週末の「内田樹の研究室」で40年前の学生運動とは何であったのかという解釈が試みられていました。簡単には、第二次世界大戦の敗戦当時、日本を神の国であると教育された少年が、アメリカの属国となることを選んだ日本の「恥辱」を忘れ得ず、「果たされなかった本土決戦」の代替として起こした運動であるという説のようです。また「新左翼の学生運動というのは、幕末の『攘夷運動』の3度目のアヴァターである」とあります。確かに当時の学生運動は、幕末の江戸の彰義隊や京都の新撰組と重なるものがあります。振り返ってみれば、歴史の必然の流れを受入れられない若者たちの、理想(あるいは正義)が現実に押しつぶされていくことへの勝算のない抵抗であったと考えることもできると思います。大人にとっては彰義隊にせよ、学生運動にせよ、迷惑なものだったでしょう。
遠くから眺めていると、イスラエルとパレスティナの戦争にも同様のものが見えます。戦争はどちらに義があるという問題ではなく、勝ったものが正しいという性質のものなのですから、「正義」は、相手をやっつけるための口実に過ぎません。正義が踏みにじられたから、あるいは何かを守るためとか、戦争の理由が声高く叫ばれ戦争の正当性を人は言うのですが、私にとっては「戦争という行為は理由に関わり無く絶対悪。以上終わり」です。
学生運動から戦争に話が流れてしまったので、戦争についてもう少し直接的な仮想例を考えてみたいと思います。例えばロシア(ロシアでなくてもよいのですが)が理由無く攻めてきて、日本を植民地にしようとしたらどうするか、ということを考えてみます。このような、数十年前だったら(あるいは近未来にも)十分ありうるシナリオに対して、日本は自国を守れるようにちゃんと戦える軍隊を持たねばならないという意見は尤もだと思います。とりわけ自衛隊で働く人が「自衛のために戦う」ということを彼らの仕事であると考えているのだとしたら、自衛隊内からもこういう意見が出るのは頷けます。しかし、軍隊は、破壊し殺すためのもので、言ってみれば、軍隊はそれを使うものを侵す麻薬のようなものとも言えます。軍隊を持たないわけにはいかないでしょうから、軍隊は麻薬と同様に、厳しい管理下に置いて、その使用には社会が強い制限を加えておく必要があります。軍隊の力の行使は戦争であり、「戦争は絶対悪」と私は思っていますから、軍隊は持っても、軍隊がその力を使うようなことがないようにしないとなりません。その点、たとえ元々、アメリカに押し付けられたものにせよ、憲法九条があることは日本にとって幸いであったと思います。つまり、思うに、「国を守るために戦う」というのは本来、自衛隊の本務ではない、即ち、自衛隊が「国を守る」ためにあるという点は正しいが、自衛隊は「戦う」ためにあるのではない、ということです。そのことが、自衛隊幹部にも十分認知されていないということではないのかと思うのです。それでは、もし本当にどこかの国が攻めてきたらどうするか、アメリカがイラクにしたように、他国が日本に力ずくで侵入してきて、われわれの街を破壊し住人を殺し始めたらどうするか、私なら、「戦争は絶対悪」という立場なので、難民となって逃げると思います。自衛隊は建前上、戦わないわけには行きませんが、侵攻された時点で既に勝てる見込みはありませんから、国民を逃がすという目的のための時間稼ぎという形にならざるを得ないでしょう。私は子供のときは仮面ライダーを欠かさず見ていましたし、正義感が強く、正義は勝つと信じていましたので、二十年前なら、うっかり、皇国の興亡をかけて戦う、とでも言ったかも知れません。今は、それはやってはいかんと思います。右の頬を打たれれば、打ち返さずに逃げる、それが君子の作戦と思います。敵は既に勝算を持っているからこそ侵攻してくるわけで、他国の侵略にあった時点で、日本は既に戦って勝てる見込みはないと考えられます。つまり、日本が軍隊を持つ意味というのは、侵略を牽制するという一点に全てがあり、故に、その軍隊は実際に力を行使することを想定はして形成されるものの、行使しないことを目的にすると言えます。
幕末の攘夷運動にせよ、パレスティナ問題にせよ、そもそも戦争を問題解決の手段と考えているらしいことがおかしいと私は思います。ここまでこじれて感情的になっていれば、逆ではないでしょうか。戦争のために理由がいる、むしろ、そんな感じがします。
