イスラエルの Weizmann InstituteのDavid Givol博士が土曜日に死亡したとのemail。クリスマスの日にお葬式を行ったとのこと。Givol博士は遺伝学的手法で、ヒト疾患のマウスモデルを作って解析するというスタイルの仕事で、私の分野にも関係のある疾患を一時、扱っておられました。 マウスのことで以前メールをやりとりしたので私のメールアドレスが博士のメールアカウントに残っていたのでしょう。その後、「Time」の特集号の今年亡くなった人の写真を見ながら、Whitney HoustonやDonna Summerが亡くなったのはいつのことだったのだろうかと思いました。随分前のことのように感じます。去る者は日々に疎しですね。人間の命は儚いです。明日死んでも悔いが残らないように毎日を生きないといけないという気持ちになります。
話変って、下は月曜日の時点で書いた未来の党のゴタゴタについての感想ですが、それから状況が急激に変動し、現時点では未来の党の分党が決まったようです。政党助成金のこともあって年内、分党ということのようです。確かに現職国会議員および衆院選で落選した党員の不満はわかります。次の参院選まで限られた日数しかないのに党首の人が国政選挙のことを理解できていないと私も感じます。次の参院選に出る予定の党員の人々が党の顔としてのこの党首の人の能力に不安を持つのも仕方ないでしょう。党首は国政経験ゼロですし。とくに、副代表であるはずの森ゆう子氏の批判は理解できます。しかし、一方で未来の党への合流を決めた小沢氏にも大きな責任があると私は思います。その本人が表にでてきて「生活党」出身の党員にしかるべき説明をしていないように見えるのですが、それはまずいのではないでしょうか。
衆院選落選 反省と未来(2)多様性(ダイバーシティ)
その後の中村てつじ氏ブログエントリー: 衆院選落選 反省と未来(3)分党という結果もどうぞ。
3年前に鳩山政権が官僚に倒され、その後、党内反小沢派、自民党、官僚組織(検察、最高裁)、そしてマスコミが一緒になって、すさまじい「小沢封じ」を展開しました。それに耐え、ようやく「陸山会事件」の無罪判決が出て、ドジョウが自爆し、捲土重来するはずでしたが、衆院選の結果は驚くべき惨敗を喫しました。いくら「参院選」を第一目標にしていたとは言え、ここまでの惨敗は予想外でした。何より自公に衆院2/3を握られたのが痛いです。しかし、過去を悔いても仕方ありません。辛い日々は、雨の止む日を信じて、臥薪嘗胆、じっと耐えるしかありません。どんなに長く雨が続いても止まない雨はありません。
話変って、下は月曜日の時点で書いた未来の党のゴタゴタについての感想ですが、それから状況が急激に変動し、現時点では未来の党の分党が決まったようです。政党助成金のこともあって年内、分党ということのようです。確かに現職国会議員および衆院選で落選した党員の不満はわかります。次の参院選まで限られた日数しかないのに党首の人が国政選挙のことを理解できていないと私も感じます。次の参院選に出る予定の党員の人々が党の顔としてのこの党首の人の能力に不安を持つのも仕方ないでしょう。党首は国政経験ゼロですし。とくに、副代表であるはずの森ゆう子氏の批判は理解できます。しかし、一方で未来の党への合流を決めた小沢氏にも大きな責任があると私は思います。その本人が表にでてきて「生活党」出身の党員にしかるべき説明をしていないように見えるのですが、それはまずいのではないでしょうか。
衆院選後、惨敗した未来の党に関して、内部、および支持者から数々の不満が聞こえてきます。選挙における未来の党の支持者は即ち、小沢氏の支持者です。やはり小沢氏自らが全面に出て来て、支持者や前生活党党員の不満に説明をすべきではないのかと思います。「生活党」の未来の党への合流を決めたのは小沢氏本人でしょう。選挙での惨敗は小沢氏に最大の責任があると言えます。一方、建前上は未来の党の党首が責任を負うのが筋です。しかしこの党首はその責任をどう考えているのかよくわかりません。この二人が、しっかりと党員および支持者に説明することが必要でしょう。
未来の党の党首は、選挙後の総括をしていないこと、内部の党員との意思疎通を図ろうとする努力が乏しいこと、党人事を副代表にさえ知らせることなく決定してマスコミ流したこと(森ゆう子議員がツイートで批判していますね)、ちょっと党運営について稚拙すぎるのではないかとは思います。しかし、支持者や内部の人間が国政未経験のこの党首だけを責めるのは不公平だと私は思いますし、そもそも党首を責めたところで状況は改善しません。
