百醜千拙草

何とかやっています

英語公用語化

2021-11-09 | Weblog
あまり面白い話が書けそうにないので、今日見たTwitterを紹介。

この日本企業が英語を社内公用語にするという話は数年前に聞いていました。当時も、英語の公用語化によってえ社内のコミュニケーションは可笑しいことになるだろうなあと誰もが予想したと思いますが、結局、その通りのことがおきたので、現時点ではこれは笑い話ですけど、今後も笑い話で終わるかどうか。
私は、この企業の現在とこの英語公用語以前との比較データに興味があります。

当時、日本企業で英語を社内公用語とすることが、「経営側」にとって、何のメリットがあるのか、という議論がありました。すぐに思いつくのは二つです。一つは英語能力という定量的メトリックが人事評価にすぐに使えるということ。これは普通の日本人は英語がそれほど得意でないという前提のもとに、非常に簡単な一つに指標によって、社員をランク付けし、それによって社員管理を容易にすることができます。英語が使えないから「グローバル企業」の社員として不適格という理由で昇給、昇進を阻んだり、クビにしたりすることも可能でしょう。もう一つは、実際に英語がしゃべれる外国人を安く雇うことによって、日本人社員の給与を抑えることができることです。英語が公用語に近いアジアの国々は多数あり、フィリピン、マレーシア、インド、などの人々は英語には問題はないわけで、英語環境で働けて自国よりもよい待遇があるとなれば、会社としては、そういう人を比較的安価に雇える可能性があります。その上で、彼らよりも英語ができないという理由で日本人社員の給与を抑えるという方法もとれるでしょう。

一方、日本企業としてのアイデンティティーや日本人雇用者の幸福を考えなければ、経営者側にとってのディメリットはわずかです。日本企業で日本人社員を雇いながら、英語が公用語というのは、自然と英語をうまく使えて英語を母国語とする人、すなわち英語圏のヨーロッパ系人種、を頂点にしたヒエラルキーを作り出すことであり、自らが二流人種だというクラス分けをすることを含意します。会社はそれによって、大多数を占めるであろう日本人およびアジア人職員を二流クラスにクラス分けすることで、さらにコストダウンもできるでしょう。

一方で、いくらこの会社の社長が流暢に英語で話して欧米人と握手していても、黄色い肌をしたアジア人が背伸びしているぞ、というようにしか白人社会はそもそも見ないし、まして英語を公用語化したといういうことは、自ら、その劣等性を認めるように見えるでしょう。結局、日本人はサル真似だけは上手いといういつもの差別的視線で見られるだけだと思います。

しかし、経営者にとってみれば、屈辱的で普通なら恥ずかしくてできないようなことでも、金のためだと割り切れさえすれば、社内英語公用語化は、社員管理を容易にし賃金を抑え、いざとなれば日本を捨ててよりコストの安いところにHQを容易に移すこともできる、というメリットがあるのではないかと想像します。

こうしたひねくれた見方が正しいのかどうかは、社内英語公用語化がはじまってからのこの会社の日本人と外国人社員の構成、給与の変化、ターンオーバーなどのデータがあれば、推測できると思うのですが、どうでしょう?

いずれにしても日本語が母国語同士の社員なのに、わざわざ使いづらい英語を使って話すというのは、二人羽織でそばを啜るようなもので、茶番といわれても仕方がないし、多くの外国人からみれば理解困難であろうとは感じます。
コメント
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