューに最低でも2-3時間は普通かかると思いますが、殆どの場合これは無償の労働です。私はどちらにせよ、通勤中に読むものが必要なので、それほどレビューを負担に思ったことはありませんが、それでも忙しい時にやってくるレビューの依頼は、どうしてもしなければならないもの以外は断ってしまいます。私でさえこんな調子ですから、もっと偉い人々はもっと多くの数のレビューの依頼があって、多くの依頼は断られ、適当なレビューアを探してエディターは苦労することになるのでしょう。論文にせよグラントにせよ、ピアレビューというボランティアをそれでも引き受けるのは、持ちつ持たれつだと思っているからです。ですから、時間を割いてレビューした論文のできがひどいとやはりちょっとムッとします。逆によい論文だと、面白い論文を読ませてもらえてよかったと思います。私の場合は「誰が」論文を書いたかという点はレビューにはほとんど影響しませんが、一般論として、どこから出た論文かということがレビューに大きく影響する可能性は勿論あると思います。これまで実績のある有名な研究室からの論文は、読む方もある意味、安心して論文を読みますし、そのために問題点を見落としたり、甘い点になったりするでしょう。また、知り合いの研究者であれば、好意的な点をつけてあげようと思ったりもするでしょう。逆に知らない無名の人が、妙にスゴいデータを出していたりしたら、レビューはより厳しい目で見られると思います。一般的に論文の質は研究者の過去の実績とかなり相関しますから、レビューアがこうした先入観を持つのはやむを得ないと思います。
 以前からレビューでのこうした先入観を排除するために、レビューをDouble Blindにしたらどうかという意見があります。賛否両論あります。もっとも多い反対(?)の理由は、名前を伏せたところで、この狭い研究者の世界でアイデンティティーを隠すことはできず、誰が書いた論文かはどうせ簡単にわかってしまうということのようです。10年前、実際に調べた結果では、名前を伏せても40%の論文で著者を正しく推測することが可能であったそうです。しかし、これは駆け出しの無名の研究者にはあてはまらないと思います。また実際にDouble blind reviewをやってみて、掲載論文の質が向上するかどうか見てみてもよいのではないかという賛成意見もあります。著者がレビューアに分かっている場合は有名研究室は有利になると思われますが、トップクラスのジャーナルがDouble Blind reviewに消極的なのは、そうした有名研究者からの圧力があるのではないかと推測する人もいます。いずれにせよ、論文レビューという研究業界にとって欠かす事のできないボランティアワークを如何にそのintegrityを保ちながらも効率よくしていくかというは重要な問題ではあります。
 さて、製薬会社のMerckが関節炎治療薬、Vioxxの副作用のために膨大な数の訴訟をおこされ、最終的に総額$4.8 billionという金額で和解に至ったのは、つい最近のことです。Vioxxと同じCOX2阻害薬は、あと二つ市場に出ていて、いずれも世界最大の製薬会社、PfizerがCelebrexとBextraという商品名で出しました。Vioxxの問題を受けてBextraは市場から撤回されたのですが、Celebrexは未だに臨床で使用されています。当然、Vioxxでみられたような副作用がCelebrexやBextra使用患者で現れた場合があって、訴訟になってます。これらの薬剤の臨床研究の論文の多くが、権威ある臨床医学雑誌、New England Journal of Medicien (NEJM)に発表されているのですが、 Pfizerの弁護団はNEJMでこれらの論文掲載へいたった経過を調べれば、CelebrexやBextraの安全性を示す証拠となるデータなどが見つかるのではないかと考え、 NEJMに情報公開を交渉してきました。NEJM側は、論文の著者とEditorial Officeとのやり取りだけを含む合計246ページの文書を提供しました。Pfizerはさらにピアレビューの内容と他に投稿された関連論文をNEJMに提供するように求めたのですが、NEJM側は拒否、結局、Pfizerは法的機関に訴えてNEJM側に論文レビューのプロセスを開示するように求めました。つまり、Pfizerの弁護団はNEJMのような雑誌は他にもCelebrexやBextraと副作用との因果性を否定するような論文を受け取っている筈だし、また論文のレビューの中にもPfizerの主張を裏付ける様な記述があるかもしれないと考えているのです。この弁護団の要求は、Pfizerにとって都合の良い裁判材料を手に入れるためには、Confidentialであることを大前提に成り立っている科学論文出版のプロセスの原則など知った事かという傍若無人なものであると思います。更にPfizerの弁護団は、「一般人は科学雑誌の編集システムの保護などよりも、薬害についての知識を明らかにして欲しい筈だ」という暴論を吐いています。対して、NEJMのeditor-in ChiefのDrazenは、もしConfidentialであることが大原則のピアレビュー、科学雑誌編集で、情報開示が裁判で認められたりしたら、これは科学論文出版でなくてはならないピアレビュープロセスに重大な悪影響を及ぼすであろうとコメントしています。レビューアにとっては彼らの研究時間をわざわざ割いて行ったボランティアの仕事のために、へたをすると裁判のごたごたにまきこまれしまう危険性があるとなれば、ただでさえできたら断りたい論文レビューなのですから、レビューの依頼を受けないという人は増えるでしょう。いわば「善意」のボランティアで成り立っている科学雑誌編集に、基本的に裁判当事者と弁護士の「利益」を求めて動く裁判関係者が侵入してきたら、自由な科学的議論さえ妨げられてしまうであろうと私も思います。彼らにとっては挙げ足取りは答弁上の正当なテクニックなのですから。サイエンス誌のChief editorのDon Kennedyは、「ひょっとしたらPfizerに有利な情報が見つかるかもしれないからとにかく見せろ」というPfizerの態度を、悪い科学研究に例えて、(仮説の欠如した)「fishing expedition」であると酷評しています。その他にも、前NEJM editor, Angellを含む複数の科学者、科学雑誌編集者たちは、今回のPfizerの動きに対して、ピアレビューシステムに依存している科学論文出版のシステムを台無しにする暴挙であると不快感をあらわにしています。いずれにせよ、もしPfizerの主張が通れば、科学界全体が大きな痛手を被ることになりそうです。科学の世界に司法が自分たちの理屈を並べ立てて土足で踏み込むようなまねをするのは、善意で支えられているピアレビューシステムにボランティア参加してきた研究者にとってはきわめて不快に感じられます。 「虎とガラガラヘビと弁護士といっしょに閉じ込められた、弾丸は二発、誰を射つか? 答え、弁護士を2度射て」という弁護士ジョークがありますが、ルールの抜け穴を利用して世間の人が納得できないような理屈を通そうとする弁護法というのはちょっと社会の害だと思います。
 判決は本日の予定ですが、どうなるでしょうか。
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