ピアニスト、Martha ArgerichがRoyal Philharmonic Society ゴールドメダルを受賞したというニュース。ブラームス、ラフマニノフ、ルービンシュタインらが受賞したという由緒ある賞だそうです。
私は、クラッシックピアノのファンというわけではないですが、Youtubeのおかげで、いろいろ節操なく聞くようになりました。バッハを好んで聴き始めたのはいつごろからなのかよく覚えておりません。若手の多くのピアニストはやはりロマン派の技巧的な曲を好むようで、若手でバッハを弾く人は少ないです。
バッハの曲を物色しているときに、アルゲリッチのパルティータ2番の演奏をみつけ、これを聴いて、私もこの曲を練習してみようと思ったのでした。バッハのファンからすれば、いろいろ意見もあるでしょうが、一言で言えば、アルゲリッチは天才なのでしょう。この手の天才タイプの人は何でも好き嫌いなく、パラパラと弾いてしまうのでしょう。スキーで言えばダウンヒル用の板でモーグルをするようなものではないでしょうか。
パルティータの中で二番は最も人気のある曲で、アルゲリッチがメインのピアノ協奏曲の後のアンコールで、最後の楽章のカプリッチオ(奇想曲)を弾いているのを見たことがあります。カプリッチオはスピード感があって派手目だからウケがよいのでしょう。
それはともかく、バッハ弾きでもないアルゲリッチが天才的パルティータを弾くのをみて、バイエルの1年目でドロップアウトした私も挑戦してみたいという気分になりました。それから一年半ばかり経ちました。週末にボツボツ練習しただけですが、人間というのは不思議な生き物で、何かをチマチマとやっているとちょっとずつでも上達していくのです。私は、音符を読むことはできたので、自己流でちょっとずつやっていたら、一年かけて全然ダメのレベルから多少は弾けるというレベルなってきたのです。とは言っても、人に聞かせれるレベルではありません。パルティータの二番は6つの部分からなる組曲で、序章のシンフォニアと最後のカプリッチョの間に、アルマンド、クーラント、サラバンド、とロンドの4つの舞曲が挟まれています。技術的に難しいのは最初のシンフォニアの後半と最後のカプリッチオで、弾くだけならば、残りの4つはそれほどでもないように見えます。
それで、最初に簡単なサラバンド、次にアルマンドをやりました。二声の対位法なので、初級レベルだと思いますが、なにしろバイエルでドロップアウトした私ですから、右手と左手が別々のメロディーを弾くというのがなかなか出来ず、この二つで数ヶ月かかりました。さらに数ヶ月でシンフォニアとカプリッチオを除く4つがなんとか弾けるようになり、ひょっとしたら、死ぬまでに全曲弾けるようになるという目標が叶うのではないかと思い始めました。シンフォニアに行くか、それともカプリッチオに行くかと悩んだ末、カプリッチオをやってみることにしました。アルゲリッチのYouTubeでの演奏では、ロンドの最後の盛り上がりからそのまま、スピードを上げてカプリッチオへ高速で突入していく辺りが快感を呼びます。見ていて、これは私には無理だと思いました。最初の数小節を弾いてみて、これはやっぱり絶対無理だと思いました。それでも、とりあえずさいしょの4小節をやってみようとそればかり練習していたら、不思議なものです。ちょっとずつ弾けるようになりました。これには我ながら驚きました。絶対無理のレベルからひょっとしたら、ぐらいになってきました。結局、数ヶ月かけて、ゆっくりならば音をなぞれるぐらいのレベルになりました。アルゲリッチのスピードの5倍は遅いスピードです。それからスピードをすこしずつ上げてきて、今では2倍遅いぐらいまできました。でもここからが無理です。これ以上のスピードになると、必ず間違えます。プロは私よりも2倍は早いスピードで弾いて間違えず、かつ感動を与えるような表現力を観客の前で示すのですから、大したものです。
研究においてはどうだろうか、と考えてみました。私はどうみても凡人です。凡人ながらそれでも研究をやってこれているのは、たまたま、自分の小さな居場所を発見することができて、そこで大海の荒波にさらわれることがなく、チマチマと続けることができたからです。たまに、全く関係のないホットな分野のセミナーやシンポジウムに出て、大海の荒波を感じると、そのことを痛感します。世の中にはマトモに立ち向かえば全く勝負にならないような「天才」がごろごろしているのだということを実感させられます。残念ですが、そんな天才とマトモにぶつかっては勝負になりません。しかし、それでも絶対無理と最初は思ったようなことでも、ちょっとずつやっていると、少しずつ成果がでて、そうしている間にそれなりに論文になったりしたりしています。
凡人が天才の真似をしても、うまくいきません。凡人の戦い方やゴールがあると思っております。私がアルゲリッチやグールドのように弾くのはこれは絶対に無理です。でもヘタはヘタなりの楽しみを見つけて日々楽しく生きることが、私のゴールです。研究という点でも第一のゴールはそこにあります。そして、第二に自分のフィールドでそれなりの貢献をしていくということだと考えております。この両方が、ある程度達成できていれれば、続けていくことができるように思います。
