百醜千拙草

何とかやっています

統一教会が止まらない (2)

2022-07-22 | Weblog
統一教会ネタが止まりませんな。今回も長くなりました。

そもそも、法的根拠のない「国葬」という行事を政府がゴリ押しするのは、第一に、とにかく、安倍を祭り上げることで、その腐敗と不祥事を一緒に葬り去りたいという政治的目的、そして「統一教会」と自民党の繋がりを話題にされたくない、という複数の思惑があるのだと思います。

国葬の問題については、過去の事例について福島みずほさんのツイートでも紹介されていましたが、例えば、安倍氏の叔父で、ノーベル平和賞を受賞し沖縄返還を成し遂げた(ま、密約でヤラセのようなものだったワケですけど)佐藤栄作の死去の際にも国葬が検討されました。結局、国葬という行事に法的根拠がないと言う理由で行われませんでした。当然、そうした立場から、共産党、れいわ、社民党は党として正式に反対を表明。昔は、野党に怒られなくても、自民党政府もちゃんと法律や憲法を守ろうとはしていたのに、それがここまでガタガタの無法政府になってしまったとは、と情けない気持ちでいっぱいです。そして、その国を破壊してきてガタガタにした腐敗の中心にいた主要人物が、自民党の独断で国葬で祭り上げられるという異常事態。どれだけ腐っているのでしょうか、自民党は。

安倍の地元のローカル紙、長周新聞はブチギレ。

ま、国葬の話はともかく、それよりも私はこの事件そのものをもっと深く見ることが必要だろうと思います。明らかに安倍氏と統一教会との不純な関係が招いたことですし。しかし、この容疑者の背景を見ると、それだけではない日本社会の問題が見えるような気がします。この容疑者の気持ちを多くの日本人は容易に理解し、共感を感じるのではないでしょうか。正直、気の毒だなあと感じます。かつてあった京都伏見介護殺人事件とも重なります。殺人犯罪という結果に終わったものの、そこに至る過程の中で犯人/容疑者に同情を感じない人はいないと思います。

この、普通のサラリーマンの家に生まれた容疑者の10代は複数の不運の連続に見舞われました。兄が障がい、父がリストラで自殺、その後、母は統一教会にカモにされ、一家は破産、兄も自殺、本人は大学進学を諦め、自衛隊に勤務。除隊後はロストジェネレーションの世代で就職難、そんななかで、本人は国粋主義的な右翼思想に傾いていったようです。おそらく、このような背景を持つ人は今の日本では少なくないのではないでしょうか。リストラで自殺を選ばねばならなくなった社会、公に頼るものがなくカルト宗教につけ込まれてしまうような社会、ロストジェネレーションの世代を見捨てる冷たい国、中高生の本人が自力ではどうしようもできないような周囲の状況によって、家庭は崩壊し、苦しく辛い日々がずっと続いてきたようです。その間に恨みは募り、五月に工場を退職したあとは七月にはカネが尽き、借金しか残らないからそれまでに決行して死ぬと決意したと供述しているようです。もし、彼がもう少し人間らしい生活を送れるような支援を国や社会が提供していれば、このような追い詰められかたはしなかっただろうと想像できます。介護殺人事件にしててもそうです。むしろ容疑者や犯人はとことんまで追い詰められた被害者であり、それは、国や社会が、自己責任、自助、共助だ、と「国民の生活を守る」という本来の責務を放棄してきた結果です。

(おそらく政権によって)数日前に凍結されてしまった本人のものと思われるツイッター アカウントですが、凍結前に投稿を調べた町山智浩さんの情報で知りましたが、2020年の9月まで、容疑者は自分自身を「ネトウヨ」と自称し、安倍政権とその政策を強く支持していたようです。しかし、偶然、目にしたイベントの写真で、安倍氏と統一教会が繋がっていることに気づきます。それから急激に安倍への不信感を募らせたようです。コロナのために韓国の教会本部幹部を狙うことができなくなり、代わりにその広告塔であった安倍氏に標的を切り替え、この事件につながったわけです。興味深いのは、犯行直前手紙の中で(これも共同通信が一旦、公開したものですが、あっという間に主要メディアから消え、魚拓を保存した個人らが、情報を拡散しています)、「本当に殺してやりたいのは統一教会の文一族で、安倍は影響力のつよい統一教会シンパに過ぎない」というようなこと述べていることです。安倍氏を殺すのはスジが違うという自覚があったにも関わらず、この犯行を計画し、標的一人だけを殺すために、爆弾ではなく銃を作り、練習までして備えたというのは、理性的な思考力があったにもかかわらず、追い詰められて、かなりの視野狭窄に陥っていたことが想像されます。スジ違いを自覚していながら、安倍氏の殺害を執拗に追及した理由の一つは、統一教会の主張する全体主義的な思想が安倍政権の右翼的政策とキレイにオーバーラップすることに気づいたせいではないのでしょうか。安倍の政策と今回の殺害の動機は関係ないと本人は語っていますが、それは自らを「ネトウヨ」と自称する自分の考えと安倍自民党の極右思想がマッチしていたからでしょう。ところが、それは憎むべき統一教会の思想ともほぼ一致するのです。このジレンマに陥った容疑者の心に、安倍という「影響力の大きい韓国のカルト宗教の手先」を殺害することによって、自分が信じる国粋主義的右翼思想と自分が心底憎んでいる韓国の統一教会の繋がりが解消できる、とでもいうような複雑な論理が生まれたのかも知れません(ま、私の考えすぎかも知れませんけど)。

安倍氏殺害の二日後の参院選後の会見で山本太郎は、この事件に関して記者の「政治と暴力」に関する質問に、「日々、さまざまな暴力に晒されている」と答え、一例として、銃弾を送りつけられたときの話を披露しています。(https://www.youtube.com/watch?v=FhQa09-Hny0 35'あたり)。犯人は年金暮らしの母親と二人暮らしで厳しい生活を強いられていた人で、職場関係での恨みを募らせた挙句に敵意の行き先を誤ったという事情であったらしく、山本は、社会の荒廃によって恨みを抱いた人々が追い詰められた結果、起こったことだろうと述べています。このエピソードも今回の事件と重なり合う部分が多いと思います。犯人の行動は合理的とは言えないが、そこに至る過程に、自分ではどうにもできない不遇な境遇に恨みを募らせた挙句の行動であったという共通点があります。この話をしている時の山本太郎の表情が印象的で、犯行を糾弾するのではなく、むしろ、そうした状況に追い込まれた人々への同情の気持ちと彼らに冷たい国や社会の問題に対する悔しさが滲んだような沈んだ表情を浮かべています。

今回の容疑者の背景を深く掘り下げていけば、殺人という行為に至ったことを除けば、多くの人が同情を感じることになるのではないでしょうか。この詳細は(政権の妨害がなければ)裁判を通じて真相は明らかにされて、広く、我々が知るところになることを望みます。
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