学内向けのポスドク向けグラントの審査会が先日ありました。私は合計30程の申請書に目を通して評価をしたことになりますが、専門分野でないものばかりなので大変骨が折れました。審査会は最終的に60余りの申請書を二段階の審査でしぼった21の申請の中からさらに11を選び出すための会議で、合計13人の審査員のうち都合のつかなかった人を除いた9名でやりました。当然ながら各審査人の評価には差があります。私は、候補者のバックグランドなどは取りあえず評価の外に置いて、申請書の研究の中身だけを重視しました。その中で、具体的な仮説があるかどうか、研究方法は妥当かどうか、よい予備データがあるかどうか、研究のインパクトの四点に分けて評価して、総合点数で順位をつけました。会議での他の人の意見を聞いてみると、ポスドクなので、将来性とかこれまでの生産性とか推薦状とかをかなり重視している人(私はこの辺は殆ど考慮しませんでした)、予備データや仮説よりイノベーティブかどうかを第一の評価対象にしている人、などなど、様々です。これでは確かに評価が分かれるのもやむを得ないだろうと思いました。ただし、おおまかな傾向は全体としては合致しています。ということは、様々な評価ポイントの多くにおいて優れている応募は高く評価されたということだと思います。
私が高評価を出した一つの申請が半数の人から評価が低く、ボーダーラインになったものがありました。この申請書は私の4つの基準をすべてクリアしていたので、なぜ評価が低いのが不思議でした。これはその場でわかったことですが、応募者は以前にも同様の申請を出していて、しかもそのプロジェクトのアイデアはその指導者が既に別のグラントで申請して現在サポートされているものであったのでした。いくらポスドクの応募とは言っても、その指導者のアイデアそのままではダメだろう、という人々の意見でこの応募は採用しないことになりました。
もう一人、議論になったのは、ポスドク歴がかなり長い人からの応募でした。アイデアを高く買う人がいて評価が分かれました。私はスクリーニングプロジェクトで仮説が曖昧であり予備データに乏しく成功の可能性を読みにくいという理由で低い評価をしたので、ポスドク歴やバックグランドを見ませんでしたが、審査員の中にはポスドク歴が長過ぎるので、これ以上サポートする意味が乏しいという意見を出す人が数人いました。私も長年ポスドクやりましたし、今のDepartmentにも10年以上、実質ポスドクをやっている人もいます。ポスドクより上のポジションを得るのが大変困難な時代にもなってきていますので、ポスドク歴が長いという理由はちょっとアンフェアでないかと私は思いました。最近は一つのプロジェクトをよい論文にまとめるのに足掛け5年以上かかるのも普通だ、というような話をしてきてポスドク歴の長い人を擁護する人もいました。実際そうです。マウスを使った実験だと、ツールを作るところから始めたら出版まで3-4年は最低かかるでしょう。
このグラントがサポートできるのは一年ぐらいです。うまくグラントを貰えた人もその間に結果を出して別のグラントに応募するなりどこかのポジションに応募するなりしないといけません。あいにく、このグラントでさえ、競争率は15 - 20%ですから、グラントを取り続けることは容易なことではありません。若い人、ポスドクに限らず、研究業界の生き残りの厳しさは全てのレベルの人に当てはまると思います。教授でも一流研究者でも、グラントが切れれば終わりですから、一寸先は闇です。ま、そういうものだと思って、やれるだけやるしかありません。他のもっと厳しい業界に比べたら、例えばこの経済状況の中での零細、中小企業などの経営者のストレスを想像してみれば、研究者はまだ恵まれているのかな、と思います。
話かわって、次の自民党政権に対する懸念が(アメリカ以外の)世界中から聞こえます。しかも、議席上は自民党が大多数を握っているにもかかわらず、得票率から考えると、最大80%以上の日本国民が自民党政権を支持していない可能性もある、民意とかけ離れた政権です。
国内外を問わず、とりわけ、原発政策、外交に関しての不安が大きいようです。
フクシマ事故を見て、原発廃止を決定したドイツのような国もあるのに、事故の当事者であるくせに事故から何も学ぼうとしない人間、国民の意見を聞かない人間、外交よりも戦争のために改憲しようと考える人間がリーダーになってしまった危険な国、日本はそう思われているようです。
在日米軍に関しては、
逆戻りです。戦後67年がたっても、在日米軍があれだけ沖縄県民の多大な迷惑かけ数々の犯罪を行ってきており、かつ長年の県民の反対にもかかわらず、沖縄に負担を押し付け続けることを明言しました。この人が国民と全く逆の側にいるのは前の政権時からわかっていました。「美しい国」のためには、国土が放射能に塗れ、人々が喘ぎ苦しんでも構わないのでしょう。オリンピックのときに外面の体裁を整えるために北京の貧民街をにわか作りの壁で隠した中国共産党を思い出しますね。全体主義、軍国主義、お国のために玉と散るのが「美しい」国、どこかで聞いたような世界が近づいてきそうな雰囲気です。日本国民にとっても、世界にとっても危険な国にしようとする新政権の暴走を止めないといけません。