「正義」という頭の中にしかない「幻影(または理想)」は人を扇動したり説得したりする道具であって、それによって正当化される殺人という「現実の行為」は絶対悪です。こうしたこじれた関係にどんな形の解決があるか考えて見ますと、私は、イスラエル、パレスティナ問題にしても(あるいは、ロシア、コーカサス地方の紛争にしても)、解決法に「両者が仲良く共存する」という答えは無いと思います。しかし、共存することは解決に必須です。ここから導き出される答えは、「仲悪く共存する」しかありません。ある意味、これは問題の解決ではなく、問題の先送りに過ぎないのですが、これで均衡が保たれるのなら、問題を永遠に先送りし続けるというのは、解決法と言ってもよいと思います。戦争は絶対悪ですからできません。ですから、始終、顔をつきあわせて口喧嘩はするが、絶対手は出さない、というルールを厳しく適用するのが最善であろうと思います。国連に実行力がない以上、アメリカは、自国の利益の追求のために他国を利用するという態度を率先して放棄し、イスラエル、パレスティナの停戦管理をするべきであると思います。これは、ブッシュには絶対できないことですが、オバマなら可能かもしれません。
学生運動に話を戻しますと、学生運動の波に巻き込まれて、例えば、東大入試が中止になったりして、人生の計画が狂ったりした世代というのは、私よりは20年ほど上の世代です。それでも、私が大学生の頃、とっくの昔に下火になっていましたが、学生運動はまだそれなりにありました。ヘルメットをかぶってゲバ棒をもった集団が授業の最中に校庭を行進するのを何度か見たこともあります。当時、私の母校の本学の大学自治会は確か、民主青年同盟(民青)と呼ばれた共産党の下部組織だったように思います。一方医学部自治会は社会党関連だったように思います。当時の学生運動は、血気盛んな若者がエネルギーを持て余し、何となく影響されてよくわけもわからず、クラブ活動感覚でデモに参加していたというのが実情なのだと思います。大学や大学寮の自治会には当時でも、洗脳部隊がいて右も左もわからない新入生にウケウリの理想論を吹き込んで「オルグ」してしようとしていました。普通のノンポリ学生はそうしたうさん臭いところには近寄らず、楽しく学生生活を送ることに集中するので、いっそう、そんな活動家集団は孤立した異常な少数の人々とみなされていたように思います。同じ共産系の組織から分裂した中核派と革命的マルクス主義者同盟との内ゲバ抗争が激しかったころのことは、私は勿論知らないのですが、大学時代にはそれでも、その抗争の痕を示す張り紙などが電柱とかに残っていて、私が「殲滅」という漢字を覚えたのは、そんな過激派のアジ広告からでした。学生活動家が闇討ちにあって殺されたりしていましたが、誤った思想を広めて害をなす者を殺す事は正しいことであると心から信じていた様子でしたから、今から思えば、オウム心理教信者と同様の精神構造であったのでしょう。「正義や理想」を買いかぶり過ぎていたということでしょう。私は自治会と名のつくところには深く関わったわけではありませんが、友人の何人かは社会、共産思想に基づいて多少の活動をしていましたので、野次馬気分でデモに参加したこともあります。いわゆる団交でしたが、何の交渉であったのか忘れました。多分、授業料やカリキュラムのことだったのでしょう。大学の学長室まで押し掛けて、学長に向かって怒鳴ったり、自己批判しろとか、どうとか叫んでいるのを遠目にみていた記憶があります。学生が暴徒となると厄介なので、大学側も警察や機動隊に連絡するわけですが、デモ学生がうっかりつかまって前科者になると教員資格を取れなくなるとかで、教育学部の学生を優先的に逃がすためのドリルとかまであって、野次馬には物珍しい行楽なのでした。体制を批判し、大学の学長室に無理に押し入って自己批判とか言ってる大学生が卒業したら教員免許を取って学校の先生になるというのです。その辺の自己矛盾からしても、学生運動が、かつての「理想に殉死する」というような悲愴なものではなくて、学生時代の課外活動的な「学生運動ごっこ」に過ぎなくなっていたということなのでしょう。私はある意味、そんな学生運動ごっこは健康的なものだと思っています。ワクチン接種は、病気にならないように、わざと毒を落とした病原菌を接種するわけです。学生運動ごっこでも何でも、年をとってから「俺たちが若いころは、無茶やったもんだよー」とお茶をすすりながらいえる程度の経験をしておく事は、本当の無茶、例えば、日本赤軍とかオウムのサリンとか自爆テロとか、までに行ってしまう危険を防ぐのではないかと思ったりします。(その相手をさせられる大人は良い迷惑でしょうけれど)