本来、この党は参院選を目指しての小沢氏の戦略であり、この時期に内部で揉めている場合ではないはずです。これでは小沢勢力の分断を目指す敵の思うつぼです。
このことに関して、前衆議院議員の中村てつじさんが良い意見を述べておられますので、転載したいと思います。以前にもこの方の発言を聞いて感心したことが何度かあります。今回の落選は本当に残念でしたが、参院での復活を期待しています。
未来の党の党首は、選挙後の総括をしていないこと、内部の党員との意思疎通を図ろうとする努力が乏しいこと、党人事を副代表にさえ知らせることなく決定してマスコミ流したこと(森ゆう子議員がツイートで批判していますね)、ちょっと党運営について稚拙すぎるのではないかとは思います。しかし、支持者や内部の人間が国政未経験のこの党首だけを責めるのは不公平だと私は思いますし、そもそも党首を責めたところで状況は改善しません。
本来、この党は参院選を目指しての小沢氏の戦略であり、この時期に内部で揉めている場合ではないはずです。これでは小沢勢力の分断を目指す敵の思うつぼです。
このことに関して、前衆議院議員の中村てつじさんが良い意見を述べておられますので、転載したいと思います。以前にもこの方の発言を聞いて感心したことが何度かあります。今回の落選は本当に残念でしたが、参院での復活を期待しています。
衆院選落選 反省と未来(2)多様性(ダイバーシティ)
今朝の報道によると、未来の党の共同代表に阿部知子衆議院議員が就任する方向だそうです。この件について、いろいろな人から賛否両論のメールをいただきました。今回の記事は「卒原発」について書くつもりでしたが、予定を変更して、未来の党の今後について、組織論の観点から書くことにします。
結論から書きます。私は、阿部知子共同代表という方針は、我が党にとって一つの選択肢だと思っています。それは、国民政党になるためには、「多様性」(ダイバーシティ)が必要だからです。
正直なところ、「プロ」である「国民の生活が第一」出身者の政治家から見れば、「嘉田さんも阿部さんも全く組織論が分かっていない」と思われていることでしょう。今日現在になっても、新しい党活動の方針が示されていないことを見ても、その指摘に私は反論できません。
20代はじめから20年近く二大政党を作る努力をして来た私自身にとっても、両氏の現状には不満があります。嘉田さんにも未だ会っていませんし、ポスターの広報板に貼る「未来の党」のシールも作成にさえ至っていないという話を聞くと「本気で組織運営をするつもりがあるのか」といらいらします。
しかし、それは、いわゆる「プロ」の目線で見ているからであり、今まで政党活動に注力をしていなかった人が政党を作るためには、その人が「気づくまで待つ」という姿勢が「プロ」の側には必要なのです。阿部氏も小政党に長らく属してこられたので「メジャー」をめざすのは初めて。時間がかかります。
(中略)
私は、嘉田さんや阿部さんと合流することによって、未来の党には幅が出てきたと思います。確かに、その選択をすることによって、時間不足、経験不足の弊害が現時点では出てきています。しかし、その点については、時間をかけてしっかりと組み立てていけばいい。その時には、私たち「生活」出身者の力が活きてきます。
それよりも、この時点で分裂ということになると、さらに少数勢力になって多党との交渉能力もなくなります。何よりも「党のガバナンスもできない政党が、国家のガバナンスもできるはずがない」という国民の印象を覆すことはできないです。純化路線では力を持つことはできません。民主主義では、数は力です。自由党が民由合併に踏み切った理由を私たちは思い出さなくてはなりません。
いわゆる「小沢信者」の皆さまに申し上げたい。今、小沢一郎は何を考えているのか。なぜ、嘉田由紀子滋賀県知事に新党の立ち上げを進言したのか。その経緯からして、「小沢信者」ならば、何をすべきなのか。
私は、つねづね皆さまに申し上げてきました。「小沢一郎をいくら見ていても、小沢一郎が考えていることを分かることはできない。小沢一郎から目を離して、小沢一郎が見ている先を自分も見るようになって初めて、小沢一郎という政治家の考えていることが分かるようになる」。
私は、「国民の生活が第一」の常任幹事として、常任幹事会で嘉田新党との合流を主張した一人です。それは、選挙とは、人の好き嫌い、組織、人事、党名などこだわるべきではなく、主権者国民の判断を「政策」で仰ぐためのものである、という民主主義の原点に立つべきだと考えたからです。それしか選択肢はありませんでした。
