どうやら、エリザベス女王の国葬以上の税金が投入され、国民の過半数が反対し、予定出席者の半数が欠席し、外国の主要要人は誰も来ない、この違法「なんちゃって国葬」は強行されるようです。現時点で「#最後の最後まで国葬に反対します」のハッシュタグをつけたツイートが10万をこえ、これが終わってもなんちゃって国葬の違法性の追求は終わらないでしょう。国会は、このキシダ版モリカケサクラで延々と引っ張られることになります。
参院選で自民党が議席を維持しまずまずの結果に終わった時、キシダは安堵したでしょう。今後の無風の三年間、アベ式でやりたい放題だと思ったでしょう。予定外の安倍氏の殺害も、このことによって清和会に代わり宏池会の代表として長期に権力を振う地位を手に入れると同時にモリカケサクラと醜聞にまみれた安倍の不祥事を過去のこととして葬ってしまえば、一挙両得、全てが都合の良い方向に動いているとでも思ったことでしょう。
人間、しばしば絶頂の時に判断を誤って転落に転ずるものです。素人の株式投資と同じで、ついに自分の時代がやってきたと思った瞬間、転落はすでに始まっているのです。後年ふりかえった場合に、おそらくこの違法国葬の強行がキシダ転落の始まりであったと思い返されることになるでしょう。しかし、キシダと自民党にとっては転落ですけど、国民にとってはようやく悪夢の自民党政権の崩壊始まりをつげる夜明けの光と解釈されることになるのではないかと思います。
ソ連では、スターリンが1953年に死んでフルチチョフがスターリンの独裁体制の批判を始めるのに三年かかりました。日本においては、官僚人事権、NHK役員任命権などを駆使し、ムチと飴によって行政やメディアを支配し、国家を私物化、ネポティズムによって長期独裁政権を築いてきた安倍は、カネと力でつながった「オトモダチ」で周囲を固める一方、大勢の敵と遺恨を社会に蓄積させました。「信頼と誠実さ」の上にではなく、「欺瞞と利害関係だけ」で成り立っていた安倍政権というのは、まさに砂上に築かれた楼閣でありました。地上の栄養を吸い尽くし代わりに毒素を撒き散らして枯れていった徒花でした。
日本経済の低迷と安倍政権の腐敗の話をした時、知り合いのドイツ人は、安倍がそんなにとんでもないやつだとは知らなかった、と言いました。外国人が知らないのは当然ですが、メディアがただの政府広報になってしまっている日本でも、毎日の生活に忙しい人は、TVのニュースでの印象だけで判断しますから、安倍が何をしてきたかなど詳しくは知ってはいないのです。田舎の人々と話をした時、外交が得意な立派なリーダーだと勘違いしてしている人が結構いました。安倍政権に代表される自民党の利権体質や腐敗が総括され強い批判に広く晒されるにはまだ多少の時間がかかるかも知れません。
結局、禅譲で政権が回ってきたキシダは安倍式をそのまま引き継げば良いとでも思っていたのでしょうが、あいにく、安倍式ももう限界、そしてキシダにはそもそもカリスマというものがない。それがキシダの計算違いでしょう。この違法で民意に反く「なんちゃって国葬」が強行されるのは、自民党独裁政権の近代立憲民主主義への冒涜に他ならず、忌々しい限りです。しかし、同時にこれは自民党腐敗政治の終焉への象徴となるのかも知れません。