ハイインパクト雑誌のコンスタントに論文を出している研究室と、そうでない研究室という格差が歴然としてあります。私のいる講座は、ちょうどその間ぐらいのレベルかと思います。現在の医学の基礎研究において、どうやれば、ハイインパクト雑誌に載る可能性が高まるかというのは、比較的はっきりしてます。これはマウスの遺伝子ノックアウトの技術が開発されて、マウスでの知見がゴールドスタンダードとなったという認識が広がったため、雑誌のエディター、レビューアが、マウスのデータがなによりも重要であるという価値基準で論文を見るようになったからです。私の分野である哺乳類骨格系は、動物の中にしか存在しませんから、培養細胞での知見は常に本当に生理的な環境で意味があるのかという疑問は昔から常にありました。容易にマウスでの遺伝子操作ができなかった時代はともかく、現在では、この分野でハイインパクトの論文を出すには、マウスなしではまず無理です。マウスが他のゼブラフィッシュやチキンやラットやその他の動物に比べて、如何に優れた実験動物であるかは、あらためて述べるまでもありません。哺乳類の実験生物学をやっているものにとっては、マウスは神様が実験用に作ってくれたとしか思えないほど、素晴らしいモデル動物だと思います。ですので、マウスの系が動いていない医科学の研究室は、ハイインパクト雑誌に論文を載せるのはそれだけで困難になります。マウスはお金さえだせば、技術が汎用化していますから、誰でもできます。(そのお金が問題ではありますが)一方、限られた所にしかない貴重なリソースを利用することで、ハイインパクトな論文を出しているところもあります。この間、エレベータで一緒になった知り合いと、Nature系の雑誌に出た彼の論文についての話になりました。彼はヒトの遺伝学をやっていて、いわゆるHapMapで病気と関連する遺伝子変異や遺伝子多型を研究しているのですが、彼の研究は、数多くのヒトの遺伝情報と疾患情報という非常に貴重なリソースに依存しています。臨床医でもある彼は非常に優秀な頭脳の持ち主なのですが、自分の研究に関しては、「やっていることは皆同じで、バカでもできる」と言います。要するに、ヒト遺伝学での解析方法というのは、十分確立されているので、解析するためのサンプルさえあれば、ほぼ、自動的に答えが出るということなのです。ですので、この研究のもっとも困難なところは、解析ではなく、解析するためのサンプルを集めるという所です。いかに良いサンプルを集めるかが最も大切なところで、サンプルが不十分だと意味のある結論がでません。結果を十分に得ることができるようなよいサンプルを集めることができれば、サンプルが極めて貴重なものであるゆえに、結果も貴重であって、論文も高く評価されるのです。そういう目で眺めてみると、90%以上のハイインパクト雑誌に載っている論文というのは、そういう利用可能なリソースやシステムの有無に依存しており、まあ誰がやっても同じだろうというものが多いです。事実そうした有名研究室のリソースを使ってハイインパクト雑誌に論文を出して、独立していった人が、独立後そのシステムを使えなくなってしまい、鳴かず飛ばずになるというのもよく見聞きする話です。最近の生物科学論文では、天才的ひらめきによって、するどい仮説と検証法をあみだしてそれを証明する、というような教科書にのっているような科学の発見など、めったにないと思います。つまり、何が言いたいのかというと、殆どの科学研究で、個人の抜きん出た才能みたいなものは必要ない。実際、この世界に本当に優秀な人というのはめったに居なくて、有名雑誌に多くの論文を持っている人でも、そうでない人でも、人間の能力の差というのはそう大したものではないということです。研究の発表を聞いていると優秀な人とそうでない人というのはよくわかります。しかし、その優秀さというのは、話がうまいとか、質問に答える力があるとか、ちょっと深くものを知っているとか、早く理解できるとか、そういった(トレーニングすれば、誰でもある程度は得られる)表に見える優秀さで、そんなものは、研究そのものには、まず役立ちません(奨学金や研究費をとってきたり、就職活動などには効果があるでしょう)。ですので、現実に研究に差がでてくる最も大きな要因は、研究室やプロジェクトをどう選ぶかという所と、どれだけ一生懸命やれるかということではないでしょうか。当たり前ながら、竹槍でB29は撃ち落とせません。竹槍しかないところではいくら一生懸命がんばっても、頑張りは報われないでしょう。逆に最新の設備とリソースがありながら、それを活かす努力しないために論文がでない場合もあります。研究に必要な才能とは、ちょっと遠くから研究現場を客観的に見れること、と、いったんやりだしたらあきらめずに頑張れるバカさ加減を持ち合わせているかという点ではないかと思ったりします。
こうしてこの業界が研究システムという点でどんどん画一化してくると、個人の「技」の見せ所は、無くなってきます。例えば、昔はいた名医という人が今ではいなくなったのと同じで、天才科学者もいなくなりました。システムの技術が進歩して、最先端の研究が誰でもできるようになってきたからだと思います。診断技術が未熟だった頃、原因不明の病気にかかった患者を診断できるのは、豊富な知識と経験と深い洞察眼を備えた名医でした。今は「なになに診断セット」とかの検査セットを何も考えずに出して、最新機器で画像診断すれば、研修医の一日目でもすぐに正しい診断にたどり着いたりします。逆に最新検査法を備えた病院から一歩でると、殆どの医者は全く無力です。研究も研究システムの技術に依存する部分が余りに高くなってきたために、多くの場合で研究者の研究能力の重要性は相対的に落ちてきたように思います。少なくとも、知識についてはインターネットで誰でも簡単に手に入るようになったので、ものを知っていること自体は、余り価値がありません。経験についても実験がキット化、マニュアル化されて、誰でも実験できるようになりました。そんな中で持たざる研究室で働く中堅研究員はどのように生き残り、かつ価値の高い研究を遂行していくのか、なかなか厳しいものがあるように思います。
昔のように、みかん箱を机にして、手作りの実験道具でオリジナルな研究をするというような理想郷は消え去ってしまったようです。
こうしてこの業界が研究システムという点でどんどん画一化してくると、個人の「技」の見せ所は、無くなってきます。例えば、昔はいた名医という人が今ではいなくなったのと同じで、天才科学者もいなくなりました。システムの技術が進歩して、最先端の研究が誰でもできるようになってきたからだと思います。診断技術が未熟だった頃、原因不明の病気にかかった患者を診断できるのは、豊富な知識と経験と深い洞察眼を備えた名医でした。今は「なになに診断セット」とかの検査セットを何も考えずに出して、最新機器で画像診断すれば、研修医の一日目でもすぐに正しい診断にたどり着いたりします。逆に最新検査法を備えた病院から一歩でると、殆どの医者は全く無力です。研究も研究システムの技術に依存する部分が余りに高くなってきたために、多くの場合で研究者の研究能力の重要性は相対的に落ちてきたように思います。少なくとも、知識についてはインターネットで誰でも簡単に手に入るようになったので、ものを知っていること自体は、余り価値がありません。経験についても実験がキット化、マニュアル化されて、誰でも実験できるようになりました。そんな中で持たざる研究室で働く中堅研究員はどのように生き残り、かつ価値の高い研究を遂行していくのか、なかなか厳しいものがあるように思います。
昔のように、みかん箱を机にして、手作りの実験道具でオリジナルな研究をするというような理想郷は消え去ってしまったようです。