論文スクランブル体制継続中です。
研究というものはデータを出すのは易しくても、その結果を正しく解釈するのはとても困難なことが多いです。それで、そのデータの解釈を確かにするために、更に実験を積み重ねていくことになります。問題は、各実験において解釈不能の結果が出る場合が多分5割以上あって、そのために、解釈不能実験を解釈するための実験が解釈不能となるということがしょっちゅうおこることです。それで解釈不能の無限退行の泥沼にはまり込むということがよくおこります。研究やっててストレスになるのは、この解釈不能無限退行、研究者殺し油の地獄に落ち込んだ時です。
しかし、私、それが現実の姿だと思うのです。「現実の世界が様々な物理的な分子や原子とその相互作用から成り立っている」という前提のもとに世界の理解を試みるのが近代科学の方法論であり、現実に、科学論文出版というゲームの勝敗が、そのルールに沿って、どれだけ面白いストーリーを提示できるかによって決まるものである以上、この前提のもとにプレーせざるを得ません。私はこの世界というものは、そのような物理学的前提や方法論で理解できる範囲は限られていると思っています。科学の方法論は余りに未熟であるというのが私の実感です。
現実の世界が仮に構成分子とその相互作用で成り立っているという前提で、生物学データを解釈していこうとすると、多くのempiricalな困難に遭遇します。この世界観によれば、あるシステムにおいては大小様々な数多の因子が多く方向のベクトルをもって無数の相互作用していると考えられます。とくに生きた細胞や動物をまるまる扱うような研究において、ある因子を操作した場合になんらかの変化が検出された場合、その因子の操作がどういうメカニズムでその変化にいたるのかを明らかにすることはしばしば困難です。その操作と変化の間に、その因子はおそらく無数の別の因子と相互作用をし、その総和が検出可能な変化として表れると考えられるからです。因子の個々の振る舞いから全体を予想するのは不可能である、とカオス研究者も言っています。
昔の生化学的研究では、実験系をできるだけ単純化し多くの因子を厳密にコントロールした上でその内の一つを操作してやることで、その分子の機能を探るという方法を取っていました。今でもその生化学的研究的手法(源流は物理学でしょうが)は、生物学研究がより複雑な系を使った場合においても、スタンダードとされています。遺伝学的技術が発達するにつれ、本当の動物をまるまる使って一つの遺伝子の働きを探る、という研究が生物学の分野での大きな手法となりました。ノックアウトマウスやトランスジェニックマウスの技術が代表で、私もそういうシステムを主に用いています。
最近つくづく感じる問題は、この複雑な動物というシステムを使って、実験の結果を解釈するための方法というものが、旧態然とした「生化学的方法論」しかない、という実験法(というかその研究概念)の未熟さです。つまり、諸条件を厳密にコントロールするということが、原則的に困難な生きている動物において、昔ながらの物理学的基準を適用しようとすると、本当にRobustなものしか検出できないということです。私自身の例ですと、作ったノックアウトは再現性よくある形質を示します。それは正常マウスと比べて約10%ぐらいの差がでるマイルドな形質です。ですので、この遺伝子の喪失によってこの形質がでるという所までは問題ありません。しかし、現在の論文では、では、どういう理由で、その遺伝子の喪失がその形質の発現にいたるのか、というあたりに説明を加えなければ、出版が困難です。それで、人々は遺伝子発現の違いを比べてみたり、細胞増殖を比べてみたり、なんだかんだと調べてみるわけですけど、当然ながらマイルドな形質であればあるほど、それをきれいに説明できるようなデータはでません。各解析技術の感度というものが悪すぎるのも一つあります。例えば定量的RT-PCRを使う遺伝子発現解析法はお手軽なのでよく使われます。しかし、このアッセイのブレはかなり大きく、発現変化が少なくとも50%以上なければ信頼性のあるデータにはなりません。スナップショットで50%の差というのは、生きた動物では強烈な差です。例えば、人間であれば、血液検査で正常値より5割増の白血球数が数字が出ると、大抵の場合、重症感染症か白血病でしょう。マウスで正常に比べて10%ほどの差を説明するのに、50%以上の変化しか信頼性よく検出できない解析法を使って、意味のあるデータがとれると考えるのはナイーブすぎます。また動物という複雑なシステムで、例え一つの遺伝子を変化させただけであっても、その動物が生まれてから成長するダイナミックなプロセスの中でその一遺伝子の欠失が引き起こすであろう無数の変化の蓄積を考えたら、他の条件を厳密にあわせるということはまず不可能であろうと私は思います。にも関わらず、未だに生きた動物という複雑系を遺伝的手技を用いて研究する場合に、従来の系を単純化してパラメータを減してアッセイを行う生化学的方法論が適用されつづけているという所に、この研究分野の問題があると私は思います。
