百醜千拙草

何とかやっています

Dance with My Father

2016-06-21 | Weblog
日曜日は「父の日」でした。
自分が子供のころ、「父の日」という日があったかどうか、それを祝っていたかどうか、よく覚えておりません。母の日にカーネーションというのはあったような気がします。子供の時は、両親に何か特別なことをしたこともなく、ワガママで自分勝手で、親孝行というものをしたことのない不孝者の子供でした。

土曜日にちょっとだけ仕事をして昼過ぎに帰ってきて、何か軽く食べようと思って冷蔵庫を開けると、「父の日おめでとう」と書いたカードとチョコレートを抱いた小さなクマのぬいぐるみが冷えていました。
ウチの二人の息子たちの贈り物です。

自分は自分の父に何もしたことがないし、子供も放置してきたのに、ウチの子供たちは、ちゃんとそんな父親を気遣ってくれるのです。何と幸福なことだろうかと思います。子供が、思いやりのある「良い人間」に育って、そして健康で幸せに暮らしてくれること、親にとってそれ以上の喜びはないです。私は恵まれているのだなあとつくづく思いました。

孝行したいときには親はなし、とはよく言ったもので、私の父親は、私が何一つ孝行らしいことをしたこともないうちに、突然、この世を去ってしまいました。その時は随分、後悔しました。その後悔も、のど元過ぎればなんとやら、それからずいぶんの月日が流れ、日々の数々の瑣末事の前に父親のことを思い出すことも少なくなりました。

今年の夏は父の法事があります。それが終わってしばらくすると、私は父親よりも年上になるのです。そう思うと時の過ぎる速さに驚きます。

父は、カッコいい不良であり、会社員であり、それから独立して商売を始め、零細ながらもシャチョーをやっていた人でした。親分肌で若い人にも友人にも慕われていたと思います。我が身と比べてみると、その父親よりも年上になろうかという年齢になっても私はいまだに子供のままだなあ、と感じます。昔の私は、クズではありましたが不良ではなく、カッコ悪いことから逃げようとするために却って醜態を晒すタイプで、人と関わるのが苦手なくせに寂しがり屋、といういじけた子供でした。最近、多少はマシになりましたが、やっぱり三つ子の魂です。ま、それでもいいか、とは思っておりますが。

若いとき好きだったLuther Vandrosが10年ちょっと前に死んだ時、ラジオで繰り返し掛かったのは、遺作となった「Dance with My Father」でした。2003年にグラミーでSong of the Yearとなったこの曲は、糖尿病の合併症で亡くなった自身の父を歌ったものでしたが、その翌年、今度はLuther自身が糖尿病の合併症で亡くなることになったのでした。

早くして亡くなってしまった父親、その父親との思い出、夫を失った母の悲しみ、しみじみと歌われるのを聞いていると、当時は、まるでLuther自身が自分の死について歌ったかのようにも思えて、妙に泣けてきたものでした。

私の父親が死んでから随分経ちますが、夢に出てきてくれたのはほんの数回です。そのうち時間が来れば、また会うことになるでしょうが、きっと、その時は私の方が年寄りになっているのでしょうね。そんなことを思いながら、この曲を聞いていました。
久しぶりに聞いてもやっぱりちょっと泣けますね。



追記。このビデオクリップに出てくる数々の有名人の人々は、病気で倒れてPVに自ら出ることができないLutherに代わって出演したものだそうです。
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