百醜千拙草

何とかやっています

カネに頼らない力

2015-08-07 | Weblog
アベ政権が押し進める異常な政策により、国民の生活はますます逼迫し、日本はテロの標的となり、アジア諸国から敵視され、国民資産は外資に売り渡され、弱者は切り捨てられ、言論は統制され、若者は徴兵されるような世の中になろうとしています。

政府に都合の悪い情報は隠蔽され、毎日300トンの汚染水は海に垂れ流さ続け、その影響は誰もわからない。社会には閉塞感が漂い、未来に希望が持てない若者は、戦争でも始まった方がマシだとさえ考えはじめ、あるいは世の中から離れて狭い世界に引きこもって、挙げ句に自殺したりする、そんな中で、力のない普通の人々はどうすればよいのでしょう。

前回のリーマンショックから7年経ち、市場暴落7年の法則によれば、今年は株式市場大暴落の年です。事実、バブル化したアメリカと日本の市場の株価は怪しい動きをしており、加えて、FRBは金利を上げる(かも知れない)というような話をしだしました。先日は、先物取引指標はリーマンショック時を下回ったという話を聞きました。また市場暴落と火事場泥棒が起こりそうな感じです。

私は、早ければ100年以内に、現在の資本主義は崩壊し、人々は中央銀行のカネに頼らない生活スタイルを模索していくことになるのではないかと思っております。
例えば、大分のある温泉地では、温泉で働くかわりに宿泊と温泉入浴を提供するというようなレジャーと労働の物々交換をしている例があるという話を聞きました。これによって温泉旅館の方は余剰のリソースを人件費と相殺できます。同じようなアイデアで世界を旅行する人々は、コミュニティーメンバーをお互いを自宅に泊め合う(カウチサーフィン)というようなネットワークを作っています。昔、ラーメン屋でも皿洗いの労働とラーメンを交換するというサービスもありました。物々交換は面倒ですがその分、カネへの依存度を減らせるのです。カネで支配されることから多少自由になれます。人と人との交流も促進します。利用するコミュニティメンバーが、「善い人」ばかりなら、このような共産主義的スタイルは有効に成り立つとおもいます。

イスラエルのキブツなどでは、コミュニティーメンバーになるのに厳しい審査があるそうです。共産主義が国家的にはうまく働かなかったのは、構成メンバーの人間のレベルを一定水準に保つのが不可能であったからだろうと思います。ある本によると、一般人口の25人に1人ぐらいは利己的で他人への思いやりに欠ける人格異常をもった人間なのだそうですから。

しかし、インターネットと同じように、小さな共産主義的コミュニティーが、つながり合うような社会は可能だと思います。国家という単位がもっと小さくなって、分権しつつ、悪人集団に対しては、有機的に協力して防衛するというような「粘菌」のようなシステムはできないものでしょうかね。人間の欲望と悪意を甘く見積もりすぎですかね。

人間の動物的欲望を利用した資本主義というシステムの害については我々は良く知っています。餓えて死ぬ子どもたちが世界中に大勢いる中で、日本では輸入して生産した食料の半分近くが廃棄されているそうです。その捨てるコンビニ弁当などの余剰の食料は、カネもうけの道具であるので「無料」で飢えている人々に配るわけにはいかないのです。バカげた話です。カネに支配される資本主義の世界では、カネを儲けるために、必要もないモノをつくって売らないといけないのです。そのために地球環境をどんどん破壊し、山を切り崩し、海を埋め立て、放射能まみれにし、動植物を根絶やしにし、ゴミを大量につくりだし、人間も他の生物も住めなくなるような場所にしてしまおうとしています。いまや、世の中にある「仕事」の8割はすでに必要のないもの、「仕事」のための「仕事」になっているように思います。サービス産業というのは必要度の低いものです。必要だと思っているサービス、医療サービスや法律サービスとかでさえ、本当に必要な部分は限られていると思います。カネを稼ぐためだけに存在するような「意味のない仕事」に人生の大半を費やすことは私には虚しく感じられるようになりました。

資本主義での人間性の喪失というのは、1) 人間は一度に一回限りの尊い人生を生きる。2) が、生きるためにはカネがいる。3)資本のないものは、カネを稼ぐために働かなければならない。4) 働くために生きなければならない(2に戻る)という、ループに捕われてしまうところにあると思います。一番大切な1) がスキップされてしまい、人間は単なるカネに支配される労働マシンになってしまうということです。本末転倒ですね。

カネを儲けたり貯めたりする必要がないような世の中になれば、格差は縮小し人々の自由度は増します。カネを貯める必要がないので、必要以上に働く必要もないし、カネがなくても色々なことができるようになります。あいにく、人間の「力」や「支配力」に対する動物的欲望は大きく、愚かにも人間はカネを使って他人を支配しようとします。そうした動物的欲望に従うことは人間としての成長を妨げることは自明です。

しかし、カネの支配から抜け出すための物々交換、サービスとサービスの直接交換は、いまやインターネットを通じてより簡単にできる可能性があるのではないでしょうか。カネに頼らないで物々交換でお互いに欲しいものを手に入れるには、欲しいものを見つける力や他人との交渉力など、スキルが必要となります。そういう力はこれからの世の中、ますます必要になっていると思います。安易にカネを多く儲ける方法を目指すよりも、より応用性の広い「カネがなくても生きていける能力」を身につける方が、有益で地球にもやさしいと私は思うのですが。
コメント
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