産経新聞奈良版と三重版に好評連載中の「なら再発見」、今朝(1/26)のタイトルは《広陵町の竹取公園 身近な「かぐや姫」に親しみ》である。執筆者は北葛城郡広陵町出身・在住、奈良まほろばソムリエ友の会の大山恵功(よしのり)くんである。大山くんは、同じ勤務先の同期である。
これでめでたく産経執筆チーム13人の全員が一巡したことになる(私だけ2回載ったので、今回は14回目。また最近執筆者は1人増えて14人となった)。以下、全文を掲載する。
広陵町の「竹取公園」には、竹から生まれたばかりのかぐや姫を表現した巨大な像がある。単なるモニュメントだと思ったが、裏に回ると実はトイレと分かった。
「竹取物語」は、竹取の翁(おきな)が大切に育てたかぐや姫が、帝(みかど)や貴公子の求婚を断り、満月の夜に月へ帰ってしまうという話だ。
町内では、「はしお元気村」の屋根にかぐや姫像があるほか、あちこちで「かぐや姫のまち」の看板をみかける。
「竹取物語」の舞台は本当に広陵町なのだろうか。地元出身の筆者も半信半疑だったので、その根拠を調べてみた。
* * *
「竹取物語」は古くからあるかぐや姫伝説などを題材に、平安時代初期に日本最初の物語として書かれた。登場する求婚者や竹取の翁の名前から広陵町も舞台と考えられている。
物語に登場する5人の求婚者の名前は、壬申の乱で功績があった実在の人物とされ、当時の都があった飛鳥か藤原京周辺に住んでいたと思われる。
求婚のために通ったのであれば、竹取の翁とかぐや姫の住んでいたところは、大和国のどこかだろう。
物語の冒頭には竹取の翁は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」、つまり「讃岐村の村長」と書かれている。
広陵町三吉(みつよし)には県内では唯一、讃岐の名がつけられた「讃岐神社」があり、江戸時代まで周辺は「散吉(さぬき)郷」とも呼ばれていた。
「讃岐」や「散吉」が今の「三吉」になり、讃岐造をはじめとする讃岐の一族は、讃岐神社周辺に住み、ここを舞台に竹取物語が作られたと考えられる。
* * *
実際、讃岐神社は真美ケ丘ニュータウンから少し入った、竹取公園の近くの古風な集落の雰囲気が残る場所にあり、かぐや姫の時代の雰囲気を残している。
時代はさかのぼるが、巣山(すやま)古墳や三吉石塚古墳、新木山(にきやま)古墳などがある馬見古墳群の中心地域でもあり、古代の歴史を感じさせる。
奈良の近くでは、美しい竹林がある京都府の向日市や京田辺市も竹取物語の候補地だ。
筆者には物語の舞台は広陵町で間違いなさそうに思えるのだが、本当にかぐや姫のような魅力的な女性がいて、月に帰ってしまったのだろうか。
物語のルーツを探しに広陵町に足を運び、ゆかりの讃岐神社や竹取公園などを巡り、古代のロマンを感じられてはいかがだろう。(奈良まほろばソムリエ友の会 大山恵功)
以下の2枚は、讃岐神社(広陵町三吉)。撮影は大山くん
竹取物語由来の地は、全国にある。Wikipedia「竹取物語」によると、
日本各地に竹取物語由来の地と名乗る地域があり、竹取物語(かぐや姫)をテーマにしたまちづくりを行っている。また以下の7市町(市町村コード順)では「かぐや姫サミット」という地域間交流が定期的に開催されていた。
●静岡県富士市
物語の結末で、富士山(不死山)が登場することと、かぐや姫が月ではなく富士山に帰ったという説から麓の富士市にある竹林を由来としている。また、竹取物語と類似の話が富士山本宮浅間大社の縁起として伝えられており、祭神の木花咲耶姫が、かぐや姫のモデルだとする説もある。
●京都府向日市
●奈良県広陵町
竹取の翁は「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれており、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷(現奈良県北葛城郡広陵町三吉)と考えられている。また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定される藤原京から十分通える距離であり、「竹取物語ゆかりの神社」と称する讃岐神社も鎮座している。
●岡山県真備町(現倉敷市)
●広島県竹原市
●香川県長尾町(現さぬき市)
●鹿児島県宮之城町(現さつま町)
他にも、京都府京田辺市が竹取物語由来の地と名乗っている。
私は学生時代、授業で『竹取物語』の原話はチベットの『斑竹姑娘』である、と教わった。しかしこれはインチキだったようだ。Wikipedia「斑竹姑娘」によると、
『斑竹姑娘』(はんちくこしょう/パヌチウクーニャン)とは中華人民共和国四川省のアバ・チベット族に伝わる物語。田海燕が自身の編著である『金玉鳳凰』という民話集に収録して初めて公表した物語で、田によると四川省のアバ・チベット族に伝わる民話を1954年に採集したものという。
粗筋が日本の昔話である『竹取物語』に酷似しているためにその原話と目されて注目を集めたが、現伝『竹取物語』(平安時代における改編を蒙っている)に似過ぎている点に疑いがあり、また類話を含めて分布が一切認められない点、採集者の民話には忠実な採録より創作性が顕著である点から、原話ではなく逆に田が『竹取物語』を翻案したものと見られている。
