tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良の日本酒を世界に売り込もう!

2013年01月21日 | 奈良にこだわる
読売新聞(1/8付)の「語る 日本再生(2)」に《「國酒」世界へ売り込め》という記事が載っていた。NPO法人スマート観光推進機構 理事長の星乃勝さんが、記事を要約してFacebookで紹介されていた。

1/8の読売新聞にはせがわ酒店社長の長谷川浩一氏の記事があった。ロンドン五輪に出店し日本酒の海外への普及のため販売に努めたという。料金は5ポンド(約700円)と10ポンド(約1400円)。大方の人は「いいワインだね」とじっくり味わってくれる。日本酒には独特の旨味があり、手作り感も世界で評価されるポイントだ。時間はかかるだろうが絶対に世界で通用すると確信を得たと長谷川氏はいう。

長谷川氏が世界に目を向け始めたのは12年前。全国の小さな酒蔵を訪ね歩いて、良質の日本酒を手に入れ、販売したのがきっかけそうだ。日本人の日本酒離れが進むなかで、国内だけでは限界が来ると思い輸出会社を作り、アメリカやヨーロッパで利き酒会を催したり、国際行事でバーを出店するなどしてきたという。

当時、海外では日本酒は温めて飲む、(混ぜて)カクテルのようにして飲むというような、偏ったイメージを持たれた方が多かったそうだ。その後、少しずつ評価も高まり、「醸し人九平次(かもしびとくへいじ)」という酒がパリの三ツ星レストランに置かれるまでになったという。しかし「費用対効果を考えたら、日本酒の輸出は当分ビジネスにならない。僕たちの子供の世代のためにやっている」と書かれていた。

日本酒は情報提供が全くできていない。ワインは情報提供があったからこそ勉強できた。だから今、日本酒の製造や保管の方法、飲み方について、より詳しい海外向けのガイドブックを作っているという。

昨年9月、日本政府は、日本酒や焼酎を国酒と位置づけて、輸出促進を図る「ENJOY JAPANESE KOKUSHU(國酒を楽しもう)」プロジェクトをまとめた。その時のメンバーの一人が長谷川さんでもある。酒蔵の数は、2001年度には1529ヵ所あったが、2010年度には1272ヵ所に減少している。日本酒造は伝統産業である。その伝統産業が、時代の波に飲み込まれて消えてしまうことだけは避けたいという。



上記2枚の画像は、はせがわ酒店のホームページから拝借

はせがわ酒店のHPの「はせがわ酒店のお客様へ」には、長谷川浩一社長のこんなメッセージが載っている。

無くても困らないものの代表かもしれないお酒。 でも私たち酒徒にとっては無くては成らない大切なもの。 ただ酔うだけのお酒ならばスーパーマーケットやコンビニエンスストアで安価で手軽に手に入ります。

でもそれでは寂しいし明日への活力などとても創造できません。飲んでいて楽しく、浮き浮きしてきて高揚するそしてほんのちょっぴりプライドをくすぐってくれるお酒。 ハレの日に慶びを倍増させてくれるお酒。悲しいときにもそっと温かく包み込んでくれ、慰めてくれるお酒。

そんなお酒もあるんですよ。そういったメッセージのこもったお酒をはせがわ酒店は皆様にご紹介し続けています。 特にお米から出来る本当に神秘的な日本酒 世界広しといえどもこんなに手間暇がかかるお酒はありません。 神秘的な吟醸香、複雑極まりない味わい。ワインにも決して負けない食中酒として、もっと々皆様に認知していただきたい。 僭越ですが日本人の日本酒知らずをはせがわ酒店が変えて行きたい社員全員が常日頃考えております。


「はせがわ酒店のブログ」を開いてみると、直近(1/18付)の記事で、千代酒造(奈良県御所市)の「櫛羅(くじら)純米無濾過生」が紹介されていた。《本日もたくさん新酒が入荷しております。ご紹介の第一弾は 篠峯(しのみね)を醸す奈良県・千代酒造より 自社田で栽培した山田錦により醸した限定酒です。軽快な甘味とふくよかな旨味 キリッとした酸のある溌溂とした味わい。1回限りの入荷となります》。千代酒造の酒は、篠峯も櫛羅も、とても美味しいので私も愛飲している。東京のはせがわ酒店が、はるばる御所の名酒に着目されたという慧眼には、敬服する。