正直に言って、多くの遺伝子改変動物の形質を報告した論文で、いわゆる「メカニズム」にアドレスした部分のかなりのものは信用できない、と私は思っています。その部分がないと出版できないのに、それを正しく研究する方法に乏しいこと、その部分のデータを評価するのに従来の生化学的研究手法による(複雑系を相手にするには)厳しすぎる基準を使い続けていること、それが信用できないデータの問題だと思います。研究者にとってみれば「メカニズム」がなければ一流紙は採ってくれないことを知っています。そして、良心的な研究者であれば、仮にメカニズムがわかっていたとしても、それを実験的に示すことは、複雑系の動物を使った系では、しばしばきわめて困難であることも知っています。そういう理由でしばしば良心的でない研究者の論文が一流紙に掲載されることになるのだろうと思います。
私は現在論文投稿上、「メカニズム」部分の体裁をあと2週間以内に整えないといけないという状況にあります。面白ろそうなデータはありますし、多分その解釈も間違いないと思っているのですけど、これを実験的に無事証明できるかどうかはまだわかりません。証明できなかった場合は、残念ながら時間切れになるので、証明部分はなしで理屈で押すしかなくなってしまい、出版ゲームではちょっと厳しくなりますが、今回はそれ以上できることもないので、それでまとめるつもりです。
しかし、フルタイムの研究者をやりだしてから、こんなに長時間毎日実験室にへばりつくのは久しぶりです。若さにまかせて夜どうし実験したりしていた昔のことのことを思い出します。たまには一つのことに没頭してしまうのも悪くないと思ったりします。
研究というものはデータを出すのは易しくても、その結果を正しく解釈するのはとても困難なことが多いです。それで、そのデータの解釈を確かにするために、更に実験を積み重ねていくことになります。問題は、各実験において解釈不能の結果が出る場合が多分5割以上あって、そのために、解釈不能実験を解釈するための実験が解釈不能となるということがしょっちゅうおこることです。それで解釈不能の無限退行の泥沼にはまり込むということがよくおこります。研究やっててストレスになるのは、この解釈不能無限退行、研究者殺し油の地獄に落ち込んだ時です。
しかし、私、それが現実の姿だと思うのです。「現実の世界が様々な物理的な分子や原子とその相互作用から成り立っている」という前提のもとに世界の理解を試みるのが近代科学の方法論であり、現実に、科学論文出版というゲームの勝敗が、そのルールに沿って、どれだけ面白いストーリーを提示できるかによって決まるものである以上、この前提のもとにプレーせざるを得ません。私はこの世界というものは、そのような物理学的前提や方法論で理解できる範囲は限られていると思っています。科学の方法論は余りに未熟であるというのが私の実感です。
現実の世界が仮に構成分子とその相互作用で成り立っているという前提で、生物学データを解釈していこうとすると、多くのempiricalな困難に遭遇します。この世界観によれば、あるシステムにおいては大小様々な数多の因子が多く方向のベクトルをもって無数の相互作用していると考えられます。とくに生きた細胞や動物をまるまる扱うような研究において、ある因子を操作した場合になんらかの変化が検出された場合、その因子の操作がどういうメカニズムでその変化にいたるのかを明らかにすることはしばしば困難です。その操作と変化の間に、その因子はおそらく無数の別の因子と相互作用をし、その総和が検出可能な変化として表れると考えられるからです。因子の個々の振る舞いから全体を予想するのは不可能である、とカオス研究者も言っています。
