船場吉兆が客の残したものを使いまわしたと非難されている。寄ってたかっていじめている印象を受ける。非難されるべきは、高級料亭の高価な料理を残す客だ。一切れ相当な金額の刺身だろうに、解せない。そこでもったいないと思う社長は感覚が庶民だ。良いではないか?
使いまわしたモノが好き嫌いではなく、単に不味いとしよう。客の残した不味いものを、後の客に使いまわして出すだろうか? それはないないだろう。客を二組失うことになるだろうから。であれば、おいしい料理を絶対の自信を持ってのもてなしだった筈だ。
客に対するもてなし方が悪かったのだろうか? ある意味では客への教育というのか、勧め方というのか、そのようなおいしく全部食べてもらえる雰囲気を作れなかった船場吉兆のせいなのだろうか?
NHKの朝ドラ『どんど晴れ』でも、日テレ系で今やっている『おせん』でもそうだが、事あるたびに「おもてなしの心」が説かれ、オモテナシだオモテナシだとうるさい位だ。わたしはおもてなしと聞くと『表無しで裏ばかり』とツッコミを入れる。
使いまわして病気がうつるとか、食中毒があったりするのだろうか? 船場吉兆だもの、そういう注意はおさおさ怠りないだろう。嘗め回して唾つけまくるような客はそもそも行かないだろうし、箸の付いたところは次に出すにしたって、ちょいとすすぐなり切り取るなりしていただろう。
それにしても、食後に下げたお皿は洗い場に直行するのではなく、調理場に一旦戻されていたわけか。料理人はじめ幹部が客の食べ具合を吟味していたのだろうか。反省したり研究したり勿体ないと思ったりしたのだろう。いや必ずチェックするものなのかな?
MOTTAINAIを世界へ広めようという運動がある。食料危機が噂され、小麦の値段が上り、大豆が不足し、もう例を挙げればきりがない。そこで高級料亭吉兆が密かにではあったがMOTTAINAI精神を発揮したのだ。非難しなくてもよいのではないか? わたしは何にも構わない。一度たりとも行ける可能性がないからでもあるけれど。
蛇足ながら、船場吉兆の料理を残した客は超一流なんだろうか? だとしたら同じモノを黙って食べたら一流で、喜んで食べたら二流、使いまわしでも感動して食べたら三流か?
そんなことはともかく、ここで船場吉兆は調理場を客のカウンターが囲んでいる格好の居酒屋に転身したら良いのではないか? 生き残れる道はそれしかない。庶民の所に下りてきて欲しい。一流の腕の料理人が肴を造る居酒屋に船場吉兆がなったなら、是非行ってみたい。
使いまわしたモノが好き嫌いではなく、単に不味いとしよう。客の残した不味いものを、後の客に使いまわして出すだろうか? それはないないだろう。客を二組失うことになるだろうから。であれば、おいしい料理を絶対の自信を持ってのもてなしだった筈だ。
客に対するもてなし方が悪かったのだろうか? ある意味では客への教育というのか、勧め方というのか、そのようなおいしく全部食べてもらえる雰囲気を作れなかった船場吉兆のせいなのだろうか?
NHKの朝ドラ『どんど晴れ』でも、日テレ系で今やっている『おせん』でもそうだが、事あるたびに「おもてなしの心」が説かれ、オモテナシだオモテナシだとうるさい位だ。わたしはおもてなしと聞くと『表無しで裏ばかり』とツッコミを入れる。
使いまわして病気がうつるとか、食中毒があったりするのだろうか? 船場吉兆だもの、そういう注意はおさおさ怠りないだろう。嘗め回して唾つけまくるような客はそもそも行かないだろうし、箸の付いたところは次に出すにしたって、ちょいとすすぐなり切り取るなりしていただろう。
それにしても、食後に下げたお皿は洗い場に直行するのではなく、調理場に一旦戻されていたわけか。料理人はじめ幹部が客の食べ具合を吟味していたのだろうか。反省したり研究したり勿体ないと思ったりしたのだろう。いや必ずチェックするものなのかな?
MOTTAINAIを世界へ広めようという運動がある。食料危機が噂され、小麦の値段が上り、大豆が不足し、もう例を挙げればきりがない。そこで高級料亭吉兆が密かにではあったがMOTTAINAI精神を発揮したのだ。非難しなくてもよいのではないか? わたしは何にも構わない。一度たりとも行ける可能性がないからでもあるけれど。
蛇足ながら、船場吉兆の料理を残した客は超一流なんだろうか? だとしたら同じモノを黙って食べたら一流で、喜んで食べたら二流、使いまわしでも感動して食べたら三流か?
そんなことはともかく、ここで船場吉兆は調理場を客のカウンターが囲んでいる格好の居酒屋に転身したら良いのではないか? 生き残れる道はそれしかない。庶民の所に下りてきて欲しい。一流の腕の料理人が肴を造る居酒屋に船場吉兆がなったなら、是非行ってみたい。