百醜千拙草

何とかやっています

ウチのダンナ

2008-08-19 | Weblog
英語圏では配偶者のことを他人に話す時、普通、固有名詞を使うと思います。一方、日本では、普段ファーストネームを使わないこともあるでしょうが、「私の妻」、「私の夫」とかいうように普通名詞に限定をかけて呼ぶのが普通ではないでしょうか。この間、私の妻が友人と電話でしゃべっているのが聞こえてきた時、私のことを「ウチのダンナ」と呼んでいるのを小耳にはさみました。多分、「ウチのダンナ」というのは、最近ではごく一般的な「夫」の呼び方ではないかと思うのですが、私の妻は、私に向かっては「お宅」と呼びます。「ダンナ(様)」などと呼んでもらったことはありません。
「旦那」と言えば、歌舞伎の勧進帳で、富樫が勧進の施主となり、弁慶一行への非礼を詫びるため、弁慶に酒を振る舞う場面で次の様な下りがあります。

富樫 さてもそれがし、山伏達に卒爾申し、余り面目もなく覚え、粗酒一つ進ぜんと持参せり。いでいで杯参らせん。

弁慶 あな、有難の大檀那、ご馳走頂戴つかまつらん。

この檀那(旦那)は、主人でも偉い人というような意味でもなく、本来の梵語のダーナ(dâna)(布施、施し、施主)そのものの意味であろうと思われます。ダーナは、ヨーロッパへ伝わって、英語でのDonor, Donation の語源になったと言われていますから、旦那である夫は(家族に?)布施をするドナーということなのでしょうか。
 それで、英語のDonorの起源をもうちょっと調べてみると、Donorはそもそもラテン語のDonereに由来、さらにDonereはインドヨーロッパ語のDonに由来し、Donはサンスクリット語でDanに対応するということでした。英語のDonorの語源がインドの言葉というようりは、インド-ヨーロッパの共通の言語からサンスクリット語とラテン語が枝分かれしたということで、結果、それをインドから中国を通じて取り込んだ日本語と英語に同様の音の言葉が残ったということのようです。
 そう納得していたら、面白いサイトを見つけました。「カインをぶら下げている日本人」というサイトで、日本人と日本語の起源をイスラエル近辺に求めた仮説をあげてあるのですが、そのうちに一章に「檀那さんのルーツ」として、次のような説をあげてあります。旧約聖書に現れる話だそうですが、ダン(Dan)族という土地を持たないイスラエルの部族が、ライシという町を狙い、町の人を殺し、町を奪って、ダンという名前に変えたそうです。その後、ダン族はパレスティナを捨てて東へ移動しネパールに新たにダンの村を作って住み着いたそうです。そのダン族から仏教がでたという説が紹介されています。「ダンの」という所有格がダーナということらしいです。古い仏教の遺跡がイスラエルと同じ尺度で作られていると書いてあり、仏教はもともとイスラエルの民の子孫がおこしたものであるとあります。仏教の起源がイスラエルの民ダン族で、ダーナはその所有格といであるという、本当ならなかなか興味深い話ですが、それではどうしてダーナが「布施をする」という意味になったのかはわかりません。また、ダンナの語源は、ラテン語ではDonで、そのサンスクリット変化がDanということなので、イスラエルの部族名が語源となっているのなら、その部族名はダン族ではなく、ドン族でなければならないような気がします。というわけで、ダン族説はちょっと説得性に欠けるのではないかと思われます。
 誰からもダンナさまと呼んでもらったことがない私としては、関係ない話ではあります。「旦那様」でなくてもよいから、妻には「お宅」ではなく、たまには「わが君」とか「殿」とか呼んでもらうと、家庭でのサービスがアップすると思います。
コメント
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