奈良県下の蔵元も、早くから輸出に取り組んでいる。少し古い情報だが、今西清兵衛商店(奈良市)、梅乃宿酒造(葛城市)、油長酒造(御所市)、北岡本店(吉野町)、久保本家酒造(宇陀市)などが紹介されている。中谷酒造(大和郡山市)は95年から中国で日本酒を現地生産している。

奈良県下には丁寧に醸す小さな酒蔵が多く、個性豊かな美味い酒がたくさんある。しかし巨大メーカーや大ブランドがないので、国内はもとより県内でもあまり知られていないのが実情だ。「日本人の日本酒知らず」ならぬ「奈良県人の奈良酒知らず」だ。しかし海外向けだと、それはハンディにならない。上質な日本酒は、上質なレストランで受け入れられている。

美味しい「NARA SAKE」を、ぜひ世界へ売り込んでいただきたいものだ。星乃さん、良い記事をご紹介いただき、有難うございました!

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結崎ネブカを使った新感覚レシピ完成記念「品評会」に行ってきました!

2013年01月20日 | 奈良にこだわる
結崎(ゆうざき)ネブカをご存じだろうか。川西町商工会のニュースリリースによると《室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り異様な怪音とともに寺川のほとりに落下物があった。この落下物は、一個の翁の能面と一束のネギで、村人は能面をその地にねんごろに葬り、ネギはその地に植えたところ見事に生育し、戦前まで「結崎ネブカ」として名物になった。(中略) この伝説にあるように「結崎ネブカ」は事実上、大和野菜の雄として市場を賑やかす存在であったものの、時代の流れとともに姿を消すこととなったのです》。





しかし《平成14年度に本会が実施した事業において、川西町の新たな魅力を発掘する中で、この「結崎ネブカ」というキーワードに辿りつき、復活を目指す事業(物語)が始まったのであります》。
柔らかくてとても美味しいのに、「日持ちがしない」「病虫害に弱い」として忘れ去られていた「幻のネギ」である。これを11年前に復活し、今も懸命な取り組みが続いている。私は「奈良のうまいものづくり」部会委員(県農林部)時代から関心を持ち、結崎ネブカはとろ~り甘い結崎ネブカうどん などのブログ記事で応援してきた。記事を見て、静岡県や兵庫県から「結崎ネブカうどん」を食べに来られた方もいらっしゃった。





昨年末、川西町商工会広域経営指導員の吉岡清訓さんから、こんなメールをいただいた。《今年度、国の助成を受け「結崎ネブカ」新しい側面の可能性を調査研究する事業に取り組んでおり、その中で「結崎ネブカ」のレシピ開発を食や栄養の専門家を育成する畿央大学と連携して取組んでいるところでおり、この度、完成披露を兼ねて品評会を実施することになりました》。





《畿央大学の学生さんが若い新しい感覚で開発したレシピを実際に調理し、本事業の実行委員などが試食(モニタリング)する予定であります。ついては大変お忙しい中恐縮ですが、「結崎ネブカ」をご支援また広く普及いただいておりますtetsudaさんに、ぜひご参加いただき貴重なご意見をお伺いしたいと思いご連絡させていただきました》。

畿央大学には、もと職場の先輩のMさんも勤務している。これは行かねばと1月15日(火)、畿央大学(北葛城郡広陵町)の門をたたいた。





結崎ネブカはネギ(葉ネギ)である。通常、ネギは主役ではなく脇役である。脇役を主役に据えて、同大学健康栄養学科の2回生78人は、20種類ものレシピを作ったのだ。これは大変なことである。学生たちがレシピの説明しているうちに料理が配られ、審査員が採点する。



