3連発のエディトリアル リジェクションの後、ようやく、そこそこの雑誌に論文が引っかかりました。4ページにわたるレビューアからのコメントで、ちょっとリバイスは大変そうですが、なんとかなりそうです。なんとかなるというのは、私の得意技に持ち込めそうだというだけのことで、レビューアの批判に完璧に回答できるという意味ではありません。
自慢ではないですが、私は「寝技」に持ち込むのが得意なのです。この辺が地を這う地味な研究者たる所以です。リジェクトさえ食らわなければ、かなりチャンスはあります。もちろん、レビューアの批判に対して100点満点の回答ができればベストですが、そこそこのジャーナルでは結構、無理難題を言ってきますから、それに完璧に答えるのは不可能です。
しかし、レビューアの批判に完璧に回答することは、ここでのゴールではなく、ゴールは、論文を通すことです。すなわち、レビューアにアクセプトボタンを押せることであり、ゆえに、レビューアをそのような気持ちにようにさせる駆け引きの技術、心理的テクニックが有用となってきます。つまり、リバイスでのボトムラインは、レビューアがリジェクトする強い理由を書けないレベルまでにじり寄って「まあ、仕方がないからアクセプトにしてやるか」という気持ちにさせることです(と思います)。
そこで、コメントの行間を読み、各レビューアの立ち位置と心理を推測しつつ、間合いを測って、相手の最低限の要求を見切った上で、そのラインよりあと一歩、余分に踏み込んだ辺りを目標にして、リバイスの戦略を立てます。
長年の経験で、このようなセールス活動は、上達してきました。レビューアも人間です。相手の良心、罪悪感、同情心、恐怖感、それぞれを微妙に刺激しつつ、じりじりと自分の陣地を広げていくのです。例えるならば、飛び込みセールス。ドアを開けてもらえることができたならば、さりげなくドアにつま先を入れてから、自然と相手がとにかくノーと言えない状況へと持って行くわけです。話が終わるころには、体全体が玄関の中に入ってしまっていながら、相手はそれに気がつかないという状況が理想です。
こう書くと、私がとんでもなくイヤらしいゲス男のように聞こえますけど、普通の社会生活を送っている人なら誰でも、こういった心理的マニピュレーションを意識的、無意識的に行っていると思います。私は論文やグラントを書いたりレビューしたりする経験を経て、レビュープロセスにおける心理的側面を意識的に客観視して評価することが多少できるようになったというだけのことです。
とはいうものの、勝負は水物。まれに、原理主義者で頑ななこだわりを持っていて、心理戦が効かないレビューアがおります。そういうレビューアがに当たってアクセプトを拒否すれば、商業雑誌のエディターとしては、それをオーバー ルールできないでしょうから、その場合は、あきらめるより仕方がありません。
本音では、寝技で「この辺で、どうかお許しください」とすがるよりは、大技の一本勝ちで「どんなもんだ」とでも言ってみたい、と実は思っております。
自慢ではないですが、私は「寝技」に持ち込むのが得意なのです。この辺が地を這う地味な研究者たる所以です。リジェクトさえ食らわなければ、かなりチャンスはあります。もちろん、レビューアの批判に対して100点満点の回答ができればベストですが、そこそこのジャーナルでは結構、無理難題を言ってきますから、それに完璧に答えるのは不可能です。
しかし、レビューアの批判に完璧に回答することは、ここでのゴールではなく、ゴールは、論文を通すことです。すなわち、レビューアにアクセプトボタンを押せることであり、ゆえに、レビューアをそのような気持ちにようにさせる駆け引きの技術、心理的テクニックが有用となってきます。つまり、リバイスでのボトムラインは、レビューアがリジェクトする強い理由を書けないレベルまでにじり寄って「まあ、仕方がないからアクセプトにしてやるか」という気持ちにさせることです(と思います)。
そこで、コメントの行間を読み、各レビューアの立ち位置と心理を推測しつつ、間合いを測って、相手の最低限の要求を見切った上で、そのラインよりあと一歩、余分に踏み込んだ辺りを目標にして、リバイスの戦略を立てます。
長年の経験で、このようなセールス活動は、上達してきました。レビューアも人間です。相手の良心、罪悪感、同情心、恐怖感、それぞれを微妙に刺激しつつ、じりじりと自分の陣地を広げていくのです。例えるならば、飛び込みセールス。ドアを開けてもらえることができたならば、さりげなくドアにつま先を入れてから、自然と相手がとにかくノーと言えない状況へと持って行くわけです。話が終わるころには、体全体が玄関の中に入ってしまっていながら、相手はそれに気がつかないという状況が理想です。
こう書くと、私がとんでもなくイヤらしいゲス男のように聞こえますけど、普通の社会生活を送っている人なら誰でも、こういった心理的マニピュレーションを意識的、無意識的に行っていると思います。私は論文やグラントを書いたりレビューしたりする経験を経て、レビュープロセスにおける心理的側面を意識的に客観視して評価することが多少できるようになったというだけのことです。
とはいうものの、勝負は水物。まれに、原理主義者で頑ななこだわりを持っていて、心理戦が効かないレビューアがおります。そういうレビューアがに当たってアクセプトを拒否すれば、商業雑誌のエディターとしては、それをオーバー ルールできないでしょうから、その場合は、あきらめるより仕方がありません。
本音では、寝技で「この辺で、どうかお許しください」とすがるよりは、大技の一本勝ちで「どんなもんだ」とでも言ってみたい、と実は思っております。