百醜千拙草

何とかやっています

不戦の誓い、不信の談話

2015-08-18 | Weblog
気がつくと、人生の残りの日々が何となく想像できるような年になりました。今の職場には15年以上おりますが、若い人々は来てもすぐに出て行ってしまう一方、我々より上の世代は長い間いるので、15年もの時間が経ったという実感がありません。15年前は一発当てて研究キャリアを軌道に乗せよう、という気持ちでやっていましたが、ようやく出た論文も、思うようなレベルに達せず、もう一本、もう一本という感じで、やっているうちに時間が過ぎてしまいました。いまとなっては、一流雑誌に論文が載ったところで人生がよい方に変わったりすることはまず期待できないと思います。逆に論文が出ないと悪い方に人生は変わると思います。
人生の残りを考えることが折々に増え、個人的には、いろいろなものに対する欲が減ったように思います。毎朝、生きて目がさめるだけで十分ありがたいと思えるようになりました。いろいろ心配したところで、世の中、何とかなるということもだいたい理解することもできましたから、心配するのもほどほどにするようになりました。

私でさえそうなのだから、もっと年上の人々は、達観されておられるだろう、と考えるのが筋ですが、この数年、悠々自適で老後を楽しく過ごしているはずの人々が、安倍政権のデタラメと日本の行く末を案じて、声をあげています。本当の戦争の悲惨さを骨身に沁みて知る世代の人々です。戦争を知らずにお坊ちゃんとして育てられて、他人の痛みを感じ取るだけの想像力と思考力を持たない安倍氏の危うさを感じているのでしょう。

ソソ、ソクラテスかプラトンか、野坂昭如さん、私は小説もシャンソンも数々の破天荒な行動も大好きでした。最近は、野坂さんのような才能と魅力に溢れる日本人が少なくなったような気がします。「火垂るの墓」で自身の戦争体験を描きましたが、今回、戦後70年というタイトルで大阪日日新聞に寄稿された文章を読みました。

気がつけば、かつて大日本帝国が急速に軍国化の一途をたどった時と同じ、世間がぼんやりしているうち、安保法案が衆院を通過、国民に説明不足といいながら、破滅への道を突っ走っている。 、、、戦争に負けたからこそ頑張れたとも言える。〈不戦の誓い〉をもつ国だからこそ、豊かになった。憲法9条を変えてはいけない。憲法9条は日本を守る。
言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは、国家、国体である。かつて愚鈍なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。安保法制は、戦争に近づく。血を流すことになる。


森村誠一氏 「安倍総理は戦争文化から何も学んでいない」

戦争によって得られるものがあるとすれば、それは戦争文化です。勝っても負けても絶対に行うべきではないということを学べます。安倍晋三総理は、多大な犠牲を払って得た戦争文化から何も学んでいない。
そして、今は戦争を美化する若い世代が多い。その人たちに言いたいのは、『戦争が始まったら、あなたがいちばん最初に死ぬ』ということ。戦場行きを拒否すれば、非国民として人生を破壊される。今の日本は70年前と同じにおいがしています」


男はつらいよ、山田洋次監督、「戦わないのが、この国のあり方」

安倍晋三首相が発表した戦後七十年談話については、自らの経験を踏まえて「日本人が中国や韓国の人たちにどれだけひどいことをしてきたのかという思いが込められていない。なぜもっと素直に謝罪できないのかな」と感想を述べた。
安保関連法案の成立を推し進めようとしている政府・与党の姿勢には「なぜ米国の戦争をお手伝いするための法律を一生懸命作らなきゃならないのか」と疑問を呈し、「法案は『何かあったら戦う』となっているが、『いざとなっても戦わない』というのがこの国のあり方」と話した。


そもそも、安倍政権の安保法案とは、日本の国防には何の関係もないものです。単にアメリカが仕掛けた中東での戦争へ無料奉仕してアメリカといっしょに恨みを買うためのものですから。戦前の体制への復帰を望む「日本会議」の危ない人々の一人である安倍氏の個人的な趣味とアメリカの要望が妙なところで一致したので、無理を承知でやっているのです。そのために憲法解釈を無理に変えようとし、さらにそのための言論統制法である「秘密保護法」を通してきたのです。正直言って、バカです。怪しげな詭弁で國民を騙そうとするからボロがでるのです。人間、正直にまさるものはありません。

その安倍氏の談話、やはりお粗末でした。都合よくに解釈できるようなあいまいな表現をしています。そこに誠実さはありません。言質をとられないための逃げの作文ですから、説得力がなく、聞いている方を白けさせるのです。この原稿を書いた東大官僚もそれをプロンプターを見ながらたどたどしく読む安倍氏も恥ずかしくないのでしょうか。

琉球新聞 社説 終戦70年式典 歴史認識が問われている から

天皇陛下が「さきの大戦への深い反省」に初めて言及したのに対し、安倍首相は「戦争の惨禍を繰り返さない」と述べたものの、歴代首相が言及してきたアジアへの加害責任とその反省について3年連続で触れなかった。
 傍観者的に見える首相の姿勢と、主体的に負の歴史に向き合う天皇陛下のお言葉との隔たりは大きい。安倍首相の「戦後70年談話」とともに、日本の侵略を受けたアジア諸国など海外からも注目を集めていたが、日本の宰相の不戦の誓いがどれほどの決意を帯びているのか。疑念を持たざるを得ない
安倍首相は過去2年はなかった「戦争をしない決意」に言及した。安保法制の成立を目指す中、批判を避けたいとの狙いがあろう。だが「反省」を欠いたまま、「歴史を直視して、常に謙抑を忘れない」と述べても説得力に欠ける。


この敗戦の記念の日、談話は、敗戦国の日本が、戦勝国と世界に対して、反省の意を示すための儀式だと思います。本心はどうあれ、心から反省しているという態度を見せる必要があります。この怪しげな安倍談話を聞いて、外国人の半分は、安倍氏の本心を読み取り、安倍政権がアメリカ軍事戦略に加担して、中東侵略に加担しようとしていることと、この談話で上部ばかりに触れた「不戦の誓い」との矛盾にますます不信感を募らせたことでしょう。
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