今の政治状況こそ、私たち一人ひとりの真価が問われる時です。
次回以降のブログに書きますが、嘉田さんの弱点は経済政策です。本来、卒原発も、脱増税も、経済対策の一環として語られるべきだったのですが、その主張が弱かったことも敗因の一つです。しかし、ここで私たち「生活」出身者が嘉田さんから離反してしまうと、嘉田さんがそれに気づく機会さえ奪ってしまうことになります。
皆さん、共に頑張りましょう。私が最後までついています。
結論から書きます。私は、阿部知子共同代表という方針は、我が党にとって一つの選択肢だと思っています。それは、国民政党になるためには、「多様性」(ダイバーシティ)が必要だからです。
正直なところ、「プロ」である「国民の生活が第一」出身者の政治家から見れば、「嘉田さんも阿部さんも全く組織論が分かっていない」と思われていることでしょう。今日現在になっても、新しい党活動の方針が示されていないことを見ても、その指摘に私は反論できません。
20代はじめから20年近く二大政党を作る努力をして来た私自身にとっても、両氏の現状には不満があります。嘉田さんにも未だ会っていませんし、ポスターの広報板に貼る「未来の党」のシールも作成にさえ至っていないという話を聞くと「本気で組織運営をするつもりがあるのか」といらいらします。
しかし、それは、いわゆる「プロ」の目線で見ているからであり、今まで政党活動に注力をしていなかった人が政党を作るためには、その人が「気づくまで待つ」という姿勢が「プロ」の側には必要なのです。阿部氏も小政党に長らく属してこられたので「メジャー」をめざすのは初めて。時間がかかります。
(中略)
私は、嘉田さんや阿部さんと合流することによって、未来の党には幅が出てきたと思います。確かに、その選択をすることによって、時間不足、経験不足の弊害が現時点では出てきています。しかし、その点については、時間をかけてしっかりと組み立てていけばいい。その時には、私たち「生活」出身者の力が活きてきます。
それよりも、この時点で分裂ということになると、さらに少数勢力になって多党との交渉能力もなくなります。何よりも「党のガバナンスもできない政党が、国家のガバナンスもできるはずがない」という国民の印象を覆すことはできないです。純化路線では力を持つことはできません。民主主義では、数は力です。自由党が民由合併に踏み切った理由を私たちは思い出さなくてはなりません。
いわゆる「小沢信者」の皆さまに申し上げたい。今、小沢一郎は何を考えているのか。なぜ、嘉田由紀子滋賀県知事に新党の立ち上げを進言したのか。その経緯からして、「小沢信者」ならば、何をすべきなのか。
私は、つねづね皆さまに申し上げてきました。「小沢一郎をいくら見ていても、小沢一郎が考えていることを分かることはできない。小沢一郎から目を離して、小沢一郎が見ている先を自分も見るようになって初めて、小沢一郎という政治家の考えていることが分かるようになる」。
私は、「国民の生活が第一」の常任幹事として、常任幹事会で嘉田新党との合流を主張した一人です。それは、選挙とは、人の好き嫌い、組織、人事、党名などこだわるべきではなく、主権者国民の判断を「政策」で仰ぐためのものである、という民主主義の原点に立つべきだと考えたからです。それしか選択肢はありませんでした。
今の政治状況こそ、私たち一人ひとりの真価が問われる時です。
次回以降のブログに書きますが、嘉田さんの弱点は経済政策です。本来、卒原発も、脱増税も、経済対策の一環として語られるべきだったのですが、その主張が弱かったことも敗因の一つです。しかし、ここで私たち「生活」出身者が嘉田さんから離反してしまうと、嘉田さんがそれに気づく機会さえ奪ってしまうことになります。
皆さん、共に頑張りましょう。私が最後までついています。
その後の中村てつじ氏ブログエントリー: 衆院選落選 反省と未来(3)分党という結果もどうぞ。
3年前に鳩山政権が官僚に倒され、その後、党内反小沢派、自民党、官僚組織(検察、最高裁)、そしてマスコミが一緒になって、すさまじい「小沢封じ」を展開しました。それに耐え、ようやく「陸山会事件」の無罪判決が出て、ドジョウが自爆し、捲土重来するはずでしたが、衆院選の結果は驚くべき惨敗を喫しました。いくら「参院選」を第一目標にしていたとは言え、ここまでの惨敗は予想外でした。何より自公に衆院2/3を握られたのが痛いです。しかし、過去を悔いても仕方ありません。辛い日々は、雨の止む日を信じて、臥薪嘗胆、じっと耐えるしかありません。どんなに長く雨が続いても止まない雨はありません。