百醜千拙草

何とかやっています

リバイス

2022-09-16 | Weblog
ようやく二度目のリバイスを投稿しました。最近は、一回のリバイスでサックリ受理されることが少なくなりました。直近の論文を数本思い出してみましたが、全て一回のリバイスで通ったことがありません。そのリバイスも大抵、追加実験を要求されるので、実験に1-3ヶ月、論文の書き直しに1-2週間、投稿後の評価にさらに1ヶ月と一回のリバイスサイクルは2-4ヶ月ぐらいかかるので、二回リバイスを食らうとアクセプトまで最初の投稿から半年から一年はかかります。今回は5月に出したので、これでアクセプトになれば5ヶ月ほどでしょう。前回の論文もほぼ半年、その前のは一年以上かかっています。

近年は論文のデータ量も増えていますし、複数の専門にまたがっているという理由もあるでしょうけど、レビューアの要求はどんどん厳しくなってきているような印象があります。
ま、私はアカデミア研究の世界から、跡を濁さずに立ち去って、残りの人生は個人的な幸福を追求するつもりなので、もう何かを言う立場ではなくなる予定ですが、日本の政治と同じく、アカデミア研究の世界のシステムは、色んな面でもう限界でしょう。論文出版ビジネスの問題、研究商業化へのビア研究費の問題、レビューシステムの問題、中国産論文の問題などなど、山積みです。

ま、問題というのはどんな時代でもあるものでしょうし、これでアカデミアが終わることはないとは思います。しかし、何でも上がれば下がり、興これば亡びするのはこの世の常です。現にウチの研究分野は、20年前の最盛期を覚えている私にとっては、その盛り下がりようは目を覆うばかりで、おそらく今後も少なくとも十年は復活することは余程のことがない限りあり得ないと感じざるを得ません。(無論、先のことはわかりませんけど)そんな中でモチベーションを維持するのは難しく、研究という分野でモチベーションを失えば、基本的に終わりです。

人間の知的好奇心がまずあって、それから経済的欲、権力欲、名誉欲、そういった様々な欲に引っ張られて、近代の学問というものは発展してきました。人間はパンのみに生きるものにあらず、とは言いますけど、今の現状を見ると、まずはパンの確保ができなければ、好奇心もその他の欲も育つ余裕は生まれないのだろうなという感じがします。日本の学問的地位の低下も少子化も原因は明かで、一言で言えば、与党政府の凄まじいばかりの腐敗によって経済政策を故意の誤ってきたことでしょう。その他の先進国の政策と比較してみれば、日本が衰退するのに何の不思議もありません。政治によって日本は没落しました。その点から言えば、山本太郎の言うように、日本は政治を変えることによって復活もできるのです。それを阻んできたのは、民主主義に馴染めない他ならぬ国民でした。言うまでもなく、このまま沈没するのか、復活へと向かうのかは彼らの選択にかかっています。
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