数日前の朝、目覚まし音がなかったのでアレっと思ったら、私のKindle Fire HDはフリーズしていました。
最初は、通勤時にパラパラと読むだけの論文を紙に印刷するのがイヤで、気軽に持ち歩ける7インチ タブレットを使いだしたのです。購読しているScienceも今年からオンライン版だけにしてタブレットで読むようにして、かさばる紙のかわりにこのタブレット一つポケットに入れて身軽な毎日、と期待したのですが。
7インチということもあって、論文を読むのは苦しいです。そもそも、タブレットではパラパラ斜め読みをするというようなことができません。タブレットでPDFの論文の読むのはズームとスクロールを忙しく繰り返さないといけないので、やはり面倒です。PMCではタブレットで読めるようなフォーマットにした論文もダウンロードできますが、余り役に立ちません。私の場合、論文は殆ど斜め読みですから、上から下に読むのではなく、大抵の場合、要旨を読んで、その後は図と結果のセクションを行ったり来たりして終わりです。イントロとディスカッションは余り読まないし、読む場合は引用文献をチェックするのが目的の場合が多いので、今度はそれらのセクションから文献セクションを行ったり来たりすることになります。とにかく、行ったり来たりしながら読むので、電子版ではそういう作業が大変不自由であるということを使ってみて初めて実感しました。それで、結局、論文は紙印刷に戻りました。
その一方で、Kindleを買ってから、ベッドに持ち込んで、寝ながらインターネットをするクセがついてしまい、自分でもこれは良くないな、と思っていたところでした。とくに良くないのは、ニュースや投稿サイトでJuicyな話をつい読んでしまうことです。週刊誌の記事よりも生々しいです。ネットならではで、その投稿記事に読者のコメントがついていきます。
そこで、私、つくづく思うのですが、何らかの過ちを犯した人の記事などでは、多くの読者の人は、徹底的に批判、非難するのですね。おそらく匿名性がそうさせるのでしょうが、私、正直、この「水に落ちた犬を皆で叩きまくる」かのような集団リンチ、極めて日本的風景なのでしょうが、何とかならんものかとイヤな気分になります。キリストなら、「お前たちの中で、罪を犯したことのないものから石を投げるがよい」とでも言うところでしょう。
過ちは犯すまいと思っていても、ちょっとしたことで道を踏み外すのが人間というもので、反省して罪を償うのなら、人は赦されるべきだと私は思います。「許さない」ことは怒りの一種であり、非難すること、石を投げつけること、憎しみを抱くことも同じです。「怒り」は猛毒であり、怒る人を蝕みます。
インターネットの投稿サイトの8割はこうした様々の種類の「怒り」に満ちており、酷いことをした人間に復讐した話とかが沢山あります。人間は「復讐」とか「仕返し」とかを考えるべきではありません。「復讐するは我にあり」で、それは神の仕事です。人を呪えば穴二つで、しかもしばしば、呪った方の穴の方が大きいのです。
水に落ちた犬を叩く、で下のニュースを思い出しました。
こうなりゃ、もう陰湿ないじめですな。「武士の情け」ちゅー言葉も昔の日本にはあったような気がするのですが。
あと東京都議会のセクハラヤジ事件。私、議会でヤジを飛ばすのが仕事だとでも思っている人間を擁護する気は全くないし、このような品性のカケラもないヤジを平気でとばすようなレベルの低い人間が都民代表であるというのは(アベが首相というのと同じく)都民、国民にとって極めて不幸なことだと思います。しかし、メディアとネットで徹底的に叩かれているのを見ると、本人にも頭を下げて謝罪したのですから、個人を叩きまくるのはもういいではないかとも思います。こういう議員やアベ氏やアホウ氏のような人間を代表に選んだ責任というのもありますし。
とはいうものの、私もちょっと言わせてもらうと、謝罪会見で「配慮が足りなかった」と言ったのはいいとして、「早く結婚していただきたいという思いがあった」と言い訳したそうですが、この発言には呆れ果てました。「余計なお世話」です。この議員、驚いたことにすでに51歳とのこと。天命を知る年を過ぎても、こういうことはやってしまうのですね。興味半分で調べてみたら、この人過去にも色々やってます。海外視察報告書をウィキペディアから丸々コピペしたとか、魚釣島に無断上陸して警察沙汰になったとか、三つ子の魂なんとやらですかね。あかんわ、これでは。ちょっと叩きすぎでしょうか。
最初は、通勤時にパラパラと読むだけの論文を紙に印刷するのがイヤで、気軽に持ち歩ける7インチ タブレットを使いだしたのです。購読しているScienceも今年からオンライン版だけにしてタブレットで読むようにして、かさばる紙のかわりにこのタブレット一つポケットに入れて身軽な毎日、と期待したのですが。
