百醜千拙草

何とかやっています

出張の間のできごと

2009-09-18 | Weblog
出張の間の数日、パソコンを持っていかなかったので殆どコンピュータを見ない生活でした。情報は朝の新聞とテレビでしたが、いろいろニュースがありました。
 テニスのUS openは見られなかったので、フェデラに勝って優勝したというアルゼンチンの選手のプレーをみることができず、残念でした。セリーナウィリアムスが、線審のフットフォールトの判定にブチ切れて、その小柄な線審の女の子に向かって「オマエのxxxな喉にテニスボールを押し込んでやる」とか暴言を吐いて、問題になっていたようですが、確かにあの体格のセリーナに脅されたら、マイクタイソンでも命の危険を感じますね。この月曜日、ゴールデンタイムに初登場したJay Lenoの番組では、早速、「食べれるテニスボール」をセリーナが売り出すらしい、とジョークのネタにされていました。VMAの授賞式でアイドル系歌手の受賞スピーチに乱入して、マイクを横取りし「ビヨンセの方がエラい」とか言って顰蹙を買った黒人の兄ちゃん(誰か私は知りません)は、同じJay Lenoのショーに出演して、説教くらって反省していました。私、最近の歌手は殆ど知らないのですけど、ビヨンセは知っています。そのVMAの賞をもらったアイドル系の人、テイラースウィフトが歌っているのは一、二回聞いたことがありますが、どこが良いのか全然わかりません。一方、ビヨンセは才能あると思います。歌もかなりうまいと思いますし、まずまずのルックスなのに、黒人英語丸出しなのもユニークでよいと思います。関西弁丸出しの美人というのは想像難しいのですけど、そんな感じですかね。
 日本では、鳩山内閣発足。これから支持率は徐々に落ちていくでしょうけども、是非とも、初心を忘れず、国民のために公約を実現していって貰いたいと思います。小沢氏も「闇将軍」化することなく、明朗会計で民主党を支えていって欲しいと思いますけど、読めない人ですから、心配です。
 iPSの山中さん、ラスカー賞受賞。iPSの論文から3年でラスカー賞というのは、すごいことです。それだけ、この発見の価値がわかりやすかったということです。素晴らしい。昨年のラスカー賞、基礎部門のmicroRNAは発見から15年、臨床系のメバロチン(でしたっけ?)の三共(でしたっけ?)の遠藤さんの場合は発見から30年以上経ってますから、発見から3年でラスカー賞というのは最速記録ではないでしょうか。ノーベル賞の前哨戦とも言われるラスカー賞ですから、山中さんへのノーベル賞への期待も高まっていると思いますが、私は以前にも述べたように、iPSがノーベル賞に至るまでには、もう一ひねり必要であろうと思います。iPSの臨床応用とその成功です。基礎研究として、細胞のリプログラミングのメカニズムに分子的実体を与えたという功績は疑う余地はありません。しかし、もともと臨床応用へ強い含意のある研究で(だからこそ、これだけ研究価値が早くに広く理解されたわけです)、故に、ノーベル賞にいたるには、この研究が「成功裡に」臨床応用される必要があると私は思っているのです。基礎研究としての価値だけで、ノーベル賞へ行く可能性も勿論あるとは思いますが、もし、iPSが臨床応用に失敗した場合、世間の一般の人は、本来の発見の価値まで疑い出すことになる可能性があると思います。そう考えてノーベル賞財団は、iPSの臨床応用への帰趨を見守っているのではないかと私は想像しています。
 カーター氏、「オバマのヘルスケアリフォームに対する(主に保守系、共和党系白人の)根強い反対は、オバマが黒人系だという人種差別に基づいている」と発言し、この発言がまた、保守系白人の反感を買いました。アメリカ社会に根強い人種差別があるのは、皆知っていることで、皆が知っている当たり前のことを、公衆の前で発言して、問題になるというアメリカ社会の方がよっぽど、問題ではないかと私は思います。カーター氏、しばらく前も、「ジョージW.ブッシュは史上最低の大統領だ」と本人以外は皆が知っていることを、公の場で言って問題になっていましたが、真実を堂々と述べて問題視されるような社会はイカンと思います。これは、個人の中傷などではなく、国全体の社会と未来に関することなのです。カーター氏の発言は、田中眞紀子の政治漫談とは、ちょっと違います。彼は叩き上げの大統領でした。ジョージアの田舎の政治的背景の乏しい中から大統領になりました。あいにく、大統領としては成功したとは言えませんが、今、存命中の元大統領の中で、彼のように民衆の側に立って率直にものの言える人はいません。アメリカ人にとって、アメリカは希望に満ちた明るい国でなければならないのでしょう。その闇の部分や恥部に目を向けたくないというバランスの欠けた態度が、アメリカ人自身の問題を大きくしてきたのではないかと想像しています。人種差別や性差別があるのは皆知っています。それを無くしていくには、そういう問題を直視することから始めるべきで、あたかも問題がないように振る舞うことは何の解決にならないと思います。とは言え、根は深いです。特別な理由無く、人種の差を唯一の根拠に差別する場合もありますが、差別される方(嫌われる方)にも差別される(嫌われる)だけの理由がある場合も多いのです。人種が違うという以上に文化的、習慣的な差もあるわけで、そういったものが特定の人種と結びついて、差別の構造ができてくるのだろうと思います。人種に関係なく、特定の宗教の人が別の宗教の人とつき合いにくいのと同じではないかと思います。その辺、国の問題ですから、感情の問題をできるだけ切り離して、なるべくロジカルに議論を進める必要があると思います。「話せばわかる」と私は信じております。
コメント (1)
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