奈良県民としては私も、竹取物語の舞台は当時の都に近い広陵町三吉(散吉郷)であると考えたいが、いかがだろう。
これでめでたく産経執筆チーム13人の全員が一巡したことになる(私だけ2回載ったので、今回は14回目。また最近執筆者は1人増えて14人となった)。以下、全文を掲載する。
広陵町の「竹取公園」には、竹から生まれたばかりのかぐや姫を表現した巨大な像がある。単なるモニュメントだと思ったが、裏に回ると実はトイレと分かった。
「竹取物語」は、竹取の翁(おきな)が大切に育てたかぐや姫が、帝(みかど)や貴公子の求婚を断り、満月の夜に月へ帰ってしまうという話だ。
町内では、「はしお元気村」の屋根にかぐや姫像があるほか、あちこちで「かぐや姫のまち」の看板をみかける。
「竹取物語」の舞台は本当に広陵町なのだろうか。地元出身の筆者も半信半疑だったので、その根拠を調べてみた。
* * *
「竹取物語」は古くからあるかぐや姫伝説などを題材に、平安時代初期に日本最初の物語として書かれた。登場する求婚者や竹取の翁の名前から広陵町も舞台と考えられている。
物語に登場する5人の求婚者の名前は、壬申の乱で功績があった実在の人物とされ、当時の都があった飛鳥か藤原京周辺に住んでいたと思われる。
求婚のために通ったのであれば、竹取の翁とかぐや姫の住んでいたところは、大和国のどこかだろう。
物語の冒頭には竹取の翁は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」、つまり「讃岐村の村長」と書かれている。
広陵町三吉(みつよし)には県内では唯一、讃岐の名がつけられた「讃岐神社」があり、江戸時代まで周辺は「散吉(さぬき)郷」とも呼ばれていた。
「讃岐」や「散吉」が今の「三吉」になり、讃岐造をはじめとする讃岐の一族は、讃岐神社周辺に住み、ここを舞台に竹取物語が作られたと考えられる。
* * *
実際、讃岐神社は真美ケ丘ニュータウンから少し入った、竹取公園の近くの古風な集落の雰囲気が残る場所にあり、かぐや姫の時代の雰囲気を残している。
時代はさかのぼるが、巣山(すやま)古墳や三吉石塚古墳、新木山(にきやま)古墳などがある馬見古墳群の中心地域でもあり、古代の歴史を感じさせる。
奈良の近くでは、美しい竹林がある京都府の向日市や京田辺市も竹取物語の候補地だ。
筆者には物語の舞台は広陵町で間違いなさそうに思えるのだが、本当にかぐや姫のような魅力的な女性がいて、月に帰ってしまったのだろうか。
物語のルーツを探しに広陵町に足を運び、ゆかりの讃岐神社や竹取公園などを巡り、古代のロマンを感じられてはいかがだろう。(奈良まほろばソムリエ友の会 大山恵功)
以下の2枚は、讃岐神社(広陵町三吉)。撮影は大山くん
竹取物語由来の地は、全国にある。Wikipedia「竹取物語」によると、
日本各地に竹取物語由来の地と名乗る地域があり、竹取物語(かぐや姫)をテーマにしたまちづくりを行っている。また以下の7市町(市町村コード順)では「かぐや姫サミット」という地域間交流が定期的に開催されていた。
●静岡県富士市
物語の結末で、富士山(不死山)が登場することと、かぐや姫が月ではなく富士山に帰ったという説から麓の富士市にある竹林を由来としている。また、竹取物語と類似の話が富士山本宮浅間大社の縁起として伝えられており、祭神の木花咲耶姫が、かぐや姫のモデルだとする説もある。
●京都府向日市
●奈良県広陵町
竹取の翁は「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれており、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷(現奈良県北葛城郡広陵町三吉)と考えられている。また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定される藤原京から十分通える距離であり、「竹取物語ゆかりの神社」と称する讃岐神社も鎮座している。
●岡山県真備町(現倉敷市)
●広島県竹原市
●香川県長尾町(現さぬき市)
●鹿児島県宮之城町(現さつま町)
他にも、京都府京田辺市が竹取物語由来の地と名乗っている。
私は学生時代、授業で『竹取物語』の原話はチベットの『斑竹姑娘』である、と教わった。しかしこれはインチキだったようだ。Wikipedia「斑竹姑娘」によると、
『斑竹姑娘』(はんちくこしょう/パヌチウクーニャン)とは中華人民共和国四川省のアバ・チベット族に伝わる物語。田海燕が自身の編著である『金玉鳳凰』という民話集に収録して初めて公表した物語で、田によると四川省のアバ・チベット族に伝わる民話を1954年に採集したものという。
粗筋が日本の昔話である『竹取物語』に酷似しているためにその原話と目されて注目を集めたが、現伝『竹取物語』(平安時代における改編を蒙っている)に似過ぎている点に疑いがあり、また類話を含めて分布が一切認められない点、採集者の民話には忠実な採録より創作性が顕著である点から、原話ではなく逆に田が『竹取物語』を翻案したものと見られている。
奈良県民としては私も、竹取物語の舞台は当時の都に近い広陵町三吉(散吉郷)であると考えたいが、いかがだろう。