審査員は私を含め18人で、川西町商工会の会長、同町の副町長、JA川西支店の支店長をはじめ、旧知の山根清孝さん(食品開発コンサルタント)、料理研究家のおぜんさんなどの顔ぶれだ。審査は見た目、味、家庭での作りやすさがそれぞれ5点満点(計15点満点)と、審査員のボーナスポイントが3点。私は外見のインパクト・目新しさ(見た目)、ネブカの味をちゃんと引き出しているか(味)、そしてサプライズ感(ボーナスポイント)に着目して採点した。参考までに、私のつけた点数を料理名のあとに書いておく(丸印)。




1班「ネブカのホイル焼き(味噌マヨネーズ)」⑬「同(塩)」⑪「ネブカのミートドリア」⑮。ドリアは味もボリュームも申し分なかった

この日の様子が、すでに畿央大学のHPに紹介されていた。タイトルは《川西町連携事業「結崎ネブカレシピ」品評会を実施しました! 根深ネギだけでこんなに沢山のメニューができました!》




2班「鶏ささみとネギの和え物」⑨「ネブカのケークサレ(塩ケーキ)」⑪「ネブカのカレー鶏そぼろ」⑭。この鶏そぼろは、ご飯と炒めても美味しいだろう

《畿央大学健康栄養学科2回生の配当科目「給食経営管理論実習」(指導教員:上地加容子先生)の後期授業では、川西町商工会と連携して大和伝統野菜の一つとして「結崎ネブカ(根深ネギ)レシピ開発」に取り組んでいます》。


3班「チューリップの甘酢あんかけ」⑯「ネブカご飯」⑬「チヂミ」⑨。甘酢あんかけからはネブカの旨味がビンビン伝わってきた。ネブカご飯は隠し味のごま油がよく利いている


4班「彩り野菜のピクルス」⑪「ねぎドーナツ」(穴は空いていない)⑩。ドーナツは思ったほどのインパクトはなかった

《2回生78名が8つのグループに分かれてネブカレシピ20作品を紹介する場として、2013(平成25)年1月15日早朝から調理し出来上がった料理を学生のプレゼン後に実際に食べて審査していただく「品評会」を行いました。川西町からは松本副町長、吉村商工会長、宇野結崎ネブカ生産部会長、JA川西職員はじめ20数名の方々にお越しいただきました》。




5班「結崎ネブカとタコの酢の物」⑨「結崎ネブカとそぼろの甘辛炒め(みそ)」⑪「同(しょうゆ)」⑪

《給食経営管理論実習は毎週火曜日9月から始まり教職員・学生たちに昼食メニューを提供し数多くのレシピが誕生しました。一口サイズの小分け料理に適さないメニューや調理試作で不可となったものを含め今回の試食審査会で出品できないものなど番外編メニューも沢山ありました。完成した料理レシピは来年度に小冊子化されるほか、川西町広報誌や奈良県広報誌などに順次掲載され一般家庭向けに新たな食べ方として紹介される予定です》。




6班「厚揚げの中華ねぎダレ」⑨「厚揚げの豚肉ネギみそ炒めがけ」⑭。ネギみそ炒めがけからは、ネブカの味がよく伝わる

《朝9時前から78名が8グループとメニュー別の班に分かれ、指導教員上地助教、新谷助手、吉居助手の「もう時間がないですよ!」と限られた時間内でレシピ片手に調理開始している様子はまさに戦場さながらです》。




7班「結崎ネブカのコンソメスープ」⑨「3色ミルフィーユ(重ね)ロールカツ」⑬。ロールカツは見た目よりあっさりしていて、私の好みである

まぁそれにしても、よくこんなにたくさんのレシピを思いついたものである。健康栄養学科の学生さんということは、将来は管理栄養士をめざしているのだろう。将来が頼もしい。女性がほとんどだが、男性も混じっている。


8班「豚肉とネブカのミルフィーユ鍋」⑮「ねぎと大根と油揚げの煮物」⑭。どちらもネブカの味がしっかり伝わる逸品(この写真は、おぜんさんのブログから拝借)


