中国からの捏造論文は何年も前から問題になっています。大量に投稿されるこうした捏造論文は、プロセスする編集者や査読者の大きな時間と労力の無駄になっているだけでなく、一旦発表されてしまえば、本物か捏造かの見分けは困難ですから、その研究分野に少なからぬ負の影響を与える可能性があります。
Nature Medicine フロントページから。
(DeepL、一部引用)近年、世界最大の科学論文の供給源は中国からである。、、しかし、中国からの学術論文の大量撤回が懸念されるようになった。例えば、2020年1月から2021年3月にかけて、中国の病院出身の著者によって少なくとも370本の論文が撤回された。それらは主に捏造論文工場が作成した捏造論文であった。
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影響力のある機関(復旦大学病院管理研究所など)が毎年発表する病院のランキングは、中国の病院の学術的パフォーマンスを評価する上で重要であり、国際学術誌への論文掲載が重要な指標となる。その結果、多くの大学病院や三次病院では、国際学術誌への論文掲載が昇進のための必須条件となり、学術的評価や報酬に関連する機関業績の重要なパラメータとなっている。
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臨床医と患者の比率が低く、臨床と教育の仕事量が多いため、中国の病院のほとんどの臨床医は研究に十分な時間とエネルギーを割くことができない。言葉の壁もまた大きな課題である。また、多くの中国人臨床医が臨床研究に関する体系的で正式なトレーニングを受けていない。
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しかし、大学の基礎科学研究者と大学教育病院の臨床医とは、通常、研究業績について同じ基準で評価される。以上のような要因が、キャリアアップのプレッシャーと相まって、学術的な不正行為のリスクを増大させたと考えられる。
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影響力のある機関(復旦大学病院管理研究所など)が毎年発表する病院のランキングは、中国の病院の学術的パフォーマンスを評価する上で重要であり、国際学術誌への論文掲載が重要な指標となる。その結果、多くの大学病院や三次病院では、国際学術誌への論文掲載が昇進のための必須条件となり、学術的評価や報酬に関連する機関業績の重要なパラメータとなっている。
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臨床医と患者の比率が低く、臨床と教育の仕事量が多いため、中国の病院のほとんどの臨床医は研究に十分な時間とエネルギーを割くことができない。言葉の壁もまた大きな課題である。また、多くの中国人臨床医が臨床研究に関する体系的で正式なトレーニングを受けていない。
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しかし、大学の基礎科学研究者と大学教育病院の臨床医とは、通常、研究業績について同じ基準で評価される。以上のような要因が、キャリアアップのプレッシャーと相まって、学術的な不正行為のリスクを増大させたと考えられる。
学術的な不正行為を最小限に抑えるため、中国の政府機関は最近、ゼロ・トレランス・アプローチを採用している。、、、しかし、学術的誠実性における主要な課題に対処し、研究不正を最小限に抑えるためには、かなりの進歩が必要である。
(引用 終)
この大量の中国からの低品質の低品質の論文は、あきらかに科学界のエコシステムに悪影響を及ぼしています。正直、論文の体を成していないようなものが大量にレビュー出版パイプラインに投入されることによって、目詰まりを起こしている状況ですから、なんらかのフィルタリングをして、あまりに質の悪いものはシステムに入る前に弾いていくべきではないかとさえ思っています。それでも科学的に正直に行われた研究ならば救いもありますが、捏造論文工場で作った捏造論文が流入することは不法投棄ゴミによる環境汚染に等しいと思います。
ま、結局はカネと地位という人間の欲があって、医学や科学界での報奨システムが論文発表というポイントを集める競争に依存しているのだから、ズルをするやつが必ずでてきます。
もっと根本的には、医学科学の世界も、カネと地位をエサに競争させれば必死で働いて生産性があがるだろうと考える支配者層の思惑に踊らされているとも言えるでしょう。そうして競争によって階層化していき、「勝ち組」と「負け組」にわけて、持たざるもの同士を競わせるシステムが資本主義社会のエンジンになっています。
一方で真の支配者層は競争に勝つ必要もないので、最初からこの「Rat race」には参加しません。逆に言えば、子供のころから勉学に励み、競争に勝ち抜いて、一流企業で出世して大金を稼ぐ自称「勝ち組」の人でも、このRat raceに参加させられている時点で、ただの競争ネズミに過ぎないです。しかし、残念ながら、資本主義社会では、大多数の普通の人は、物心もつかぬ子供の時から否応なくこのレースに放り込まれることになっています。
研究費欲しさ、カネで簡単に転ぶ学者の世界、競争社会は欧米でも同様ですが、中国ほど露骨な捏造論文は乱発されていません。科学研究の歴史が違うので、研究倫理の成熟度の差もあるでしょうが、私は、この差はそもそも、一神教の宗教の上に成立した西洋社会とそうでない東洋との文化の差が大きいと考えています。西洋の神は誤魔化しの効かない裁きの神なのです。だから、絶対神を信じない日本でも「恥」の文化がなければ、中国なみに捏造論文は出るだろうと思います。事実、恥知らずの政権では、文書や統計の数字の隠蔽、改竄、捏造、虚偽答弁が大量発生しましたし。
競争によって勝者が報われるというシステムは、人間を何らかの価値を産む機械の部品として扱うわけで、学問の世界とそもそも相入れないものだと思います。捏造論文とはすなわち学問の精神の否定ですから。