7インチということもあって、論文を読むのは苦しいです。そもそも、タブレットではパラパラ斜め読みをするというようなことができません。タブレットでPDFの論文の読むのはズームとスクロールを忙しく繰り返さないといけないので、やはり面倒です。PMCではタブレットで読めるようなフォーマットにした論文もダウンロードできますが、余り役に立ちません。私の場合、論文は殆ど斜め読みですから、上から下に読むのではなく、大抵の場合、要旨を読んで、その後は図と結果のセクションを行ったり来たりして終わりです。イントロとディスカッションは余り読まないし、読む場合は引用文献をチェックするのが目的の場合が多いので、今度はそれらのセクションから文献セクションを行ったり来たりすることになります。とにかく、行ったり来たりしながら読むので、電子版ではそういう作業が大変不自由であるということを使ってみて初めて実感しました。それで、結局、論文は紙印刷に戻りました。
その一方で、Kindleを買ってから、ベッドに持ち込んで、寝ながらインターネットをするクセがついてしまい、自分でもこれは良くないな、と思っていたところでした。とくに良くないのは、ニュースや投稿サイトでJuicyな話をつい読んでしまうことです。週刊誌の記事よりも生々しいです。ネットならではで、その投稿記事に読者のコメントがついていきます。
そこで、私、つくづく思うのですが、何らかの過ちを犯した人の記事などでは、多くの読者の人は、徹底的に批判、非難するのですね。おそらく匿名性がそうさせるのでしょうが、私、正直、この「水に落ちた犬を皆で叩きまくる」かのような集団リンチ、極めて日本的風景なのでしょうが、何とかならんものかとイヤな気分になります。キリストなら、「お前たちの中で、罪を犯したことのないものから石を投げるがよい」とでも言うところでしょう。
過ちは犯すまいと思っていても、ちょっとしたことで道を踏み外すのが人間というもので、反省して罪を償うのなら、人は赦されるべきだと私は思います。「許さない」ことは怒りの一種であり、非難すること、石を投げつけること、憎しみを抱くことも同じです。「怒り」は猛毒であり、怒る人を蝕みます。
インターネットの投稿サイトの8割はこうした様々の種類の「怒り」に満ちており、酷いことをした人間に復讐した話とかが沢山あります。人間は「復讐」とか「仕返し」とかを考えるべきではありません。「復讐するは我にあり」で、それは神の仕事です。人を呪えば穴二つで、しかもしばしば、呪った方の穴の方が大きいのです。
水に落ちた犬を叩く、で下のニュースを思い出しました。
STAP細胞論文問題で、理化学研究所の野依良治理事長は19日、STAP細胞が存在するかを確認する再現実験に小保方晴子ユニットリーダーが参加すべきだとの考えを示した。
野依理事長は、自民党の会合で論文問題について説明した後、再現実験について「小保方さんがやらないと決着がつかない」と報道陣に話した。(2014/06/19-23:51)
野依理事長は、自民党の会合で論文問題について説明した後、再現実験について「小保方さんがやらないと決着がつかない」と報道陣に話した。(2014/06/19-23:51)
こうなりゃ、もう陰湿ないじめですな。「武士の情け」ちゅー言葉も昔の日本にはあったような気がするのですが。
あと東京都議会のセクハラヤジ事件。私、議会でヤジを飛ばすのが仕事だとでも思っている人間を擁護する気は全くないし、このような品性のカケラもないヤジを平気でとばすようなレベルの低い人間が都民代表であるというのは(アベが首相というのと同じく)都民、国民にとって極めて不幸なことだと思います。しかし、メディアとネットで徹底的に叩かれているのを見ると、本人にも頭を下げて謝罪したのですから、個人を叩きまくるのはもういいではないかとも思います。こういう議員やアベ氏やアホウ氏のような人間を代表に選んだ責任というのもありますし。
とはいうものの、私もちょっと言わせてもらうと、謝罪会見で「配慮が足りなかった」と言ったのはいいとして、「早く結婚していただきたいという思いがあった」と言い訳したそうですが、この発言には呆れ果てました。「余計なお世話」です。この議員、驚いたことにすでに51歳とのこと。天命を知る年を過ぎても、こういうことはやってしまうのですね。興味半分で調べてみたら、この人過去にも色々やってます。海外視察報告書をウィキペディアから丸々コピペしたとか、魚釣島に無断上陸して警察沙汰になったとか、三つ子の魂なんとやらですかね。あかんわ、これでは。ちょっと叩きすぎでしょうか。