tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

ナント・なら応援団に、聖林寺(桜井市)から感謝状!

2013年12月21日 | 奈良にこだわる
今日(12/21付)の奈良新聞に「ナント・なら応援団に感謝状 桜井・聖林寺で解説ボランティア」という記事が出ていた。

桜井市下の聖林寺(倉本明佳住職)は20日、南都銀行OBでつくるボランティアグループ「ナント・なら応援団」に感謝状を贈った。平成22年の平城遷都1300年祭に合わせて結成され、寺院の拝観案内などを行っている。国宝の十一面観音立像を安置する聖林寺では、今年10月12日から週末を中心に計19日間、解説ボランティアを行った。この日は9人が出席し、倉本住職が1人1人に感謝状を手渡した。


倉本住職から、感謝のお言葉をいただいた

これまで感謝状は、奈良県知事をはじめ、中宮寺、薬師寺、大安寺、壷阪寺、不空院からいただいており、メンバーの励みになっている。贈呈式には私も出席した。朝から雪がちらつく寒い日だったが、14人の「聖林寺チーム」中、9人が出席され、式の後は住職からお抹茶をいただきながら、歓談した。皆さん、この仕事に生きがいを感じておられる様子で、これはとても有り難いことである。


県の「祈りの回廊 秘宝・秘仏特別開帳」事業は、今後も継続される。「ナント・なら応援団」には新メンバーも加わり、47人の体制となった。皆さん、これからも「お・も・て・な・し」の心で、ガイドをよろしく!

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天誅組さきがけの道(冊子)と、維新のさきがけ天誅組(DVD)がリリース!

2013年12月20日 | 天誅組
天誅組決起150年の今年、天誅組を紹介する冊子『天誅組さきがけの道』500円と、ドラマ仕立てのDVD『維新のさきがけ天誅組』1,000円が制作・発行された。奈良新聞(12/19付)の《「天誅組」の志、伝えたい冊子とDVD制作 東吉野村記念事業実行委》によると、

文久3(1863)年に倒幕行動を起こし、明治維新のさきがけになったとされる「天誅組」の志を伝えようと、東吉野村天誅組150年記念事業実行委員会は、冊子とDVDを制作した。

冊子「天誅組さきがけの道」はB5判82ページ。嘉永6(1853)年のペリー来航以後の尊皇攘夷(じょうい)運動の高まりを解説。五條代官所を襲撃し、幕府軍に追われて東吉野村で壊滅するまで約40日間の天誅組の戦いをたどった。吉村寅太郎ら各地から集まった志士も紹介している。



この写真は奈良新聞(12/19付)から拝借、他は松風みあみさんのブログから

また、村内の言い伝えや、墓碑を建てるなどして志士の慰霊、顕彰を150年続けてきた村民の取り組みも語り継ぐ。天誅組研究家の阪本基義・村教育長(69)が執筆した。

編集では分かりやすさを重視。DVD「維新のさきがけ天誅組」は約30分で、ドラマ仕立てなど工夫した。実行委は「歴史に目を向けるきっかけになれば」としている。各1000部発行。冊子1部500円、DVD1枚1000円で販売している。問い合わせは同村役場、電話0746(42)0441。


これらは、11月16日(土)と17日(日)に開催された「まるごと東吉野フェスティバル」でお披露目されていたようである。天誅組ファンの松風みあみさんのブログに、DVDの内容が詳しく紹介されている。



東吉野で販売されはじめた、新しい天誅組のDVD「維新のさきがけ 天誅組」!!! まるごと東吉野フェスティバルで披露されてましたが、みあみはお店があったのでしっかり会場で見れなかった・・・。なので! お家でゆっくり視聴。実写とアニメーションを組み合わせたもので、東吉野の景色がいっぱい出てくる!



遠目からみると、奎堂がイケメンである。遠目からみると(強調)そして、みあみの奎堂並の視力をもってみたら、のイケメン(強調) しかし、奎堂の名前がでるたびに幸せ 天誅組の義挙の流れがわかりやすく進んでいく内容で、もちろん奎堂たち三総裁や決死隊の最期も紹介される。



なんとか涙をこらえてたものの・・・。エンドロールの時にみあみにとって旬の東吉野の全景と、なぜかそこに、みあみが今すんごいハマってる三国志の乙女ゲームと同じBGMが流れ・・・ 奎堂は諸葛孔明を尊敬していて・・・って「初雁と松本どん」に書いてあったのを見てから三国志にまでも手を出し始めていたみあみは、たまたまそのゲームを前日に攻略し終わってた時なので・・・・・・東吉野の風景の優しさと、天誅組と三国志のトリプルパンチに涙腺崩壊。


ふーむ、これは面白そうだ。早速、入手することにしたい。天誅組決起150年の2013年の最後を締めくくる冊子とDVD、皆さんも、ぜひお買い求め下さい!
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親愛幼稚園(奈良市・東向商店街)で恒例イベント、12月25日まで!(2013Topic)

