アメリカ、イラン侵攻を執拗に画策しているような雰囲気です。シリアのアサド政権転覆を図って、テロ組織を支援し、親米アラブ系からなる国連調査団を利用して、シリアの内戦を煽ってきたのは、どうも、イランへの侵攻に際して外堀を埋めて行く分断作戦であるように見えます。そして、イランの核開発をネタにイランへの原油禁輸処置を行いイランをしきりに挑発しています。イランの核開発を一方的に批難し、シリアの反米イスラム政権をテロ攻撃する中で、アメリカがペルシャ湾への派兵を決めたとニュース、「ペルシャ湾へ派兵、狙いはイラン」という記事がニューヨークタイムスに出ました。
露骨ですね。この動きを見れば、イラクのフセイン、リビアのガダフィのパターンを狙っているとしか見えません。反米イスラム国に軒並み言いがかりをつけ、NATOや国連を巻き込んで侵攻し、邪魔者を力ずくで殺す、さすがは世界最大のテロ国家です。
しかし、アメリカのどこに戦争するカネがあるのか、つい首をかしげてしまいます。歴史的にみれば、戦争が増えたのは、金本位制が廃止されたからだと言えます。中央銀行がいくらでもカネを刷れるようになったので、戦費を集めるのが容易になったという理由があります。それまでは戦争をしたくてもカネが無くできなかったワケです。ヨーロッパで前世期にやたら殺し合いが増えたのは、そういう理由があります。
戦争をやれば、普通、敗戦国はもちろん、戦勝国もそれなりの犠牲を払うことになり、戦争がプラスになることはありません。しかし、軍需産業は儲かります。結局、そうして、軍需産業とそこに癒着した政府が、大勢の一般国民と侵攻された国を犠牲にして、金儲けのために戦争を繰り返すようになりました。それをずっとやってきたのがアメリカです。
アメリカ人が右手を左胸に当てて、国旗に向かって「Pledge of allegiance」をするシーンとか、大統領がメモリアル デイなどに白々しく厳かな顔をして戦没者に献花をしたり、イラクで死んだ米兵を不自然なぐらい讃えたりするのを見ると、正直、私は反吐がでそうになります。アメリカ政府と軍事産業は、いわば、カネもうけのためにその国民や外国の人々を殺してきました。しかし、いまだ多くのアメリカ国民は、外国でアメリカ兵がアフガン市民を虐殺するのは、自国と世界の平和のためであり、アメリカ市民として国家に忠誠を誓い、死んだアメリカ兵に敬意を示すのは、国民として当然である、と思っているようです。
これまでは、FRBにドルを刷らせて、軍事産業に回し、そして国防費(戦争資金)に使ってきました。しかし、もはやドルの価値は史上ないレベルに下がっていて、どんどんカネを刷るわけにいかなくなってきています。加えて、前回の共和党と民主党の借入金上限の交渉で、来年度の国防費は(ついでに研究費も)大幅に削られる予定になっています。(この辺の交渉は、各党が政治的優位に立つための、言ってみれば茶番ですから、必要になれば量的緩和はいつでもやるつもりなのでしょうが)
この状態では、戦争などはじめる状態にないと私は思うのです。しかも、オバマは、己の利益のために戦争をして、他国や自国の人間を殺しまくることに罪悪感をまだ持っているようですし、今年は選挙の年でもあるので、戦争はやりたくない、と思っているだろうと想像されるのに、アメリカがやっていることを見ていると、イラン侵攻をちゃくちゃくと準備しているように見えます。
ひょっとしたら、真珠湾攻撃をさそったルーズベルトのような作戦を考えているのでしょうか。今回のペルシャ湾への派兵の目的はホルムズ海峡の封鎖も考慮しているというアメリカ内部からの情報もあるようですから、イランの原油輸出を物理的に止め、兵糧攻めにして、イランのアメリカに対する攻撃を誘う作戦かも知れません。そして、「イランの先制攻撃」というプロパガンダで、一般アメリカ人を煽り、その勢いでイラン侵攻を考えているというのはありえない筋書きではないでしょう。一般アメリカ人が支持すればこの作戦は「あり」で、そうなれば、オバマはノーベル平和賞を貰った殺人テロリストと記憶されることになるでしょう。
