われわれが小学校で習ってきた日本の政治形態であるはずの「立憲主義、民主主義」とは何だろう。と思うことが多くなりました。
商品サンプルを見て頼んでみたら、現物はまったく別物だった、という話はよくあります。写真を見て会ってみたら別人だったということもあります。論文を信じてやってみたら、全く再現できなかった、というのはかなり高い確率で起こります。
立憲主義、民主主義とは、そんな商品サンプルや見合い用の写真や論文に使われているベストデータのように、あたかも現実に存在するかのように見えるが実は限りなく錯覚に近いものかもしれません。
日本が主権在民の立憲主義に基づく国家と信じたいのは、立憲民主主義という商品を買いたい客である一般国民であり、それを売る政府や官僚、アメリカ、その他の税金利権団体にとっては、できるだけクレームのでないレベルで低コストに抑えたいと思っているのでしょう。実際は、立憲民主主義というのは、比較的低いリスクで大勢の一般人から税金を集めるために生み出されたセールスキャッチに過ぎず、理想の社会形態を追求しようとして出てきたアイデアではないのではないか、とさえ勘ぐりたくなる昨今です。
アベ政権というのは、例えてみれば、ポッタクリバーと同じように行動しているように思います。長期的繁栄を考えれば、ボッタクリ バーは割にあいません。客は二度とやってこないし、悪評判は立つ、警察には目をつけられ、場合によっては仕返しされる。そんな大きなリスクがあるにもかかわらず、ボッタクリ バーが存在するのは、目先のことばかりで、先のことが考えらえないような人がいるからでしょう。
アベ政権は「選挙で選ばれた」とか「国会で審議をつくした」とか、あたかも体裁だけは、民主主義的手続きを踏んだ政権であることをアピールしながらも、やっていることは国民、沖縄県民の意思を無視した非民主主義、独裁政権です。表には、飲み放題、XXXポッキリとかの看板を出しておきながら、店内に入ったが最後、おつまみ一皿を十万円で売りつけるようなことをするのです。そして、アベ氏本人は、自分がやらされていることの善悪を実はわかっていないか、あるいは正しいとさえ信じてるのではないかとも思うのです。その辺が、この政権の救いのないところではないかと私は常々感じています。
先週末の東京新聞の社説。
辺野古着工 民主主義に背く強行だ
同じく東京新聞のコラムから。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html
小学生でも理解できるようにと、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」にある話だそうです。
商品サンプルを見て頼んでみたら、現物はまったく別物だった、という話はよくあります。写真を見て会ってみたら別人だったということもあります。論文を信じてやってみたら、全く再現できなかった、というのはかなり高い確率で起こります。
立憲主義、民主主義とは、そんな商品サンプルや見合い用の写真や論文に使われているベストデータのように、あたかも現実に存在するかのように見えるが実は限りなく錯覚に近いものかもしれません。
日本が主権在民の立憲主義に基づく国家と信じたいのは、立憲民主主義という商品を買いたい客である一般国民であり、それを売る政府や官僚、アメリカ、その他の税金利権団体にとっては、できるだけクレームのでないレベルで低コストに抑えたいと思っているのでしょう。実際は、立憲民主主義というのは、比較的低いリスクで大勢の一般人から税金を集めるために生み出されたセールスキャッチに過ぎず、理想の社会形態を追求しようとして出てきたアイデアではないのではないか、とさえ勘ぐりたくなる昨今です。
アベ政権というのは、例えてみれば、ポッタクリバーと同じように行動しているように思います。長期的繁栄を考えれば、ボッタクリ バーは割にあいません。客は二度とやってこないし、悪評判は立つ、警察には目をつけられ、場合によっては仕返しされる。そんな大きなリスクがあるにもかかわらず、ボッタクリ バーが存在するのは、目先のことばかりで、先のことが考えらえないような人がいるからでしょう。
アベ政権は「選挙で選ばれた」とか「国会で審議をつくした」とか、あたかも体裁だけは、民主主義的手続きを踏んだ政権であることをアピールしながらも、やっていることは国民、沖縄県民の意思を無視した非民主主義、独裁政権です。表には、飲み放題、XXXポッキリとかの看板を出しておきながら、店内に入ったが最後、おつまみ一皿を十万円で売りつけるようなことをするのです。そして、アベ氏本人は、自分がやらされていることの善悪を実はわかっていないか、あるいは正しいとさえ信じてるのではないかとも思うのです。その辺が、この政権の救いのないところではないかと私は常々感じています。
先週末の東京新聞の社説。
辺野古着工 民主主義に背く強行だ
沖縄県名護市辺野古で米軍基地の新設工事が始まった。海兵隊拠点の国外・県外移設を求める県民の民意を顧みない安倍政権の暴走だ。安全保障のみならず日本の民主主義の在り方をも問うている。、、、国土面積の1%にも満たない沖縄県には今も在日米軍専用施設の約74%が集中する。事故や騒音、米兵による犯罪に加え、米軍の戦争に加担しているという心理的圧迫など、基地集中による重い負担を、県民は強いられている。、、、しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、「抑止力」を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。、、、県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名には値しない。
同じく東京新聞のコラムから。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html
掃除当番は面倒なものです。誰も進んでやりたくない仕事です。でも、毎日、誰かが引き受けなければなりません。そこで、こんな提案がありました。「誰か一人にやってもらおう」そうして、「誰か」にA君が指名されてしまいました。来る日も、来る日もA君が一人で掃除当番を引き受けるという案です。
みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数になってしまいました。、、、さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。こんな多数決は有効なのでしょうか。
「A君に毎日、掃除当番をさせる」という多数決の結論は、「多数の横暴」そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意さえ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。民意もまた正しくないことがあるからです。ナチス・ドイツのときが典型例でしょう。
みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数になってしまいました。、、、さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。こんな多数決は有効なのでしょうか。
「A君に毎日、掃除当番をさせる」という多数決の結論は、「多数の横暴」そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意さえ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。民意もまた正しくないことがあるからです。ナチス・ドイツのときが典型例でしょう。
小学生でも理解できるようにと、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」にある話だそうです。