百醜千拙草

何とかやっています

カネの奴隷

2012-05-18 | Weblog

JP モーガン、バクチで負けて、少なくとも$3 billionの損を出したという話。以前もこの手の話は何度もありました。一人の若手トレーダーが大相場を張って負けて、200年以上の歴史をもつ由緒あるベアリングス銀行を潰したのが95年でした。この時の損失額が8.6億ポンドですから、今回の負けはこれ以上と考えられます。これがきっかけでリーマンショックのときのような株式市場暴落を起こすかも知れません。市場の暴落は半分はヤラセのようですから、これも誰かがワザとやらせたのかも知れません。株が暴落すると、また一般人の引退基金用アカウントを犠牲にして焼け太りする連中が増えるでしょう。

カネの話で思い出しました。アホウドリの糞の堆積でできたと言われるナウル共和国、そのリン資源で世界一裕福になった後、資源の枯渇で、急激に転落したという「ナウルの悲劇」という話がしばらく前に話題になりました。資源を売って外貨を得て来たナウル国民の多くが生まれてこの方、「働いた事がない」のだそうで、資源が無くなった今、働かなければならなくなったのに「働き方がわからない」らしいです。

これを「悲劇」ととるか「啓示」ととるか、あるいは「祝福」ととるか、は見方によるでしょう。杜子春を思い出させますね。日本や資本主義社会で、資本家でない普通の人々は、働いて、賃金なり報酬を得て、それで命と生活の維持に必要なものを買うのが当たり前だと思っています。私は人間である以上、働くことは大切だと思いますが、「生きていくために働かねばならない」というのは間違っていると思います。貧しかったころの日本はエンゲル係数が高いことが貧しさの指標でした。限られた耕作地で作られる限りある食料を取引するわけですから、食料が割高であったのは理解できます。しかし、農業技術は進歩し、農作物の収穫効率は上がって来ています。工業製品も随分安くなりました。にもかかわらず、現代人の労働時間はむしろ長くなり生活は困難になって来ています。本来なら、生活必需品のコストが下がれば、生活はラクになって、「働かなくてもよい」時間が増えて然るべきです。事実は逆です。なぜでしょうか?なぜ、本当なら、そんなに働かなくても良いはずなのに、逆にもっと働かなければ生きて聞けないのでしょうか?一次、二次産業の生産性は上がりコストは低下し、それに従事する人の数は減ってきています。ならば、これまで10人かかるところが5人でよいのなら、残りの5人はブラブラしていてもいい筈でしょう。しかしそうはなっていません。言うまでもなく、これは資本主義における富の偏在ゆえだと思います。この富を偏在させるシステムが人々の奴隷化を促進している元凶であると言えるのではないでしょうか。私、何度もこの言葉を使いますが、現代人は「カネの奴隷」となっています。というより、カネというシステムを使って人間を支配している連中がいるワケです。そういう金持ちはカネはもう要らないのですが、それとは別の欲望があるわけですね。

百ドル札を印刷するコストは数セントなのだそうです。(一方、一円玉を一つつくるには三円かかるという話もありますが)それでは、一ドル未満の製造コストで百ドル札が作れるとして、残りの99ドル余りはどこに消えてしまうのでしょうか。最近は現金決済も少なくなりましたから、お札を印刷するコストさえ必要さえありません。この辺をちょっと考えてみれば、この現代の管理通貨制に基づく経済というものがトンでもないイカサマであることが実感できるでしょう。これがアメリカではFRBという銀行、日本では日銀がやっているいわば「詐欺」です。これらの銀行が、ほぼゼロからカネを作り出すことによって、実際に行っていることは、一般の人々にその無から作ったカネを貸し出し、借金させ、カネがないと行きて行けない社会システムににして、結果として、人々をカネの奴隷にしているということです。このゼロからカネを作り出すイカサマを発明した連中が、現在の世界を牛耳っていますが、その歴史はそう古いものではありません。そして、挙げ句にこのシステムはイカサマだと開き直ったのが、金本位制を廃止した時でではないでしょうか。ロンポールがFRBシステムに反対しているのは、このイカサマによって人々が奴隷化されているという現状ゆえでしょう。あいにく、一般の大勢の人は、自分たちがイカサマの被害者で奴隷であるという意識が乏しく、行きて行くためには働いて金を得るのは当然だ、と考えているようです。

日本政府の増税の理屈も考えれば非常におかしいです。日本は借金王国だ、借金を返さないといけない、負の遺産だ、とか騒ぐわけですが、そもそもその借金(国債)のほとんどは日本国民が貸し主なわけでしょう。つまり、日本の国の借金を返す相手の多くは日本国民です。その借金を返すカネがないから日本国民から増税してムリヤリ取り立てようとしているわけです。国民の立場からすれば、自分が貸してやったカネを返してもらうために自分のカネを出してやるということになるのだから、これは丸々取られ損です。得している連中はその国民のカネを国民から取って国民に返す作業している間にチョコチョコとつまみ食いする中間業者、即ち、官僚組織です。だから、官僚は、天下り、渡り、裏金という税金横領スキームをあくまで守り、財政が健全化しないように努力します。財政が良くなってしまうと、増税の口実がありません。増税しないと国民のカネをつまむ機会が減ることになります。だから、いくら増税しても財政は改善する見込みはないし、官僚どもがますます力を持つようになるだけのことです。建前通りに消費税増税を社会福祉に使うのであれば、それをその目的以外に使えない「目的税」としなければなりません。もちろん、ドジョウはそんなことはしません。消費税増税の本当の目的が社会福祉ではないからです。

ウチの子供には、カネの奴隷にはなって欲しくないので、「カネというものには実体がない」と常々、言っていますが、なかなかわかってもらえません。日常生活のレベルでは、実際にカネには力がありますから、カネを沢山持つともっとパワフルになる、と考えてしまうのも無理はありません。しかし、その考え方が自分を奴隷化する一歩です。その典型例が、毒饅頭を喰って法を曲げる検察や司法であり、原発マネー欲しさにウソを垂れ流すメディアや御用学者でしょう。哀れなカネの奴隷だとも言えますが、社会にとっては同時に非常に有害な連中です。

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