私は、クラッシックピアノのファンというわけではないですが、Youtubeのおかげで、いろいろ節操なく聞くようになりました。バッハを好んで聴き始めたのはいつごろからなのかよく覚えておりません。若手の多くのピアニストはやはりロマン派の技巧的な曲を好むようで、若手でバッハを弾く人は少ないです。
バッハの曲を物色しているときに、アルゲリッチのパルティータ2番の演奏をみつけ、これを聴いて、私もこの曲を練習してみようと思ったのでした。バッハのファンからすれば、いろいろ意見もあるでしょうが、一言で言えば、アルゲリッチは天才なのでしょう。この手の天才タイプの人は何でも好き嫌いなく、パラパラと弾いてしまうのでしょう。スキーで言えばダウンヒル用の板でモーグルをするようなものではないでしょうか。
パルティータの中で二番は最も人気のある曲で、アルゲリッチがメインのピアノ協奏曲の後のアンコールで、最後の楽章のカプリッチオ(奇想曲)を弾いているのを見たことがあります。カプリッチオはスピード感があって派手目だからウケがよいのでしょう。
それはともかく、バッハ弾きでもないアルゲリッチが天才的パルティータを弾くのをみて、バイエルの1年目でドロップアウトした私も挑戦してみたいという気分になりました。それから一年半ばかり経ちました。週末にボツボツ練習しただけですが、人間というのは不思議な生き物で、何かをチマチマとやっているとちょっとずつでも上達していくのです。私は、音符を読むことはできたので、自己流でちょっとずつやっていたら、一年かけて全然ダメのレベルから多少は弾けるというレベルなってきたのです。とは言っても、人に聞かせれるレベルではありません。パルティータの二番は6つの部分からなる組曲で、序章のシンフォニアと最後のカプリッチョの間に、アルマンド、クーラント、サラバンド、とロンドの4つの舞曲が挟まれています。技術的に難しいのは最初のシンフォニアの後半と最後のカプリッチオで、弾くだけならば、残りの4つはそれほどでもないように見えます。
それで、最初に簡単なサラバンド、次にアルマンドをやりました。二声の対位法なので、初級レベルだと思いますが、なにしろバイエルでドロップアウトした私ですから、右手と左手が別々のメロディーを弾くというのがなかなか出来ず、この二つで数ヶ月かかりました。さらに数ヶ月でシンフォニアとカプリッチオを除く4つがなんとか弾けるようになり、ひょっとしたら、死ぬまでに全曲弾けるようになるという目標が叶うのではないかと思い始めました。シンフォニアに行くか、それともカプリッチオに行くかと悩んだ末、カプリッチオをやってみることにしました。アルゲリッチのYouTubeでの演奏では、ロンドの最後の盛り上がりからそのまま、スピードを上げてカプリッチオへ高速で突入していく辺りが快感を呼びます。見ていて、これは私には無理だと思いました。最初の数小節を弾いてみて、これはやっぱり絶対無理だと思いました。それでも、とりあえずさいしょの4小節をやってみようとそればかり練習していたら、不思議なものです。ちょっとずつ弾けるようになりました。これには我ながら驚きました。絶対無理のレベルからひょっとしたら、ぐらいになってきました。結局、数ヶ月かけて、ゆっくりならば音をなぞれるぐらいのレベルになりました。アルゲリッチのスピードの5倍は遅いスピードです。それからスピードをすこしずつ上げてきて、今では2倍遅いぐらいまできました。でもここからが無理です。これ以上のスピードになると、必ず間違えます。プロは私よりも2倍は早いスピードで弾いて間違えず、かつ感動を与えるような表現力を観客の前で示すのですから、大したものです。
研究においてはどうだろうか、と考えてみました。私はどうみても凡人です。凡人ながらそれでも研究をやってこれているのは、たまたま、自分の小さな居場所を発見することができて、そこで大海の荒波にさらわれることがなく、チマチマと続けることができたからです。たまに、全く関係のないホットな分野のセミナーやシンポジウムに出て、大海の荒波を感じると、そのことを痛感します。世の中にはマトモに立ち向かえば全く勝負にならないような「天才」がごろごろしているのだということを実感させられます。残念ですが、そんな天才とマトモにぶつかっては勝負になりません。しかし、それでも絶対無理と最初は思ったようなことでも、ちょっとずつやっていると、少しずつ成果がでて、そうしている間にそれなりに論文になったりしたりしています。
凡人が天才の真似をしても、うまくいきません。凡人の戦い方やゴールがあると思っております。私がアルゲリッチやグールドのように弾くのはこれは絶対に無理です。でもヘタはヘタなりの楽しみを見つけて日々楽しく生きることが、私のゴールです。研究という点でも第一のゴールはそこにあります。そして、第二に自分のフィールドでそれなりの貢献をしていくということだと考えております。この両方が、ある程度達成できていれれば、続けていくことができるように思います。