資本主義の世の中、つまり現在ならカネですね、カネのために働き、カネを使って人をコントロールし、カネのためには(他人の)命や地球環境の犠牲もやむを得ぬ、そういう考えの人間が、国のトップにいるというのは不幸なことです。(そうでなかった例は少ないかもしれませんけど)ウルグアイのムヒカ大統領の話が、人々の心を打つのも、そういうカネ第一主義の政治家しか見当たらないという理由かもしれません。
ま、それはともかく、資本主義の原理で動く社会に大勢の人々が生活しているのだから、そこで生きて行くためには、好きキライは置いておいて、「結局、世の中カネよ」という理屈で社会は動いているという現実は受け止めて、それに対処していくしかありません。アカデミアも例外ではありません。
先日、医学部の学生さんとたまたま話をする機会がありました。休みを利用して体験した基礎研究が楽しかったようで、目をキラキラさせながら、「医学研究をしたいので、卒後に海外の大学院に進みたいです」という話をするので、どう反応すべきか、しばらく沈黙してしまいました。
初対面の人だし、本来、研究の夢を語り、研究で生きて行くのは大変なこともあるけれど報われることもあるよ、みたいな話をすべきだったのでしょうが、結局は、つい、「へへへ、旦那、地獄の沙汰もカネ次第でっせ」みたいな話をしてしまい、すっかり鼻白ませてしまいました。本音はそのような現実の中で、カネではないところを目指して頑張りましょう、と言いたかったのですけど。
少なくともアメリカでは、アカデミアで研究で成功できるかどうかは、どれだけカネを取ってこれるかに依存し、それによってポジションも昇進も決まると言ってよいのではないかと思います。研究者に論文や仕事のインパクトが求められるのは、突き詰めれば、インパクトのある仕事を出せば研究費を取れる確率が上がるからに他なりません。研究費がなければ研究もできないし、研究費を取れないと、研究費についてくる間接経費を当てにしている大学やその雇用者の生活にも響きます。すると仕事は出ない、インフラは劣化する、人も雇えない、仕事がでないからカネも当たらないという負のスパイラルに落ち込むというワケです。
それで、その医学部の学生さんには、とりあえず学生時代には良い成績を取っておくこと、良い師を求めること、奨学金には積極的に応募すること、などを伝えました。私が若いときに、そうしたことに真面目に取り組まなかったことを今になって後悔しているからです。私、大学の専門の勉強は嫌いではなかったのですが、試験に関しては通ればよいとしか考えていなかったので、卒後随分してから、自分の成績表を取り寄せてみて、あまりの出来の悪さに我ながら情けなくなりました。試験はよい成績でパスしておかないと奨学金を取れる確率が減ります。奨学金が取れないと、一流の研究室の一流の師のもとで研究をするという機会を得ることが困難になり、したがって、インパクトのある論文を出せる確率が低くなり、よい論文が出せないと独立してやりたい研究をするためのポジションや資金を得る確率が低くなります。やはり、二流の施設の二流のラボから一流の仕事を出すのはなかなか困難です。
ま、そうやってゴールを設定してその達成のためにひたすら頑張るという人生が幸せかどうかは別問題です。しかし現実問題として、やりたい研究をやるためには、背水の陣で文字通り生き残りをかけてやってくる世界中の研究者とポジションとカネを奪い合うという競争に勝ち残らねばならない、という現実は急には変わりません。研究をやりたいからと、独身を選んだ有名ステムセル研究者の例もあります。それだけの献身と情熱を払ったからこそ彼女の成功があると思います。
しかし、私は、カネとポジションは奪い合うのではなく、回しあう方が、長期的にはプラスだろうと思っているのですが。
とりあえずは、まずは先立つものがあってこそ、研究も学問も物好きの暇つぶしと言ってしまえば、道楽にカネがかかるのは当たり前の話ではあるのですが。
ま、それはともかく、資本主義の原理で動く社会に大勢の人々が生活しているのだから、そこで生きて行くためには、好きキライは置いておいて、「結局、世の中カネよ」という理屈で社会は動いているという現実は受け止めて、それに対処していくしかありません。アカデミアも例外ではありません。
先日、医学部の学生さんとたまたま話をする機会がありました。休みを利用して体験した基礎研究が楽しかったようで、目をキラキラさせながら、「医学研究をしたいので、卒後に海外の大学院に進みたいです」という話をするので、どう反応すべきか、しばらく沈黙してしまいました。
初対面の人だし、本来、研究の夢を語り、研究で生きて行くのは大変なこともあるけれど報われることもあるよ、みたいな話をすべきだったのでしょうが、結局は、つい、「へへへ、旦那、地獄の沙汰もカネ次第でっせ」みたいな話をしてしまい、すっかり鼻白ませてしまいました。本音はそのような現実の中で、カネではないところを目指して頑張りましょう、と言いたかったのですけど。
少なくともアメリカでは、アカデミアで研究で成功できるかどうかは、どれだけカネを取ってこれるかに依存し、それによってポジションも昇進も決まると言ってよいのではないかと思います。研究者に論文や仕事のインパクトが求められるのは、突き詰めれば、インパクトのある仕事を出せば研究費を取れる確率が上がるからに他なりません。研究費がなければ研究もできないし、研究費を取れないと、研究費についてくる間接経費を当てにしている大学やその雇用者の生活にも響きます。すると仕事は出ない、インフラは劣化する、人も雇えない、仕事がでないからカネも当たらないという負のスパイラルに落ち込むというワケです。
それで、その医学部の学生さんには、とりあえず学生時代には良い成績を取っておくこと、良い師を求めること、奨学金には積極的に応募すること、などを伝えました。私が若いときに、そうしたことに真面目に取り組まなかったことを今になって後悔しているからです。私、大学の専門の勉強は嫌いではなかったのですが、試験に関しては通ればよいとしか考えていなかったので、卒後随分してから、自分の成績表を取り寄せてみて、あまりの出来の悪さに我ながら情けなくなりました。試験はよい成績でパスしておかないと奨学金を取れる確率が減ります。奨学金が取れないと、一流の研究室の一流の師のもとで研究をするという機会を得ることが困難になり、したがって、インパクトのある論文を出せる確率が低くなり、よい論文が出せないと独立してやりたい研究をするためのポジションや資金を得る確率が低くなります。やはり、二流の施設の二流のラボから一流の仕事を出すのはなかなか困難です。
ま、そうやってゴールを設定してその達成のためにひたすら頑張るという人生が幸せかどうかは別問題です。しかし現実問題として、やりたい研究をやるためには、背水の陣で文字通り生き残りをかけてやってくる世界中の研究者とポジションとカネを奪い合うという競争に勝ち残らねばならない、という現実は急には変わりません。研究をやりたいからと、独身を選んだ有名ステムセル研究者の例もあります。それだけの献身と情熱を払ったからこそ彼女の成功があると思います。
しかし、私は、カネとポジションは奪い合うのではなく、回しあう方が、長期的にはプラスだろうと思っているのですが。
とりあえずは、まずは先立つものがあってこそ、研究も学問も物好きの暇つぶしと言ってしまえば、道楽にカネがかかるのは当たり前の話ではあるのですが。