歴史は繰り返すと言います。40年前の学生運動の再燃は、近々、起こり得ると思います。社会の不満が募ると、若者たちは、それをエネルギーのはけ口に利用しようとするからです。またそんな時に必ず出てくる、食い詰めた人たちを利用しようとする扇動者には気をつけなければなりません。
遠くから眺めていると、イスラエルとパレスティナの戦争にも同様のものが見えます。戦争はどちらに義があるという問題ではなく、勝ったものが正しいという性質のものなのですから、「正義」は、相手をやっつけるための口実に過ぎません。正義が踏みにじられたから、あるいは何かを守るためとか、戦争の理由が声高く叫ばれ戦争の正当性を人は言うのですが、私にとっては「戦争という行為は理由に関わり無く絶対悪。以上終わり」です。
学生運動から戦争に話が流れてしまったので、戦争についてもう少し直接的な仮想例を考えてみたいと思います。例えばロシア(ロシアでなくてもよいのですが)が理由無く攻めてきて、日本を植民地にしようとしたらどうするか、ということを考えてみます。このような、数十年前だったら(あるいは近未来にも)十分ありうるシナリオに対して、日本は自国を守れるようにちゃんと戦える軍隊を持たねばならないという意見は尤もだと思います。とりわけ自衛隊で働く人が「自衛のために戦う」ということを彼らの仕事であると考えているのだとしたら、自衛隊内からもこういう意見が出るのは頷けます。しかし、軍隊は、破壊し殺すためのもので、言ってみれば、軍隊はそれを使うものを侵す麻薬のようなものとも言えます。軍隊を持たないわけにはいかないでしょうから、軍隊は麻薬と同様に、厳しい管理下に置いて、その使用には社会が強い制限を加えておく必要があります。軍隊の力の行使は戦争であり、「戦争は絶対悪」と私は思っていますから、軍隊は持っても、軍隊がその力を使うようなことがないようにしないとなりません。その点、たとえ元々、アメリカに押し付けられたものにせよ、憲法九条があることは日本にとって幸いであったと思います。つまり、思うに、「国を守るために戦う」というのは本来、自衛隊の本務ではない、即ち、自衛隊が「国を守る」ためにあるという点は正しいが、自衛隊は「戦う」ためにあるのではない、ということです。そのことが、自衛隊幹部にも十分認知されていないということではないのかと思うのです。それでは、もし本当にどこかの国が攻めてきたらどうするか、アメリカがイラクにしたように、他国が日本に力ずくで侵入してきて、われわれの街を破壊し住人を殺し始めたらどうするか、私なら、「戦争は絶対悪」という立場なので、難民となって逃げると思います。自衛隊は建前上、戦わないわけには行きませんが、侵攻された時点で既に勝てる見込みはありませんから、国民を逃がすという目的のための時間稼ぎという形にならざるを得ないでしょう。私は子供のときは仮面ライダーを欠かさず見ていましたし、正義感が強く、正義は勝つと信じていましたので、二十年前なら、うっかり、皇国の興亡をかけて戦う、とでも言ったかも知れません。今は、それはやってはいかんと思います。右の頬を打たれれば、打ち返さずに逃げる、それが君子の作戦と思います。敵は既に勝算を持っているからこそ侵攻してくるわけで、他国の侵略にあった時点で、日本は既に戦って勝てる見込みはないと考えられます。つまり、日本が軍隊を持つ意味というのは、侵略を牽制するという一点に全てがあり、故に、その軍隊は実際に力を行使することを想定はして形成されるものの、行使しないことを目的にすると言えます。
幕末の攘夷運動にせよ、パレスティナ問題にせよ、そもそも戦争を問題解決の手段と考えているらしいことがおかしいと私は思います。ここまでこじれて感情的になっていれば、逆ではないでしょうか。戦争のために理由がいる、むしろ、そんな感じがします。
