オンライン学会が終わり、日常に復帰しました。といっても、オンラインだったので物理的に日常が遮断されたわけでもなく、スムーズに継ぎ目なく移行し、喜んでいます。学会のアンケートには、オンライン学会でなければ来年は参加しないと書きました。
学会の最終プログラムの後には学会とは無関係のオンラインセミナーが早速ありました。普通なら移動日ですから参加できないものです。それが一瞬にして画面を切り替えれば一つのイベントから別の会場へと行けます。身の回りはいつも通りなので、日常と非日常が入り混じったような妙な感じがします。
このZoomで行われたセミナーは数年前にイギリスに移ったとあるアメリカ人(と思う)研究者のセミナーで100人ほどの聴衆の中にはノーベル賞受賞者を含む数人の有名人もいました。十数年前は、この人の論文をしょっちゅう有名雑誌で目にしていたので、話を聞いてみたいと思っていましたが、機会は一度もないままでした。が、コロナのおかげでセミナーがバーチャルになったので、初めて話を聞く機会を得ました。話の内容はかなりマニアックな分野の基礎的な研究を掘り下げたもので、かつハエの系を使っていたのでちょっと私の興味とはずいぶんずれていましたけど、話を直接聞けてよかったです。どうも自宅からZoomで参加していたようで、背景にエレキギターや楽器が並んでいるのが見え、私生活も垣間見れたのが興味深かったです。そういえば、数年前のCheck point inhibitorでノーベル賞となったJim Allisonもハーモニカ とボーカルのブルースロック演奏が趣味でした。
この人は、アメリカの大学を出ているのでアメリカ人だと思っていたのですけど、軽いイギリス訛りがありました。数年のイギリス生活で訛りも移ったのかも知れません。逆のパターンは知りません。イギリス人でアメリカ生活が長い人でもイギリス訛りのままの人が多いように思います。また、我々のように英語が母国語でない場合は、正しい文法で適切な言葉づかいで喋るかぎり、外国訛りはある方が、英語を第二外国語として習得したことがわかるので、知的な印象を与えるようです。
そもそもかつてイギリス本土で喋られていた英語は今のアメリカ東部で話されているような発音であったという話を聞いたことがあります。アメリカに移住した清教徒は昔のイギリス英語を引き継いだ一方、イギリス本土の人々は(想像するにアメリカ移民と差別化するために)自らの言葉を変えていったようです。オーストラリアにイギリス人が入って行ったのは18世紀後半ぐらいであり、現代のオーストラリア英語は現代イギリス英語に近いので、イギリス人がイギリス訛りの英語を発達させたのは、17世紀半ばから18世紀半ばの間ぐらいであろうと推測されます。
日本語の方言はどうなのでしょう。いわゆる標準語は、かつて関西に都があったころには存在したのでしょうか。あるいは、関西人が差別化のために関西弁を意図的に発達させたのでしょうか。