鍋に入った状態のミルフィーユ鍋を、わざわざ見せてくれた

tetsuda審査員の採点結果では

「チューリップの甘酢あんかけ」⑯「ネブカのミートドリア」⑮「豚肉とネブカのミルフィーユ鍋」⑮「ネブカのカレー鶏そぼろ」⑭「厚揚げの豚肉ネギみそ炒めがけ」⑭「ねぎと大根と油揚げの煮物」⑭「ネブカのホイル焼き(味噌マヨネーズ)」⑬「ネブカご飯」⑬「3色ミルフィーユロールカツ」⑬

あたりが票を集めた。「洋モノ」「がっつり系」が中心になっているのは、サプライズ感を求めたせいだろうか。さて正式な審査結果は先ほどのHPの続きから引用する。





《この日表彰を受けた作品は、川西町長賞=ネブカと油揚げの煮物、川西町商工会長賞=ネブカとじゃことタコの酢の物、ネブカ生産部会長賞=3食ミルフィーユカツの3作品に賞状と景品、また参加学生全員には川西町特産貝ボタンをベースに畿央ロゴをあしらった特製ピンバッジが贈られました》。


優勝した「ねぎと大根と油揚げの煮物」(川西町長賞)



《川西町、同商工会、JA川西、ネブカ生産者等関係者のみなさま、ありがとうございました。畿央大学健康栄養学科では今後とも大和の野菜・肉鶏・ポークなど食材の地産地消による奈良県産の安全で美味しい食材レシピの開発を通して情報を発信してまいります》。





1位 ねぎと大根と油揚げの煮物
2位 結崎ネブカとタコの酢の物
3位 3色ミルフィーユロールカツ


という結果だった。2位の「結崎ネブカとタコの酢の物」は、ノーマークだった。「ワケギの酢和え」のような味だったので、新鮮味がないと思ったのだ。給食などを前提にしているので「わりと無難な料理が上位に選ばれたな」というのが実感だ。この日の様子は、おぜんさんも、「結崎ネブカ」新感覚レシピ 完成品評会としてブログに書かれている。

日本農業新聞(1/16付)に、審査員の講評が出ていた。「ねぎと大根と油揚げの煮物」について《審査員を務めた松本ひろ子副町長は「ネギの味がよく出ていた。子どもからお年寄りまで楽しめる。毎日食べても飽きない」と講評した》。全般について川西町商工会の《生産部会の宇野正増会長は「熱心に取り組んでくれた。甘味や柔らかさの特徴を生かして作ってくれた」と評価。同科の上地加容子助教は「ドーナツや中華風あんかけなど、若者らしいアイデアのレシピができた。若い世代へのPRに活用できるのではないか」とみる》。

私は以前、ねぎ料理の葱八京橋店を訪ね、当ブログで紹介したことがある。九条ネギを駆使して、美味しい居酒屋料理に仕立てていた。20種類ものレシピがあれば、季節限定)で「結崎ネブカづくし」の料理店(アンテナショップが開けそうである。大和肉鶏やヤマトポークとのコラボ料理を提供するのもいい。

吉岡さん、素晴らしいイベントにご招待いただき、有難うございました。畿央大学のM先輩、シッカリと書いておきましたよ。このレシピを使い、美味しい結崎ネブカを全国に発信してください!

※日本農業新聞(1/16付)の記事
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吉野町 柿の葉寿司(産経新聞「なら再発見」第13回)

2013年01月19日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版と三重版に好評連載中の「なら再発見」、今朝(1/19)の見出しは《吉野町「柿の葉寿司」 山里の家庭料理に舌鼓》である。愛知県刈谷市に住むソムリエの加藤英之さんが、何度も現地に足を運んで書かれた力作だ。では全文を紹介する。
※トップ写真は季節料理店「静亭(しずかてい)」の柿の葉寿司。5/12に再アップした

