またまた「困難な成熟」からの連想ですが、人間の成熟は、他人との生産的な相互関係の構築能力の発達のことだろうと前回書いたのですが、まずは「自分との関係」が健康的でなければ、健康的な「他との関係」は築けないのではないかと思いました。
自己愛性人格障害と思われる人の話をちょっと前に書きました。私は専門家ではないけれども、その人の「闇」の部分が露見した時に、その人の行動や言動をそういう視点から解釈すると整合性があってよく理解できるということがわかりました。なにしろ、自己愛障害は100人に一人という高頻度で、しかも近年増えているようですから、障害なのか単なる個性に過ぎないかは微妙なところです。その人も、感情的に爆発した時の異常さを知らない人から見れば、ちょっとおかしいところがある人という程度です。しかし、実際に生活や仕事に支障が出ているので、障害と言っても良いと思います。
後になって振り返って、一つ何となく納得したエピソードがあります。
ある時、雑談をしていて、「夢」の話になったことがありました。寝ている間に見るやつではなく、成し遂げたい人生の目標というような意味の方です。それで、私は、東洋の考え方では、「夢を持っている」というのは不幸な状態であるとも解釈できる、という話をごくカジュアルな一般論として話したのです。つまり、夢を持っているということは、その人が現在の状況に満足しておらず、現状よりもより良い状態を手に入れたいと願っているということを意味するという、ま、よくある解釈です。つまり、幸せであるとは、あるがままの人生を肯定することであるとすると、夢を持っているということはそれを、否定することでもあるという理屈です。
ごく、気軽な調子で、「夢を持つ」ということのネガティブな解釈も存在するという雑談のつもりで、話したので、私は、「ふーん、そういう解釈もあるのね」ぐらいの軽いリアクションが返ってくると思っていたら、相手は、かなり感情的な反論をしてきたので、面食らった覚えがあります。あたかも、私が「夢を持つことは悪い事だ」と言っているかのような反論の仕方をするので、驚いてしまいました。
後から思えば、これは、私がこの人のコアにある信念みたいなものを否定したと思ったのではないか、と思い当たりました。「夢を実現する」というのはこの人にとって、譲れないことであったのだろうと思います。この人は、今の自分は「本当の自分」ではないと考えていて、夢の中に存在する「素晴らしい本来の自分を実現すること」によって、現在の不幸せや不満は解消されるはずだ、そう信じているのではないか、と思いました。つまり、この人は、ありがままの現在の自分を認めてやることができず、ゆえに「青い鳥」を探しあてることは何よりも大切なミッションであり、青い鳥が見つからないもしくは存在しないという考え方は受け入れがたいのだろうと想像しました。どうも、現在の自分が不本意な状態にあるのは、「本来の自分」は素晴らしいのに環境がそれを具現化するのを妨げているだけなのだ、と思っているようです。であるからこそ、より価値のある人間へと成長しようという努力を惜しむのではないでしょうか。本来の素晴らしい自分はすでに存在している、後は、白馬の王子様がやってきさえすれば、素晴らしい私が現れる、そんな風に思っているのかもしれません。
山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、我、人と訪め行きて、涙さしぐみ帰りきぬ、、、、
「本来の素晴らしい自分がすでに存在している」とか「その素晴らしい自分を具現化することを妨げている外部の要因が除かれば幸福なれる」という考えが、現実の前に押し潰されるという経験をして、人は大人になっていくのではないでしょうか。
というわけで、France Gallで「夢に見た王子様」、この歌詞はシビれますぜ、旦那。
自己愛性人格障害と思われる人の話をちょっと前に書きました。私は専門家ではないけれども、その人の「闇」の部分が露見した時に、その人の行動や言動をそういう視点から解釈すると整合性があってよく理解できるということがわかりました。なにしろ、自己愛障害は100人に一人という高頻度で、しかも近年増えているようですから、障害なのか単なる個性に過ぎないかは微妙なところです。その人も、感情的に爆発した時の異常さを知らない人から見れば、ちょっとおかしいところがある人という程度です。しかし、実際に生活や仕事に支障が出ているので、障害と言っても良いと思います。
後になって振り返って、一つ何となく納得したエピソードがあります。
ある時、雑談をしていて、「夢」の話になったことがありました。寝ている間に見るやつではなく、成し遂げたい人生の目標というような意味の方です。それで、私は、東洋の考え方では、「夢を持っている」というのは不幸な状態であるとも解釈できる、という話をごくカジュアルな一般論として話したのです。つまり、夢を持っているということは、その人が現在の状況に満足しておらず、現状よりもより良い状態を手に入れたいと願っているということを意味するという、ま、よくある解釈です。つまり、幸せであるとは、あるがままの人生を肯定することであるとすると、夢を持っているということはそれを、否定することでもあるという理屈です。
ごく、気軽な調子で、「夢を持つ」ということのネガティブな解釈も存在するという雑談のつもりで、話したので、私は、「ふーん、そういう解釈もあるのね」ぐらいの軽いリアクションが返ってくると思っていたら、相手は、かなり感情的な反論をしてきたので、面食らった覚えがあります。あたかも、私が「夢を持つことは悪い事だ」と言っているかのような反論の仕方をするので、驚いてしまいました。
後から思えば、これは、私がこの人のコアにある信念みたいなものを否定したと思ったのではないか、と思い当たりました。「夢を実現する」というのはこの人にとって、譲れないことであったのだろうと思います。この人は、今の自分は「本当の自分」ではないと考えていて、夢の中に存在する「素晴らしい本来の自分を実現すること」によって、現在の不幸せや不満は解消されるはずだ、そう信じているのではないか、と思いました。つまり、この人は、ありがままの現在の自分を認めてやることができず、ゆえに「青い鳥」を探しあてることは何よりも大切なミッションであり、青い鳥が見つからないもしくは存在しないという考え方は受け入れがたいのだろうと想像しました。どうも、現在の自分が不本意な状態にあるのは、「本来の自分」は素晴らしいのに環境がそれを具現化するのを妨げているだけなのだ、と思っているようです。であるからこそ、より価値のある人間へと成長しようという努力を惜しむのではないでしょうか。本来の素晴らしい自分はすでに存在している、後は、白馬の王子様がやってきさえすれば、素晴らしい私が現れる、そんな風に思っているのかもしれません。
山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、我、人と訪め行きて、涙さしぐみ帰りきぬ、、、、
「本来の素晴らしい自分がすでに存在している」とか「その素晴らしい自分を具現化することを妨げている外部の要因が除かれば幸福なれる」という考えが、現実の前に押し潰されるという経験をして、人は大人になっていくのではないでしょうか。
というわけで、France Gallで「夢に見た王子様」、この歌詞はシビれますぜ、旦那。