2013年12月19日 | お知らせ
奈良の情報ブログ「鹿鳴人のつぶやき」に、奈良基督教会(親愛幼稚園)の年末恒例のイベントが紹介されていた。《夕方東向商店街の親愛幼稚園(奈良基督教会)では、14日から光のページェントとコンサートが始まっています。東向商店街も蛍光灯のLED化工事をされて明るくなっています》。奈良基督教会(親愛幼稚園)のHPには、
※トップ写真は、同ブログから拝借

ひがしむき光のページェント&チャペルコンサート
今年もひがしむき光のページェント&チャペルコンサートの季節がやってきました!
★イルミネーション:12月14日(土)~25日(水)17:00~21:00奈良基督教会(親愛幼稚園)正門内広場
★コンサート:12月14日(土)~21日(土)、23日(月)奈良基督教会礼拝堂
どなたでも気軽にお越しください。


親愛幼稚園は、東向商店街の三条通寄り(南都銀行本店の斜め向かい)の一等地にある。場所が良いので、たくさんの人が記念写真を撮ったりも、コンサートに足を運んだり…。

奈良にクリスマスの到来を告げる名物イベント。ぜひ、足をお運びください!
コメント (2)
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国内観光活性化フォーラム(第10回)行き無料バスツアー!(2014Topic)

2013年12月18日 | お知らせ
来年(2014年)2月11日(祝・火)、「国内観光活性化フォーラム in 和歌山」が開催される。このフォーラム(11:40~16:20)および隣接会場で開かれる「地旅博覧会in和歌山」を訪ねる「無料送迎バス」が運行される!バス代も、フォーラムや博覧会参加費もすべて無料なので、自分の昼食代だけの出費でまるごと1日、和歌山で観光を学べる、というスペシャルツアーである。

ツアーのパンフレットによると行きは、JR奈良駅(8:00)→天理駅(8:30)→近鉄大和八木駅(9:00)→会場着(10:30)。帰りは会場発(16:00)→近鉄大和八木駅(18:00)→天理駅(18:30)→JR奈良駅(19:00頃)。なお30人以上の団体の場合は、希望地にバスを配車してもらえる。お問い合わせは、奈良県旅行業協会(第10回 国内観光活性化フォーラム事務局)。電話0742-20-6430 FAX0742-26-2490 メール office@anta-nara.net 定員は150人で先着順。締め切りは、1/20(月)である。



では「第10回国内観光活性化フォーラムin和歌山」とは何か。全国旅行業協会のHPによると、

全国旅行業協会(ANTA)は、旅行業の推進を図るための事業として、全国各地の自治体や運輸・宿泊などの受入れ施設、観光関係団体等と旅行業者が連携して、その地域の魅力を活かした新たな旅行商品を造成して観光振興に熱意のある地元に共同で送客する、いわゆる「着地型旅行」を積極的に推進し、これらを通じて国内観光の活性化による地域の振興、観光立国推進に貢献するための事業を展開しています。



この事業の一環として、「第10回国内観光活性化フォーラムin和歌山」が、平成26年2月11日(祝・火)に和歌山ビッグウエーブにおいて開催されます。また、(株)全旅主催による日本の祭りを一堂に集めた「地旅博覧会in和歌山」が2月10日(月)~13日(木)に同時開催されます。

和歌山の豊かな自然や文化、歴史の魅力を存分に感じていただくとともに、熊野古道の世界遺産登録10周年の記念すべき年を迎える和歌山の観光素材の発掘に協力し、開催地和歌山の観光振興に当協会としても積極的に協力していきます。旅の感動を和歌山でお楽しみください。



第10回国内観光活性化フォーラムin和歌山」概要
テーマ:「観光振興と未来の創造!」
開催日時 平成26年2月11日(祝・火)11:40~16:20
開催場所 和歌山ビッグウエーブ(和歌山市手平2-1-1)

<内容>(予定)
オープニング【和歌山県観光紹介ビデオ】(11:40)
開会式(12:00)
主催者・来賓挨拶
記念講演 辻原 登 氏(芥川賞作家)
パネルディスカッション
 テーマ:「観光振興と未来の創造」
 パネリスト  二階 俊博(一般社団法人 全国旅行業協会 会長)、仁坂 吉伸氏(和歌山県知事)、久保 成人氏(観光庁長官)、菊間 潤吾氏(一般社団法人 日本旅行業協会 会長)、 張 西龍氏(中国国家観光局(東京)首席代表)、朴 三求氏(錦湖アシアナグループ 会長)、芹川 洋一氏(日本経済新聞社 論説委員長)、田中 理恵氏(ロンドンオリンピック女子体操日本代表)
 地旅大賞表彰
観光立国和歌山宣言
 閉会(16:20)


充実の内容で、私も申し込もうかと思っている。ぜひツアーに参加して、奈良観光活性化のヒントを見つけていただきたい。






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新島襄、明治初期の奈良旅行(産経新聞「なら再発見」第58回)

2013年12月16日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今回(12/14付)の見出しは「新島襄の奈良旅行 垣間見える明治初期の姿」、筆者はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の石田一雄さん(奈良市在住)である。新島の旅をたどることで、「明治の奈良」が浮かび上がる。では、全文を紹介する。



 NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の夫で、同志社英学校(同志社大学の前身)を設立した新島襄(じょう)が脚光を浴びている。彼の生涯初めての奈良旅行をたどり、明治初期の奈良を垣間みてみよう。
 彼は天保14(1843)年、江戸の神田にあった上州(じょうしゅう)安中(あんなか)藩江戸屋敷で生まれた。本名は七五三太(しめた)という。元治元(1864)年、函館港から密航でアメリカに渡り、ボストンで洗礼を受けた。名門アマースト大学を卒業し、アメリカ訪問中の岩倉使節団に通訳として同行した後、明治7(1874)年11月、海外伝道組織アメリカン・ボードの宣教師となって帰国した。
 翌年1月、大阪・川口の外国人居留地にあった同じ派遣宣教師のゴードン邸に仮住まいし、日本にキリスト教主義の学校を設立する運動を開始した。
 来阪中で、岩倉使節団で親交があった木戸孝允を訪ね、大阪での学校設立への尽力を依頼した。しかしキリスト教嫌いの大阪府権(ごん)知事・渡辺昇の賛同を得られず、大阪での学校設立を断念。失望して頭痛と不眠に悩む新島に、ゴードンは気晴らしに奈良、京都への旅を勧めた。


明治時代の人力車(トヨタ博物館提供)

 新島は明治8年4月1日、リュックとつえと傘を持って1人旅に出た。5日間の行程を英文日記「奈良、宇治、石山、京都行ノ記」に残している。
 1日目、暗越(くらがりごえ)奈良街道で奈良をめざした。午前8時大阪・川口のゴードン邸を出発し、徒歩で「フタツ神社(玉造稲荷(いなり)神社か)」へ。そこから人力車で暗峠登り口まで移動。徒歩で峠を越え、再び人力車で午後4時に奈良へ到着した。
 人力車は明治3年、東京で発明された。翌年、東京・日本橋で営業を開始すると全国に広まり、ピークの明治29年には全国で21万台に達したという。
 奈良公園での営業は明治5年に始まり、ピーク時の大正15年に397台となったが、自転車や自動車の普及で衰退した。
 当時の奈良は、慶応4(1868)年の神仏分離令の後で、興福寺が廃寺となるなど混乱の時期だった。日記にある新島の見聞を要約すると、以下の通りになる。
 興福寺を訪れて五重塔に登り、春日大社の本社と若宮に回る。本殿に4社があることに驚いて神職に聞くと、春日神は4神だとのこと。常夜灯の数は約2400もある。参道の両側に2、3の大きな囲いがあって、その中で神鹿を飼っている。ホテル「タバコヤ(所在地不明)」に宿泊する許可を得るために「屯所(たむろじょ)(交番か)」に行く。初めて五右衛門風呂に入る…。


明治時代の春日大社一之鳥居(放送大学付属図書館蔵)

 当時、東大寺大仏殿と回廊を会場に第1次奈良博覧会が開かれており、法隆寺や東大寺など各社寺の宝物類など千余点に加え、286件もの正倉院宝物が初めて一般に公開された。この博覧会は4月からの80日間に17万人が訪れ、大盛況だった。
 日記に東大寺訪問について直接の記述はないが、鎌倉時代に東大寺を復興した重源(ちょうげん)上人の笠などの博覧会出展品や、大仏の寸法のメモが残っているので、訪れたのは間違いない。
 奈良出発後は木津、宇治、石山、坂本、比叡山を経て、5日目に京都・三条大橋にたどり着く。
 新島は明治8年11月、京都で同志社英学校を設立したが、京都に足を踏み入れた第一歩がこの旅行だったことになる。
 ちなみに新島八重も後に奈良を訪れている。八重が55歳の明治33年10月27日、老舗旅館対山楼(たいざんろう)に宿泊したという記録が残る。現在、対山楼の跡地には、天平倶楽部という料理屋さんが建っている。
 明治時代の奈良をしのぶのも面白い。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)


新島は明治8年、初めて奈良と京都に足を踏み入れる。それは、大阪でキリスト教主義の学校が設立できなかったことの心の傷を癒すためだった。同年、京都に同志社英学校を設立するが、その契機となったのがこの旅行だったのだ。

新島が観覧したと思われる「第1次奈良博覧会」とは、山と渓谷社刊『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』によると

明治八年(一八七五)四月に「第一次奈良博覧会」(奈良博覧会社主催)が開かれ、八十日間で十七万人の入場者があり、しかも正倉院宝物がはじめて公開された。この博覧会は奈良で最初のもので、観光奈良を特徴づけるものであり、第十五次大会(同二十三年)まで開催された。奈良博覧会社には正倉院宝物類の模写・模造というもう一つの事業があり、これらの動きは、明治二十八年(一八九五)四月の帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)の開館に引継がれる。

八重が泊まった「対山楼」には正岡子規も泊まっている。跡地には「天平倶楽部」が建ち、広い敷地内には「子規の庭」が設けられている。

何とも心引かれる「明治の奈良散歩」である。石田さん、興味深いお話を、有難うございました!

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