先週、昔の知り合いの知り合いの日本人研究者からコンタクトがありました。PhDの人で、特任教授という立場で某大学で研究されています。任期のあるポジションのようで、話の目的は、どうも想像するに将来、パーマネントの職に就くための戦略的なことに関する相談のようでした。まだ小学生のお子さんが二人いて、キャリア的には学位を取ってから十年、ビッグ ペーパー言えるものはなさそうでしたが自分で研究費は取ってこれているとの話。
大変だなあ、と思いましたが、実は十数年前の私のような立場です。客観的に振り返って見れば、その当時の私の状態では、研究者として今の歳までキャリアが続く可能性はかなり低かったと思います。私が今までやってこれたのは単に運がよかっただけです。しかし、若い時にはなかなか客観的に自分を見ることは難しいし、そもそも、人間は自己を過大評価するものなので、当時の自分は「まだまだこれからだ」ぐらいに思っていたのですから、深刻な認識のズレがあったと言わざるを得ません。今の私が当時の私にアドバイスするとしたら「子供もいるのだから、別の道を探した方が良い」と言っていたでしょう。もしも、早々と転職していれば、別の人生になっていたし、子供の人生も変わっていたでしょう。今は振り返って、後悔もありますけど、まずまず乗りきったと思えるので、結果オーライですけど、一歩まちがっていてれば、結構困難な状況に終わっていた可能性は高かったと思われます。
何とかなるかダメかは、やってみないとわからないし、研究にしてもビジネスにしても努力と成果が相関するというものではないので、必死で頑張れば道が開けるとは言えないです。やる、やらないを決めるのは最後は、本人の直感に頼るしかないと思われます。経験上、ギリギリの判断においては理性的分析的な判断というのはあまり当てにならないものだと私は思いますので。
研究を志し、大学院を含めて十数年の研究キャリアを積み重ねて、中堅に入りつつあるその方が、研究者として安定したポジションについて、思うような研究を追求しつつ、家族を養い生計を立てていきたいという気持ちはよく分ります。しかし、世界中でアカデミアの研究環境は20-30年前に比べて、悪化の一途を辿っていると思わざるを得ない状況です。ツイートのラインに出てくるアカデミック キャリアの悲惨な状況をネタにするアカデミア ジョークのツイートはあまりにリアルで笑えません。事実、アメリカやヨーロッパでは大学院生やポスドクでアカデミック キャリアを望む人は減少の一途です。
それで、私は質問された事柄に関して私の知るところと将来の見通しについて私見を率直に述べさせてもらいました。単純に考えて、限られたポジションと金を争い合う戦争という現実があるわけですから、一部の勝者と多数の敗者が産まれるシステムになっています。そんな中で家族の生活と将来を守り、かつアカデミア研究者としてのキャリアを追求していくことは、劇団の役者ほどではないにせよ、困難になる一方です。
彼の気持ちはよく分かりますし、耳ざわりがよくて希望を与えるような話ができれば良かったのですけど、心にもないことを言うわけにもいきませんし。話の中で彼は「戦う」という言葉を何度か口にしました。戦いに負ければ、彼の夢は失われ、家族が飢えるかも知れないのです。私は、競争によって勝者と敗者を作り出し、勝ったものには負けることへの恐怖を植え付け、負けたものには自尊心を傷つけて勝者への嫉妬を生み出すような資本主義の競争原理に基づく社会は、マルクスが言うように、歴史の必然によって将来には別の形態に置き換わると信じていますが、それには人類全体の成熟がまだまだ足りません。おそらく私や彼が生きている間におこる可能性は極めて低いと思われます。
理想は、資本主義のゲームの中でゲームのコマとして戦わされるような立場を避けつつ、自分の願望を実現し義務を果たして行くやり方を生み出すことだろうと思うわけですけど、もちろん、末端の我々にすぐにゲームのルールを変える力はありません。幸い今の私には、生死のかかった競争というものは勝っても負けても後味の良いものではないなあ、と思える多少の自由がありますけど、戦いの中にいる人に、そんな話をするわけにもいかず。
とりあえず、家族の健康と生活というのはトップ プライオリティだと私は思うので、それをまず考えるべきではないだろうか、という話をしました。