百醜千拙草

何とかやっています

ズルズル

2019-05-03 | Weblog
人生、折り返し地点を過ぎ、そろそろ整理や大掃除をしてスッキリしたいと折々に感じるようになりました。誰でもそうでしょうけど、ある程度の歳になると、自然に囲まれた田舎で晴耕雨読のシンプルな生活に憧れるもので、どこかの温かい土地の農園の横の小さな家に一人暮らしして、ミカンとブドウと野菜を育て、時々、近所のお寺に言って説教を聞くような生活を送ってみたいと思ったりします。しかし、この年まで生きていると、仮にそういう生活を手に入れても、多分、いろいろな面で、二年ぐらいで限界になるだろうということも予測がつくわけで、そのあとの希望と計画がない状態では、踏み切るには難しく、結局、今日もズルズルの毎日です。

その過去のそのズルズルが続いた結果が、今現在なのです。二十年ズルズルです。ズルズルだけれども向上心がなくてだらけているわけではないと思っております。頑張っているつもりですけど、ちょうど滑りやすい急な斜面のようなズルズル感です。這い上がっているつもりでも同時にズルズル下がってくるのでいつまでたっても上に行き着けず、同じ場所です。

今の場所に随分、長くいますが、若い人は来てもある程度経つと、別の職場に去っていくので、いつまでたってもずっと下っ端です。これがズルズルの正体です。これから10年以内に多分講座の半数上は引退することになり、そのころにおそらく講座の再編は不可避の事態になるのではないかなと思います。ま、私はもっぱら講座外の研究者の人と共同研究することの方が多いので、あまり関係ないのですけど、その前に、私も下っ端のままズルズルと引退する可能性もあるわけですが。

私、研究そのものは好きですし、アイデアを考えるのも好きです。手を動かすのも好きです。また、何らかの形で社会や研究の分野に貢献したいと望んでおり、一応、その努力もしているつもりです。でも、自分は研究を通じて一体何をしたいのか、実はいまだによくわかっていません。この間、新しい総合分野のチーフになった人向けに5分で自分の研究を説明する会がありましたが、困ってしまいました。いろいろランダムにやってますよ、と話しました。きっと「こいつは何がしたいのだ」と思ったでしょう。いろいろなことに興味は湧くのですが、一つのことを深く掘り下げるというのが、あまり得意ではないのです。堀さげているうちに何となく先行きが見えてきたような気持ちになって興味が薄れていきます。

ずっと掘り下げていける人には、二種類あるような気がします。その分野にどっぷりはまって出られないので、仕方なしに重箱の隅的研究を続けている人と、その分野に強い興味と使命感と情熱を持ち続け、次のレベルを目指し続ける求道者の人、私、身近に両方のタイプの研究者がいるので顔が浮かびます。どちらも結構、つらいと思います。私はどちらでもないのですが、とりあえず掘ることそのものは好きなので、あちこち掘ってます。周囲には何をやっているのかわからんが、その辺で何かやっている人と認識されているようです。ま、軽いのですね。

私の身近にいる尊敬する研究者の人は、若い時に衝撃的な論文を出し(そもそも、私はその論文を大学院時代に読んだのがきっかけで研究を続けたいと思ったのですが)、その出世作以来、一貫して転写因子と細胞分化を追求されていてます。寡作な方ですが、出す論文は必ずいぶし銀の味わいを持つハイレベルの仕事です。そういう論文を読む度に、わが身と比べて(比べる方がおこがましいですが)多少、落ち込んだりします。

私にはそういう一貫したものがありません。何か特定の疑問に答えたいという強い欲求がなく、何でも面白いものは追求してみたいと思う方です。しかし、これではなかなかお金を出すほうも仕事をくれる方も納得してくれません。彼らは私が、何の疑問を解決したいのか、それにどのように取り組んでいくのか、そして、どのように長期的に世の中に貢献していくつもりなのか、を具体的に知りたがります。ま、当然のことで、自分のやりたいことをはっきりと言えないような人間に、普通、金を出すような奇特な人はおりません。
ま、しかし、「もはや今更」ですので、ゲリラ的に資金を集め、いろんな人のリソースを拝借しつつ、この世界の片隅で雑草のようにやっていきたい、と考えております。

そんな私が今だに研究を続けているきっかけになった論文を書いた研究者の人ですが、不思議な縁で、研究施設も違うし、専門分野も元々違うのに、向こうの方が研究システムを変えて、私の方の分野に近いことをやりだしたので直接交流させてもらう幸運に恵まれました。私にとっては雲の上の人なので、今でも会うと多少、緊張します。また、もう一人、いろいろ世話になっている人もそうで、その人がウチの分野に大きなインパクトを残す発見をした時に、学会帰りの空港へのバスに乗り合わせて無駄話をしたのが最初の出会いで、当時は研究の興味も違えば、施設も遠く離れており、特に何の接点もなかったのに、その後なぜか近所の施設に移ってきて、今のように親しくしてもらって、共著の論文を書くことにもなりました。

振り返れば、これらの私にとっては「雲の上」のような人々にいろいろと助けてもらうという僥倖があったからこそ、自分でも何がしたいのかよくわかっていないような私もへらへらとやってこれたのだと思います。客観的に振り返って、「非常に運が良かった」としか言いようがありません。そして、不思議なことに、ずっとその辺でウロウロしているというだけで、なぜか仲間扱いしてもらっています。やはり、運がいいからだ、としか説明がつきません。

そう思うと、ま、耐えれなくなってズリ落ちてしまうまでは、もうちょっとズルズルしていようかな、と思ったりする次第です。
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