tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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今井町を世界遺産に!

2010年03月05日 | 奈良にこだわる
毎日新聞奈良版(3/3付)の「時を継ぐ:平城遷都1300年」欄に、「今井町」シリーズの第1回目が載った。タイトルは《「世界遺産に」広がる活動》で、お話をされたのは以前、古社寺を歩こう会でお世話になった若林稔さん(今井町町並み保存会副会長 69歳)である。
※古社寺を歩こう会(今井町)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/3fc19abc7a9788e76d15ae6f941dffc7
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/990a6ad6cf6058f5ca6023128101e5d2

この町の説明が、記事に出ている。《本願寺の今井豊寿が戦国時代に整えた、浄土真宗・称念寺を中核とした寺内町。東西600メートル、南北320メートルの規模で環濠(かんごう)が設けられ、敵の侵入に備えて見通しがきかないように道路を屈折させた城砦(じょうさい)都市でもあった。江戸時代前期の17世紀後半には約1200戸の住宅に4000人を超す人々が暮らす豊かな町になった。現在も、多くの家が江戸以来の伝統様式を保ち、1650(慶安3)年建造の今西家住宅をはじめ国重要文化財が8軒ある》という町である。
http://mainichi.jp/area/nara/news/20100303ddlk29040504000c.html

以下、記事全文を紹介する。《「国の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の制度は、今井のためにできたようなもんです。この制度は、町を昔風に残してほしい、ということ。だから、中に住む人は不便になる。それでも、高く評価されてるんやから、よそのまねはせんと、この町独自の残し方を考えなければ」。江戸時代の雰囲気を今に伝え、全国から歴史愛好家らが訪れる橿原市今井町。86年から活動を続けている「今井町町並み保存会」(西川禎俊会長)に加わり、忙しい日々を送っている》。若林さんは西川会長を補佐して、この町をシッカリと守っておられる。



《近鉄の社員として、広報や企画部門で熱心に働いた。だから、生まれ育った今井の町並み保存が気になりながらも、ほとんど活動に加われずにきた。「だからかもしれないが、参加してからはつい一生懸命になり、メンバーからも『強引にやり過ぎや』と思われたかもしれません」と振り返る》。タテ社会の大企業の論理をヨコ社会の住民グループに持ち込もうとして、軋轢が生じたのかも知れない。

《保存会が毎年5月に催し、既に風物詩として定着しているイベント「今井町町並み散歩」。大阪・堺で成功を収めた商人で、千利休らと並ぶ茶人でもあった今井町出身の今井宗久が、豊臣秀吉や利休らと行列する姿を再現した「茶行列」など、ユニークなイベントを展開し、その中で若林さんは近鉄時代に身につけた知識と経験を発揮している》。

《町内にある今井小学校6年生の卒業生を招いて先月27日に保存会が催した「『大和今井の茶粥(ちゃがゆ)』体験の会」でも、「徹底して『本物』を」と、明日香村稲渕の棚田米など食材をすべて県内の特産品から調達した》。


古社寺を歩こう会で撮影(09.9.12)。トップ写真とも

「本物」は米だけではない。私がいただいた茶粥についていた説明書きによると「茶葉~遣唐使によって渡来し、日本で最初に茶の木が植えられた大和高原の無農薬、自然栽培茶を使用 米~明日香村稲渕の千枚田で獲れた棚田米 水~吉野天川村洞川(どろがわ)のごろごろ水 漬物~下市町広橋の梅干し、今井町河合酒造の奈良漬 デザート~大峰山洞川の吉野葛で作った葛餅。食器~赤膚焼。赤膚山元窯の登り窯で今井の駒つなぎ、軒瓦(のきがわら)を特別に意匠して制作した茶碗・皿・箸置 膳~柿渋染めランチョンマット。今井町河合酒造の柿渋、柿は大和の名産で古くから柿渋が清酒清澄剤、血圧を下げる薬、木地食器等木製品に塗布するなど、生活に取り入れられていました。ランチョンマットは『大和今井の茶粥』と和紙に墨書してその上から柿渋を塗布し、若者たちが夜なべをして裏打ちをしました 箸~吉野の割り箸(吉野杉の端材を活用している。生産は日本一) 杓(しゃく)~硬くて丈夫な栗の木を匠の手でくりぬいた一品」。これらをどこかでマネることができるだうか。


この町ではCM撮りもよく行われる。道では子供が水遊びしていた(演出ではありません)。07.1010撮影

記事の引用を続ける。《若林さんは、調査や見学で東京などから今井町を訪ねてくる学生を、積極的に自宅に招き入れている。「うちに泊まって、勉強した子らが帰る時、『また来ます』と言ったら、怒るんです。『帰ってきます』と言いや、と。『来る』のは、よその人。『帰る』と言えば、ここ今井がふるさとになる」》。

《昨年、東京・代官山を着物姿で練り歩いてPR活動を展開した。県から3人分の交通費を支給されたが、できるだけにぎやかにしようと、利用する交通機関を夜行バスに替え、7人で出かけた。すると、交流を続けてきた東京の大学生らが30人以上集まり、着物を着て一緒に歩いてくれた。保存会の活動は確実に広がっている》。代官山での行列は、大きな反響を呼んだ。

《江戸時代、今井町の商人は武士を招いて店の奥で茶会を開き、「城の普請をくださいな」と持ちかけて大きな商売をしていたという。「その茶会を開いた家が残っているんやったら、それに似合う商売ができるはず。400年前に、既に現代の商社のような仕事をしていた。このコンピューターの時代にできないはずがありません。先輩たちが残してくれたこの町で、それに似合う豊かなソフトを育てていかなあかんと思っています」》。

《保存会のメンバーと今年の年頭、今井町が世界遺産に認定されるよう努力していこうと確認し合った。今井町の中心であり、老朽化して修復が進められている称念寺の支援。10年後には、宗久の生誕500年記念イベントが待っている。「もっと町の中に入って、より多くの人たちと共有できる活動の場を広げていかなければ」。課題も山積するが、夢は大きく広がっている》。引用は以上である。

「今井町を世界遺産にしよう」とは壮大な夢であるが、夢を持たなければ、何事も始まらない。私は小京都ブームだった学生時代、全国各地の「むかし町」を見て歩いたが、こんなスゴい町は見たことがない。世界遺産の資格は十分にある。

世界遺産登録を実現するのに最も大切なのは、住民のコンセンサスの形成と(登録実現に向けての運動への)住民の参画である。そのためには「世界遺産になると、あなたにこんなメリットがありますよ」というものが必要だ。この辺りは、ぜひ皆さんのお知恵をお貸しいただきたいと思う。

今井町シリーズは全5回の連載なので(週1回?)、続きが楽しみだ。
コメント (15)
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