昔の生化学的研究では、実験系をできるだけ単純化し多くの因子を厳密にコントロールした上でその内の一つを操作してやることで、その分子の機能を探るという方法を取っていました。今でもその生化学的研究的手法(源流は物理学でしょうが)は、生物学研究がより複雑な系を使った場合においても、スタンダードとされています。遺伝学的技術が発達するにつれ、本当の動物をまるまる使って一つの遺伝子の働きを探る、という研究が生物学の分野での大きな手法となりました。ノックアウトマウスやトランスジェニックマウスの技術が代表で、私もそういうシステムを主に用いています。
最近つくづく感じる問題は、この複雑な動物というシステムを使って、実験の結果を解釈するための方法というものが、旧態然とした「生化学的方法論」しかない、という実験法(というかその研究概念)の未熟さです。つまり、諸条件を厳密にコントロールするということが、原則的に困難な生きている動物において、昔ながらの物理学的基準を適用しようとすると、本当にRobustなものしか検出できないということです。私自身の例ですと、作ったノックアウトは再現性よくある形質を示します。それは正常マウスと比べて約10%ぐらいの差がでるマイルドな形質です。ですので、この遺伝子の喪失によってこの形質がでるという所までは問題ありません。しかし、現在の論文では、では、どういう理由で、その遺伝子の喪失がその形質の発現にいたるのか、というあたりに説明を加えなければ、出版が困難です。それで、人々は遺伝子発現の違いを比べてみたり、細胞増殖を比べてみたり、なんだかんだと調べてみるわけですけど、当然ながらマイルドな形質であればあるほど、それをきれいに説明できるようなデータはでません。各解析技術の感度というものが悪すぎるのも一つあります。例えば定量的RT-PCRを使う遺伝子発現解析法はお手軽なのでよく使われます。しかし、このアッセイのブレはかなり大きく、発現変化が少なくとも50%以上なければ信頼性のあるデータにはなりません。スナップショットで50%の差というのは、生きた動物では強烈な差です。例えば、人間であれば、血液検査で正常値より5割増の白血球数が数字が出ると、大抵の場合、重症感染症か白血病でしょう。マウスで正常に比べて10%ほどの差を説明するのに、50%以上の変化しか信頼性よく検出できない解析法を使って、意味のあるデータがとれると考えるのはナイーブすぎます。また動物という複雑なシステムで、例え一つの遺伝子を変化させただけであっても、その動物が生まれてから成長するダイナミックなプロセスの中でその一遺伝子の欠失が引き起こすであろう無数の変化の蓄積を考えたら、他の条件を厳密にあわせるということはまず不可能であろうと私は思います。にも関わらず、未だに生きた動物という複雑系を遺伝的手技を用いて研究する場合に、従来の系を単純化してパラメータを減してアッセイを行う生化学的方法論が適用されつづけているという所に、この研究分野の問題があると私は思います。
正直に言って、多くの遺伝子改変動物の形質を報告した論文で、いわゆる「メカニズム」にアドレスした部分のかなりのものは信用できない、と私は思っています。その部分がないと出版できないのに、それを正しく研究する方法に乏しいこと、その部分のデータを評価するのに従来の生化学的研究手法による(複雑系を相手にするには)厳しすぎる基準を使い続けていること、それが信用できないデータの問題だと思います。研究者にとってみれば「メカニズム」がなければ一流紙は採ってくれないことを知っています。そして、良心的な研究者であれば、仮にメカニズムがわかっていたとしても、それを実験的に示すことは、複雑系の動物を使った系では、しばしばきわめて困難であることも知っています。そういう理由でしばしば良心的でない研究者の論文が一流紙に掲載されることになるのだろうと思います。
私は現在論文投稿上、「メカニズム」部分の体裁をあと2週間以内に整えないといけないという状況にあります。面白ろそうなデータはありますし、多分その解釈も間違いないと思っているのですけど、これを実験的に無事証明できるかどうかはまだわかりません。証明できなかった場合は、残念ながら時間切れになるので、証明部分はなしで理屈で押すしかなくなってしまい、出版ゲームではちょっと厳しくなりますが、今回はそれ以上できることもないので、それでまとめるつもりです。
しかし、フルタイムの研究者をやりだしてから、こんなに長時間毎日実験室にへばりつくのは久しぶりです。若さにまかせて夜どうし実験したりしていた昔のことのことを思い出します。たまには一つのことに没頭してしまうのも悪くないと思ったりします。