 本場の「柿の葉寿司」が食べたくなって、愛知県刈谷市愛知県の自宅を出て吉野に向かった。柿の葉寿司は本来、奈良、和歌山両県の吉野川(紀ノ川)の山里の家庭料理だ。
 江戸時代中頃、熊野灘の夏鯖(なつさば)は、塩を打たれた後、紀ノ川を遡(さかのぼ)ったり熊野街道を峠越えしたりして運ばれてきた。
 薄切りの塩鯖は寿司飯にのせて柿の葉で包み、杉の桶に詰め込んで蓋(ふた)と重石を載せる。数日置いて乳酸発酵させた馴(な)れ寿司が起源だが、今は発酵させず押し寿司にしている。
 やがて新巻鮭を使ったものがレパートリーに加えられるようになった。今では鯛や穴子もある。また毎年秋には、柿の葉が紅葉したものが数量限定で販売されている。


      *   *   *
 吉野町の金峯山寺蔵王堂から歩いて勝手神社に着いたところで、季節料理店「静(しずか)亭」に立ち寄った。
 勝手神社は、源頼朝に追われる義経に従った静御前が舞を奉納した場所と伝わる。静亭のテラスの前に谷を挟んで広がる桜の山は、中千本だ。
 冬ともなれば、雪の華舞う吉野山だ。柿の葉寿司と鮎の塩焼き、葛うどん、それに地酒も注文する。地酒は「八咫烏(やたがらす)」や「猩々(しょうじょう)」「花巴」と役者が揃っている。
 若女将の林美佳さんによると、柿の葉は夏場の青々としたものを塩漬けにして使う。渋柿の葉でなければならないそうで、平核無(ひらたねなし)という品種が最上という。葉の表を内側にして寿司を包む。柿の葉には生臭さをす効果がある。タンニンが含まれているので防腐の作用があり、鯖の身も締まる。
 甘柿より渋柿の葉の方がタンニンを多く含むという。また、渋柿の葉の方が葉脈が細くて折れにくく、しなやかで包みやすいようだ。吉野の人々の繊細な心遣いが感じられる。


      *   *   *
 2軒隣りには、「櫻花壇(さくらかだん)」がある。昭和天皇が昭和26年の巡幸の際に宿泊された旅館で、大棟の両端には鴟尾(しび)が載っていて風格が漂う。
 吉川英治や小林秀雄、今日出海(こんひでみ)、山本健吉ら多数の文人が泊まったことでも知られる。昭和5年秋には、谷崎潤一郎が1カ月ほど滞在し、「吉野葛」を執筆している。谷崎は3年後に「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」を発表する。そこで吉野地方の柿の葉寿司を絶賛したことから、全国的に知られるようになった。
 「陰翳礼讃」を読み返すと、吉野へ遊びに行った友人に作り方を教わり、家で作るとうまかったと書いている。
 どうやら谷崎は、吉野で柿の葉寿司を食したことはないようだ。吉野町上市の総本家平宗は、昭和天皇ご巡幸時に吉野名物として鮎寿司を献上した老舗。女将の平井良子さんに確かめたところ、谷崎が来店したことはないという。
 本場で柿の葉寿司を食べなかったことは、さぞ心残りだろう。
(奈良まほろばソムリエ友の会 加藤英之)



こちらは、柿の葉ずしヤマトの商品

私は紀ノ川筋の九度山町(和歌山県伊都郡)で生まれ育ったので、柿の葉寿司は自宅で作ったものを食べた。秋祭りのときのご馳走だ。母の実家(吉野郡大淀町)では、6月1日の川開きのときに作っていた。自宅で作る柿の葉寿司は鯖がメインだが、蒲鉾(ナルト)を載せたものもあった。


平宗では、鍋焼きうどんにも柿の葉寿司がついてきた

日にちが経った鯖寿司は柿の葉を外してフライパンで焼き、「焼き鯖寿司」にして食べたが、これがとても美味しかった。出来たての鯖寿司を勝手に焼いて、叱られたこともあった。柿の葉に巻いたまま、炙り焼きにする家もあった。

今も柿の葉寿司は、吉野山へ行くと必ずお土産に買って帰る。以前当ブログに、本場吉野の「柿の葉寿司」という記事を載せたこともある。

加藤さん、美味しい柿の葉寿司のお話、有難うございました!


