先日、とある大手製薬会社が主催した「交流会」に行ってみました。目的は人材の発掘ということらしく、多分50-60人の参加者の半分ぐらいが、転職に興味があったのではないかと思います。交流会とはいうものの、前半は、就職説明会みたいな感じでした。その後、参加者と会社関係者とでmignlingが始まったのですが、私は、たまたま隣にいたイメージング技術の開発などをしている工学系の研究者の人に、この方も製薬会社への転職の希望はないとのことなので、いろいろ面白い話を聞かせて貰っていました。
そこへ会社の研究開発部門の人がやってきたので、アカデミアとの共同研究への取り組みや、研究開発のストラテジーなどを聞いてみました。ま、バイオテクや中堅製薬会社のR&Dにいる人に聞いているのとと同じような話です。会社ですから、規模と制約は大きいですが、アカデミアの研究室と基本的な部分では変わらないな、と思いました。そして、そのワケは、ひょっとしたら実は、アカデミアの研究の方が製薬会社の研究スタイルに近くなってきたからではないか、と私は思い直しました。
アカデミアでもグラントを取って出版し続けないと回らないわけで、その点では、研究資金を調達して薬にして利潤をあげないと回らない製薬会社と同じです。利益の出せる製品を出すためには人々のニーズに応えないといけません。同様に、アカデミアでグラントを取るためには、やはり人々の興味のあることで、インパクトのある計画を提出する必要があります。生命科学系だと、どうしても病気とのつながりについて議論せざるを得ませんし、そうなると、その研究が如何にその関連した病気の治療や予防に役に立つかという具体的な話に自然となって、最近では、結局、Translationalな研究、製薬会社がやるような研究のミクロ版みたいなものを計画書に入れざるを得なくなる、という感じになっています。以前ならば、病気とのつながりは、本題に入るための落語のマクラみたいなもので、形式的なのでしたが、いまや競争も激しくなってきており、パッと見てそのインパクトが明らかな研究、実際的なものにすごく役に立つような研究が高評価を得るような傾向が進んできたために、疾病との関連性は単なるマクラでは通らなくなってきました。ま、計画書を評価する立場に立ってみれば、それはそうだろうと思います。数十とある申請書から最終的にトップ1-2割を選別するわけですから、シンプルで意義が明らかな研究ほど最終候補に残る可能性が高くなるわけで、従って、何らかの実利的効果が期待できる研究が選ばれやすい、ということだと思います。
ただ、製薬会社と違うのは、アカデミアで研究費申請の研究計画というのはあくまで、金を取ってくるための方便にすぎないということだと思います。もちろん、実績がないと金は取れないので、なんでもウケそうなネタを書けばよいというわけではなく、ある程度の本気度は必要です。しかし、研究計画を立てて、研究申請書を出して、運良くそれが当たって、実際に研究費が支払われるまでの間には、年単位の時間がかかることも多いわけで、現代のように進歩の激しい研究業界では、一年前の素晴らしい計画が、実際に研究費が下りたころには、まったく無意味な研究に成り下がってしまうということもしばしばあります。ですので、研究費は必ずしも計画を遂行するためではなく、もっとも有意義な結果を出せる活動に使われることになります。しかし、おそらく製薬会社ではそういうわけにはいかないでしょう。研究の中身と資金はかなり厳密にコントロールされるであろうと予想されます。事実、とある製薬会社からの小さなグラントをもらっている知人は、半年で3回の会社側とのミーティングとシンポジウムでの発表を課せられたとボヤいておりました。これではグラントというよりコントラクトです。
会社側の人は、企業での研究はチームプレーであることを強調し、それぞれの持ち場で、社員が生きがいを持って働いているという話をするわけで、勿論、その通りなのですが、合う合わないがありますね。私は和を尊ぶ平和主義者ですが、チームプレーとか体育会とか、トモダチとか絆とか、アベ自民党とかは、どうも、ちょっと。
そこへ会社の研究開発部門の人がやってきたので、アカデミアとの共同研究への取り組みや、研究開発のストラテジーなどを聞いてみました。ま、バイオテクや中堅製薬会社のR&Dにいる人に聞いているのとと同じような話です。会社ですから、規模と制約は大きいですが、アカデミアの研究室と基本的な部分では変わらないな、と思いました。そして、そのワケは、ひょっとしたら実は、アカデミアの研究の方が製薬会社の研究スタイルに近くなってきたからではないか、と私は思い直しました。
アカデミアでもグラントを取って出版し続けないと回らないわけで、その点では、研究資金を調達して薬にして利潤をあげないと回らない製薬会社と同じです。利益の出せる製品を出すためには人々のニーズに応えないといけません。同様に、アカデミアでグラントを取るためには、やはり人々の興味のあることで、インパクトのある計画を提出する必要があります。生命科学系だと、どうしても病気とのつながりについて議論せざるを得ませんし、そうなると、その研究が如何にその関連した病気の治療や予防に役に立つかという具体的な話に自然となって、最近では、結局、Translationalな研究、製薬会社がやるような研究のミクロ版みたいなものを計画書に入れざるを得なくなる、という感じになっています。以前ならば、病気とのつながりは、本題に入るための落語のマクラみたいなもので、形式的なのでしたが、いまや競争も激しくなってきており、パッと見てそのインパクトが明らかな研究、実際的なものにすごく役に立つような研究が高評価を得るような傾向が進んできたために、疾病との関連性は単なるマクラでは通らなくなってきました。ま、計画書を評価する立場に立ってみれば、それはそうだろうと思います。数十とある申請書から最終的にトップ1-2割を選別するわけですから、シンプルで意義が明らかな研究ほど最終候補に残る可能性が高くなるわけで、従って、何らかの実利的効果が期待できる研究が選ばれやすい、ということだと思います。
ただ、製薬会社と違うのは、アカデミアで研究費申請の研究計画というのはあくまで、金を取ってくるための方便にすぎないということだと思います。もちろん、実績がないと金は取れないので、なんでもウケそうなネタを書けばよいというわけではなく、ある程度の本気度は必要です。しかし、研究計画を立てて、研究申請書を出して、運良くそれが当たって、実際に研究費が支払われるまでの間には、年単位の時間がかかることも多いわけで、現代のように進歩の激しい研究業界では、一年前の素晴らしい計画が、実際に研究費が下りたころには、まったく無意味な研究に成り下がってしまうということもしばしばあります。ですので、研究費は必ずしも計画を遂行するためではなく、もっとも有意義な結果を出せる活動に使われることになります。しかし、おそらく製薬会社ではそういうわけにはいかないでしょう。研究の中身と資金はかなり厳密にコントロールされるであろうと予想されます。事実、とある製薬会社からの小さなグラントをもらっている知人は、半年で3回の会社側とのミーティングとシンポジウムでの発表を課せられたとボヤいておりました。これではグラントというよりコントラクトです。
会社側の人は、企業での研究はチームプレーであることを強調し、それぞれの持ち場で、社員が生きがいを持って働いているという話をするわけで、勿論、その通りなのですが、合う合わないがありますね。私は和を尊ぶ平和主義者ですが、チームプレーとか体育会とか、トモダチとか絆とか、アベ自民党とかは、どうも、ちょっと。