イランは、第二次大戦時の日本のような立場に置かれようとしてるのかも知れません。しかし、第二次大戦前と現在では、人々の情報の量とその理解の程度に大きな違いがあります。インターネットのない時代に、真珠湾攻撃をもって、日本を邪悪な敵国であると一般アメリカ人を洗脳するのは容易でした。現在ではそれは難しくなっているでしょう。それにイラク侵攻や第二次大戦でアメリカ一般市民の支持を得るためには 9-11や真珠湾のように一般のアメリカ人が死ぬことが必要でした。イランが仮に先制攻撃をしたところで、「無実の一般アメリカ市民」が死ななければ、そこまで世論を盛り上げるのは難しいと私は思います。
さて、国内のニュース。笠間検事総長が予定通り辞職予定とのこと。新聞は「勇退」と書いてあって、鼻白みました。この人は非「赤レンガ」組、つまり、東大派閥でない非主流派であり、次の「赤レンガ」の検事総長までのつなぎで、最初から辞めることは決まっていたのです。そもそも、大阪地検の村木さん事件での証拠捏造が明らかになり、その責任を負って当時の検事総長が辞職した後に検事総長になった人です。その任期中に、今度は陸山会事件での調書報告書の捏造事件という村木さん事件よりも数倍も悪質な東京地検の組織的犯罪が明らかになりました。だからこそ、この人はこの東京地検の組織的犯罪に対して何かしてくれるだろうと皆が期待しました。結局、何もしませんでした。東京地検のその犯罪者集団を減給とか訓告とかというとんでもない甘い処分でコッソリ幕引きしようとしています。対して、つい先日、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が、笠間総長を含めた当事者を、犯人隠匿などの罪状で刑事告発しました。検察のトップを刑事告発するという異常事態です。この笠間総長がなすべきことをせず、事なかれ主義で、そのまま平和に辞めようとするのならば、この人も当然、厳しく糾弾されるべきです。犯罪を取り締まる組織のトップが、検察の犯罪に関しては十分すぎる犯罪の証拠の山を前にして、正義を行わないのですから、税金ドロボーで済ませるほど軽い罪ではありません。刑事告発された犯罪組織のトップがすべき事もせず、コソコソと退職金をゴッソリ集めて隠居するのを「勇退」と呼ぶのでしょうかね。
もう一つ、民主党集団離党に関して、離党を撤回した階議員と辻議員、その理由は、つまり支持団体が反対したからなのだそうです。離党届にサインして小沢氏に預けておいて、「知らない間に出されてしまった」という辻議員の言い訳はちょっと情けないと思います。つまり、サインした書類を預けても、出す前に相手が「確認」してくれるだろう、そのときに最終的に態度を決めて、必要なら撤回すればよい、と思っていたということでしょう。これは、自分の身のことでさえ自分で責任をもてず、逆に他人に責任を求めようとする、最近の日本人の典型的な病理です。つまり、自分のサイン入りの離党届が出されたのは「自分の責任ではない」とでも言いたいようです。例えるなら、大学入試に失敗するのは、高校教師が無能で、親のサポートが足りなくて、試験問題が偏っていて、天気が悪くて、運が悪いのだ、などなどと言い訳する浪人生のようです。何を言い訳しようと、大学入試に通らなかったという事実はかわらず、その事実は結局、自分で引き受けなければならないということがわかっていたら、こんなことは言わないでしょう。
対して、中村てつじ議員の離党の説明を読みましたが、支持団体の反対をおして離党したことに関して、その離党の意図を誠実に語っていると私は思います。(これが心からのものだとすれば)こういう人こそ応援したいと思います。