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奈良まほろばソムリエ検定2013(第7回)、まほろばソムリエの解答 私案

2013年01月18日 | 奈良検定
さて、いよいよ最上級「奈良まほろばソムリエ」の解答(私案)である。四択は全30問だ。

エ、イ、イ、イ、イ ア、ア、ア、ア、イ
ウ、イ、ウ、ウ、ア ア、ウ、ウ、イ、ア
エ、ア、ウ、イ、エ ア、ア、エ、イ、ア

さすがにソムリエは難問揃いである。

(30)平成24年(2012)7月、日本機械学会によって「機械遺産」に選ばれたのはどれか。
   ア.吉野山ロープウェイ イ.生駒山上遊園地飛行塔
   ウ.近鉄生駒鋼索線 エ.近鉄五位堂車庫の大阪電気軌道デボ1形
これは時事問題だ。新聞をよく見ておけばすぐ分かるが、知らなければお手上げである(正解はア.)。

(20)『古事記』に、大和へ入ろうとしたカムヤマトイワレビコ一行が、地元の有力者である兄弟と出会い、弟の助けを得て進軍したとある。ゆかりの地名が残るその場所は、今のどこといわれるか。
   ア.宇陀市菟田野町 イ.桜井市三輪 ウ.葛城市長尾 エ.橿原市畝傍町

やはり「古事記1300年」関連問題が出た。『古事記』を読んでいればごく簡単な問題である。読んでいなくても、神武東征のルートを少しでも知っていれば、類推できる。兄宇迦斯(えうかし)が命を落とした「大殿」の跡はヲドノという地名として残っている(正解はア.)。 

(24)春日若宮おん祭で、現在は大人がつとめているが、元は子供がつとめていた役割はどれか
   ア.田楽 イ.日使 ウ.猿楽 エ.細男

これは、こっそりソムリエを受験されたNさんがFacebooで話題にされ「田楽って子どもがやってたの? ほんまにわからへんのよ、誰か教えて~」と書かれ、20件以上のコメントが入っていた。地元出版社社長のSさんが正解を書き込まれていたが、実はテキストにもちゃんと載っている(正解はイ.)。

まあそれにしても、難問揃いである。

(4)ルイス・フロイスの『日本史』に記載されている松永久秀の多聞城を絶賛した書簡を差し出した宣教師は誰か。
   ア.ドン・ジュスト イ.ルイス・デ・アルメイダ
   ウ.ミゲル・ミノエス エ.ベルナール・プティジャン

これに自信を持って解答できた人は何人いるのだろう(正解はイ.)。

ほかにも、明治5年に奈良県で初めて発刊された新聞(日新記聞)、番外札所となっている長谷寺の塔頭(法起院)、往馬大社の火祭りを仕切る役(ベンズリ)、天理市の三十八神社で1月13日に行われる伝統行事(鬼打ち)など、奇問すれすれの難問ばかりである。

今回、ソムリエを受験する人に「まぁ四択は、1級に毛の生えた程度ですよ」と助言していたソムリエがいたが、これはトンでもないことである。2級や1級と違い、ソムリエは原則として過去問からは出題しない方針なので、年々難しくなっているのだ。あとで受験する人ほど不利になるので、この方針はどこかで見直す必要に迫られそうである。

なお200字問題は、大和三山、正倉院宝物、唐招提寺の戒壇、東大寺お水取り、会津八一歌碑(以上から2つ選択)。400字問題は、金剛山寺(矢田寺 大和郡山市)、聖武天皇陵(奈良市)、吉野山(吉野町)、馬見丘陵公園(河合町・広陵町)、大神神社(桜井市)。大神神社は、巳年にちなんだのだろうか。

ソムリエを受験された皆さんの自己採点は、いかがだっただろう。ソムリエ合格者約200人で組織する「奈良まほろばソムリエ友の会」は、この3月にはNPOに昇格する予定であり、昇格後は様々なイベントなどを予定している。合格の暁には、ぜひご入会いただき、一緒に活動しましょう!
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奈良まほろばソムリエ検定2013(第7回)、奈良通1級の解答 私案

2013年01月17日 | 奈良検定
昨日(1/16)の2級に引き続き、今日は奈良通1級の解答(私案)を以下に書かせていただく。
※トップ画像は「筆まめ」Ver.8より