「正義」という頭の中にしかない「幻影(または理想)」は人を扇動したり説得したりする道具であって、それによって正当化される殺人という「現実の行為」は絶対悪です。こうしたこじれた関係にどんな形の解決があるか考えて見ますと、私は、イスラエル、パレスティナ問題にしても(あるいは、ロシア、コーカサス地方の紛争にしても)、解決法に「両者が仲良く共存する」という答えは無いと思います。しかし、共存することは解決に必須です。ここから導き出される答えは、「仲悪く共存する」しかありません。ある意味、これは問題の解決ではなく、問題の先送りに過ぎないのですが、これで均衡が保たれるのなら、問題を永遠に先送りし続けるというのは、解決法と言ってもよいと思います。戦争は絶対悪ですからできません。ですから、始終、顔をつきあわせて口喧嘩はするが、絶対手は出さない、というルールを厳しく適用するのが最善であろうと思います。国連に実行力がない以上、アメリカは、自国の利益の追求のために他国を利用するという態度を率先して放棄し、イスラエル、パレスティナの停戦管理をするべきであると思います。これは、ブッシュには絶対できないことですが、オバマなら可能かもしれません。
学生運動に話を戻しますと、学生運動の波に巻き込まれて、例えば、東大入試が中止になったりして、人生の計画が狂ったりした世代というのは、私よりは20年ほど上の世代です。それでも、私が大学生の頃、とっくの昔に下火になっていましたが、学生運動はまだそれなりにありました。ヘルメットをかぶってゲバ棒をもった集団が授業の最中に校庭を行進するのを何度か見たこともあります。当時、私の母校の本学の大学自治会は確か、民主青年同盟(民青)と呼ばれた共産党の下部組織だったように思います。一方医学部自治会は社会党関連だったように思います。当時の学生運動は、血気盛んな若者がエネルギーを持て余し、何となく影響されてよくわけもわからず、クラブ活動感覚でデモに参加していたというのが実情なのだと思います。大学や大学寮の自治会には当時でも、洗脳部隊がいて右も左もわからない新入生にウケウリの理想論を吹き込んで「オルグ」してしようとしていました。普通のノンポリ学生はそうしたうさん臭いところには近寄らず、楽しく学生生活を送ることに集中するので、いっそう、そんな活動家集団は孤立した異常な少数の人々とみなされていたように思います。同じ共産系の組織から分裂した中核派と革命的マルクス主義者同盟との内ゲバ抗争が激しかったころのことは、私は勿論知らないのですが、大学時代にはそれでも、その抗争の痕を示す張り紙などが電柱とかに残っていて、私が「殲滅」という漢字を覚えたのは、そんな過激派のアジ広告からでした。学生活動家が闇討ちにあって殺されたりしていましたが、誤った思想を広めて害をなす者を殺す事は正しいことであると心から信じていた様子でしたから、今から思えば、オウム心理教信者と同様の精神構造であったのでしょう。「正義や理想」を買いかぶり過ぎていたということでしょう。私は自治会と名のつくところには深く関わったわけではありませんが、友人の何人かは社会、共産思想に基づいて多少の活動をしていましたので、野次馬気分でデモに参加したこともあります。いわゆる団交でしたが、何の交渉であったのか忘れました。多分、授業料やカリキュラムのことだったのでしょう。大学の学長室まで押し掛けて、学長に向かって怒鳴ったり、自己批判しろとか、どうとか叫んでいるのを遠目にみていた記憶があります。学生が暴徒となると厄介なので、大学側も警察や機動隊に連絡するわけですが、デモ学生がうっかりつかまって前科者になると教員資格を取れなくなるとかで、教育学部の学生を優先的に逃がすためのドリルとかまであって、野次馬には物珍しい行楽なのでした。体制を批判し、大学の学長室に無理に押し入って自己批判とか言ってる大学生が卒業したら教員免許を取って学校の先生になるというのです。その辺の自己矛盾からしても、学生運動が、かつての「理想に殉死する」というような悲愴なものではなくて、学生時代の課外活動的な「学生運動ごっこ」に過ぎなくなっていたということなのでしょう。私はある意味、そんな学生運動ごっこは健康的なものだと思っています。ワクチン接種は、病気にならないように、わざと毒を落とした病原菌を接種するわけです。学生運動ごっこでも何でも、年をとってから「俺たちが若いころは、無茶やったもんだよー」とお茶をすすりながらいえる程度の経験をしておく事は、本当の無茶、例えば、日本赤軍とかオウムのサリンとか自爆テロとか、までに行ってしまう危険を防ぐのではないかと思ったりします。(その相手をさせられる大人は良い迷惑でしょうけれど)
歴史は繰り返すと言います。40年前の学生運動の再燃は、近々、起こり得ると思います。社会の不満が募ると、若者たちは、それをエネルギーのはけ口に利用しようとするからです。またそんな時に必ず出てくる、食い詰めた人たちを利用しようとする扇動者には気をつけなければなりません。