私が高評価を出した一つの申請が半数の人から評価が低く、ボーダーラインになったものがありました。この申請書は私の4つの基準をすべてクリアしていたので、なぜ評価が低いのが不思議でした。これはその場でわかったことですが、応募者は以前にも同様の申請を出していて、しかもそのプロジェクトのアイデアはその指導者が既に別のグラントで申請して現在サポートされているものであったのでした。いくらポスドクの応募とは言っても、その指導者のアイデアそのままではダメだろう、という人々の意見でこの応募は採用しないことになりました。
もう一人、議論になったのは、ポスドク歴がかなり長い人からの応募でした。アイデアを高く買う人がいて評価が分かれました。私はスクリーニングプロジェクトで仮説が曖昧であり予備データに乏しく成功の可能性を読みにくいという理由で低い評価をしたので、ポスドク歴やバックグランドを見ませんでしたが、審査員の中にはポスドク歴が長過ぎるので、これ以上サポートする意味が乏しいという意見を出す人が数人いました。私も長年ポスドクやりましたし、今のDepartmentにも10年以上、実質ポスドクをやっている人もいます。ポスドクより上のポジションを得るのが大変困難な時代にもなってきていますので、ポスドク歴が長いという理由はちょっとアンフェアでないかと私は思いました。最近は一つのプロジェクトをよい論文にまとめるのに足掛け5年以上かかるのも普通だ、というような話をしてきてポスドク歴の長い人を擁護する人もいました。実際そうです。マウスを使った実験だと、ツールを作るところから始めたら出版まで3-4年は最低かかるでしょう。
このグラントがサポートできるのは一年ぐらいです。うまくグラントを貰えた人もその間に結果を出して別のグラントに応募するなりどこかのポジションに応募するなりしないといけません。あいにく、このグラントでさえ、競争率は15 - 20%ですから、グラントを取り続けることは容易なことではありません。若い人、ポスドクに限らず、研究業界の生き残りの厳しさは全てのレベルの人に当てはまると思います。教授でも一流研究者でも、グラントが切れれば終わりですから、一寸先は闇です。ま、そういうものだと思って、やれるだけやるしかありません。他のもっと厳しい業界に比べたら、例えばこの経済状況の中での零細、中小企業などの経営者のストレスを想像してみれば、研究者はまだ恵まれているのかな、と思います。
話かわって、次の自民党政権に対する懸念が(アメリカ以外の)世界中から聞こえます。しかも、議席上は自民党が大多数を握っているにもかかわらず、得票率から考えると、最大80%以上の日本国民が自民党政権を支持していない可能性もある、民意とかけ離れた政権です。
国内外を問わず、とりわけ、原発政策、外交に関しての不安が大きいようです。
日本の次期総理大臣就任が決まっている自民党の安倍総裁が、「新政権発足後は、福島原発事故に閉鎖していた原子炉の再稼動にむけ 全力を尽くす」と強調しました。また、原発への依存を軽減させようとした民主党政権の政策を批判し、「この政策を再検討したい」と語りました。2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故の後、多くの人は、過去の自民党政権が、古い原発の安全性を無視してきたことを非難しました。彼らは、長年に渡って政権を握ってきた自民党の指導者たちが、老朽化した原子炉の修理には莫大な費用がかかるために、これらの原子炉の問題を覆い隠し、それが今回のような事故につながったとしています。
(イランラジオから)フクシマ事故を見て、原発廃止を決定したドイツのような国もあるのに、事故の当事者であるくせに事故から何も学ぼうとしない人間、国民の意見を聞かない人間、外交よりも戦争のために改憲しようと考える人間がリーダーになってしまった危険な国、日本はそう思われているようです。
在日米軍に関しては、
共同通信によりますと、安倍総裁は山口県庁で記者会見し、「アメリカ軍基地を名護市辺野古に移設する方向で地元の理解を得るため努力したい」と述べました。
逆戻りです。戦後67年がたっても、在日米軍があれだけ沖縄県民の多大な迷惑かけ数々の犯罪を行ってきており、かつ長年の県民の反対にもかかわらず、沖縄に負担を押し付け続けることを明言しました。この人が国民と全く逆の側にいるのは前の政権時からわかっていました。「美しい国」のためには、国土が放射能に塗れ、人々が喘ぎ苦しんでも構わないのでしょう。オリンピックのときに外面の体裁を整えるために北京の貧民街をにわか作りの壁で隠した中国共産党を思い出しますね。全体主義、軍国主義、お国のために玉と散るのが「美しい」国、どこかで聞いたような世界が近づいてきそうな雰囲気です。日本国民にとっても、世界にとっても危険な国にしようとする新政権の暴走を止めないといけません。