Ⅰ.ウ、ア、イ、ウ、エ、ウ、イ、イ、エ、ウ
Ⅱ.エ、イ、イ、エ、ア、ウ、ウ、イ、ウ、イ、ウ
Ⅲ.ア、イ、エ、ウ、エ、エ、ア、エ、ア、イ、ア
Ⅳ.ア、ウ、イ、エ、エ、ウ、エ、ア、ウ、ウ、イ、ア、ウ、エ、イ、イ、ウ、エ
Ⅴ.イ、エ、ウ、エ、ウ、ア、エ、ア、イ、イ
Ⅵ.イ、イ、ア、イ、エ、エ、ウ、エ、ア、ウ
Ⅶ.ア、イ、ア、ウ、ア、エ、イ、イ、ウ、エ
Ⅷ.ア、ア、イ、ア、ア、イ、ウ、エ、ウ、エ
Ⅸ.ア、ア、エ、ウ、ア、ウ、エ、イ、エ、ア

(1)では地図が示され、大和三山位置関係を問う問題が出題された。これは定番なので、たいていの受験者は正解できたことだろう。

(7)奈良県内で明治時代末、アメリカの海軍士官のトンプソンによって発見された生物はどれか。
   ア.オオカミ イ.オオダイガハラサンショウウオ ウ.オオヤマレンゲ エ.ヤマトタマムシ

これは難問だ。Facebookでも「トンプソンって何?」と話題になっていた。アは明らかに違うし、ウは全国区の植物なので除外できる。エは普通のタマムシ(玉虫厨子に使われている)のことだが、これを知らないと迷う。テキストの「大台ヶ原」のところに「幕末から明治中期にかけての探検家・松浦武四郎によって紹介されて一般に知られるようになった」という記述を思い出して、イを類推するしかない。(正解はイ.)

(67)大和路を題材にした次の俳句のうち、松尾芭蕉の作ではないのはどれか。
   ア.菊の香や 奈良には古き ほとけたち イ.碪(きぬた)打て 我にきかせよや 坊が妻
   ウ.大峯や 吉野の奥の 花の果 エ.猶みたし 花に明行 神の顔

これも難問だ。アは明らかに芭蕉の作。あとが分からない。「なんぼなんでも、芭蕉は大峯までは行ってないやろ」と山勘でウを答えれば正解、蕉門十哲の1人・曾良(そら)の句である(正解はウ.)。なおイは『野ざらし紀行』、エは『笈の小文』。

(100)今井町についての記述のうち、誤っているのはどれか。
   ア.独自の手形「今井札」を発行していた。イ.重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
   ウ.称念寺を中心とした寺内町である。エ.飛鳥川左岸に広がっている。

元日の「産経読者が選ぶ、私の好きな奈良ベスト20」にもランクインした橿原市今井町の問題だが、これは良くできた引っかけ問題だ。さっと読むと全て正解のように見える。しかし何度か読み返すと「あっ、今井札は藩札だから手形ではないぞ」と気づく(正解はア.)。なお手形発祥地とされるのは「吉野郡下市町」。今井町にあるのは「称念寺」、茶礼祖・村田珠光(じゅこう)が住していたのが「称名寺」(奈良市菖蒲池町)だ。ついでに覚えておこう。

その他、昨年の古事記1300年(記紀万葉プロジェクト)や、今年の天誅組蹶起150年、竹内街道・横大路1400年にちなんだ問題が出ていた。「天誅組終焉之地」碑の建つ「東吉野村」、雄略天皇や武烈天皇の宮跡にある「脇本遺跡」、御杖神社は「倭姫命」の杖を祀る、野見宿禰と当麻蹶速が相撲をとった旧跡カタヤケシ(相撲神社)のある「穴師坐兵主(ひょうず)神社」、稗田阿礼が誦述した『古事記』、横大路と下ツ道が交差する「八木札の辻」など。時事問題とまではいえないが、やはり注目ポイントである。

受験された皆さん、いかがでしたか?
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