百醜千拙草

何とかやっています

社会の成長

2009-09-11 | Weblog
明日から学会で、学会がらみの二三の雑用も引き受けてしまったので、真面目にやらねばなりません。それで、来週は多分、エントリーできません。
今日もまた、ちょっと、政治がらみの話を。
 昨夕、オバマは、オバマ政権の大課題で故テッドケネディーの悲願であったヘルスケアリフォームを実現するため、反対の多い共和党を説得すべく、全議員を集めての一時間の演説を行い、全国放送されました。「国民がその文化的健康的生活を送るために健康保険には誰でもアクセスできるべきである」という主張に反対する人は誰もいません。健康保険のコストの上昇は賃金の上昇の3倍のペースで、保険会社は利益にならない病気持ちの人の保険を拒否したり高額医療の支払いを拒否したりして、病気になって治療が受けられず死んでいったり、高額医療のために破産したり、そういう先進国とは思えない現実がアメリカにはあるあわけで、その状況を変えねばならないことは明らかです。しかし反対する共和党は結局は「金」の話になります。その財源はどうするのか。オバマはこのプランで一ダイムたりとも借金を増やすことはないと言いましたが、その根拠は確かに説得力に欠けます。オバマは「金」の問題を懸念する共和党に、健康保険が手頃に買えないために、アメリカ人の生活が破壊され、中小企業は雇用者に保険手当てをつけることもできなくなっている、こうした現状がアメリカ経済にも非常な悪影響を及ぼしていると、ヘルスケアリフォームがアメリカ経済振興にとっても重要であると強調しました。オバマにとっても、この仕事はかつての歴代大統領が成し遂げることのできなかった課題ですから、意欲満々であり、オバマ政権の「肝」でもありますから、是非とも共和党の支持を得て、実現したい、それが、今回の異例の全議会演説となったものと思われます。「ヘルスケアリフォームを行わなければならない」という結論に対して、共和党の言質を取ることで、現状維持という選択を消し、具体的なリフォームの計画へと突入する、そのために打った芝居であります。
 健康や命は「金」で買えないものです。しかし「金」がないと維持困難であります。ですから、国が教育に投資するのと同様、国がある程度、国民の健康増進に投資をする必要があるのは当然のことだと私は思います。世の中のことを何でも「金」に換算する人は、福祉社会となったら、それにただ乗りする人が現れる、福祉の程度が大きくなればなるほど、ただ乗りする人のために「自分たち」が納めている税金の負担が増える、などとxxの穴の小さいことを言います。税金を納めることができる立場にあるというだけでも恵まれているのだから、福祉の世話で生きている人の一部を「ただ乗り」とか言って非難せずに、友愛の気持ちを持って、世の中、持ちつ持たれつの助け合いで、助ける側にいれて幸せだ、と思えないものでしょうか。福祉は金だけの問題ではなく、友愛の実践の機会でもあります。

 さて、日本では、衆院単独過半数をとった民主党が、弱小政党、社民党と国民新党と連立政権を樹立で合意。なぜ、単独過半数の大政党が、小政党と連立政権を組む必要があるのか、政治は数の勝負という点から言えば、確かにその必要はありません。一つの可能性は、民主党も参院では単独過半数に達していないので、参院での民主の立場を強め、時期参院選に備えて、(時期参院選では、今回のように民主の圧勝とはまずならないでしょうから)衆院で連立して関係を作っておこうということかも知れません。あるいは、寄り合い所帯の民主内で、いずれ、反小沢派の謀反がおきて、かつての自民党のような派閥争いとなって分裂するような時に多少の援護が受けれるように鳩山派と小沢派がこれらの政党に恩を売っておこう、ということかも知れません。つまり、民主が分裂した場合でも、かつて小沢氏が8党連立で担いだ細川政権のような連合政権を作って、権力を保持するためのバックアッププランとして、社民と国民新党とパイプを繋いでおこうということを考えているのかも知れません。
 しかし、私は別の解釈があってよいと思います。私は、政治イコール権力闘争という下世話なレベルは、そろそろ脱却して、「政治は国民のために社会を良くするためのものである」という建前に正直なものになって欲しいと思っています。それこそが政治の、そして社会の成長であり、社会は将来的にそのように成長するのが本当である、と私は思っているからです。井戸塀政治家の時代に、医療でいえば医が仁術であった時代に、つまり初心に立ち返ってもらいたいと思います。「利権と世襲で、政官財癒着して一部の利益を守るための自民党政治はウンザリだ」これが今回の選挙の答えなのですから。確かに、これまでは社会は生き残りのための戦場で、政治はまさに戦争でした。陰謀の渦巻くキタナイ世界でした。だからこそ、野球の勝ち負け同様、誰が勝った、誰が負けたと、床屋政談で盛り上がるわけです。政治は選挙で勝って競技権を得れば、後は何でもアリの力の勝負というわけです。そういう政治の裏の陰謀やスキャンダルを皆が好きなのはよく分かりますが、政治はそろそろ、そういうレベルを越えて、建前に誠実になってもよかろうと私は思うのです。ですので、鳩山さんの連立政権のやりかたは、私は悪くないと思っています。ある程度政治理念に共通のある旧野党が協力する、そのかわりに少数派意見も汲み上げて議論する機会を作る、「友愛社会」を目指す鳩山内閣が、対立路線ではなく、なるべく協調路線をとって、できるだけ多くの国民のお互いの利益になるような政治を実現する、そういう理想を照れることなく、素直に語れるのであれば、素晴らしいことだと思います。単独過半数いるのだから、少数政党は無力だ、と考えるのでは、数の暴力で悪法案を強行採決してきた、前政権の自民党と同じです。上から力でねじ伏せて、やりたいようにやる、そういう様にやってきた結果が今回の政権交代でした。民主党は「国民第一」のスローガンどおり、下から積み上げていって社会を変えていって欲しいと思います。そのために少数派の党にも発言力をあえて与え、間違いのない方向へと、建前に誠実に舵を取っていってもらいたい、そのように思います。
 世の中は、弱肉強食の市場原理に対する反省を込めて、助け合い、協力していく社会を人々は欲するようになりました。これは、必ずしも福祉国家である必要はないと思います。理想的には、友愛の社会、助け合いの社会は、政府からの福祉に全て頼る必要はないのです。こういう話をすると、欧米では、笑い話かも知れませんが、日本ではあり得ることです。日本は儒教を道徳として教えており、その子供の教育というのは、馬鹿にならない効果を及ぼしていると私は思うからです。
 私は人類(および各個人)は成長するために生きていると思っています。一方、生物科学の進化論的パラダイムを採用する人は、人間は単にその環境において生存に適したものが選択されるだけの遺伝子をまき散らすことだけを至上目的とした遺伝子増殖機械であると考えるような人もいて、そういう人には分かってもらえないかも知れませんけど、私は、人類の滅びる日まで、社会は人類の成長と共に同様に成長していくべきものだと思っています。そして実際、百年前、二百年前の社会と比べたら、現在の社会は成長したと思います。これはレトロスペクティブに現代人の価値観で判断していますから、公平でないかも知れませんけど、その辺を差し引いても、ヒューマニズムの観点から社会は成長してきたと思います。同様に、政治も政治家と社会の構成員の利益獲得の競争に過ぎないという「動物的」なレベルから脱却して成長していって貰いたいものだと思います。
コメント
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