鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

料理を頂くということ

2008年05月09日 19時44分11秒 | 随筆或いはエッセイ
船場吉兆の使いまわし問題から色んな事を思い出した。テレビの料理番組のなかで、有名な中華の達人が味見をするとき、おたまから直接すすっていた。有名なレストランで調理場助手のアルバイトをした時にも同様の場面を見た。有名なファストフードのチェーン店に客としてカウンターに座っている時にも目の前で見たことがある。『すごいな!火傷しないんだろうか?』という話ではない。『客に出す料理を直にすすってる!』『やだな・・』と直感的に思った。

同様にテレビで行列のできるような何とかの店での厨房の様子で、汗だくになっている姿が映っていたり、素手で食材をかきまぜている場面でもしゃべったり汗かいたりしていたが、マスクをしているわけでもない。寿司屋は素手で握る。高級料理屋も素手で色んな食材を触って拵えて整えて客に出している。料理屋でもてなしを買うにしろ、よその家でご馳走になるにしろ、自宅で誰かに作ってもらうにしろ、ひとから料理を供されるということは、覚悟と了解が出来上がっていなければならない。

他人が運転する車に「どうぞ」と言われて乗る時には、命を預ける覚悟が必要だ。料理を頂くという事も同様なのだろうと思う。医食同源という漢方の言葉がある。元は薬食同源なのだそうだ。韓国ドラマの『チャングムの誓い』では食医という言葉が出てきた。

当然のように母親が作る料理を食べてきて、家庭を持てば今度はカミサンの料理を当たり前のように食べている。そんなことをすると御飯作ってもらえないよ!御飯作ってやらないよ!という脅し文句を何回か聞いたことがある。料理を作る人は、家庭においては一番偉い人であることは間違いない。

では男ではなく、なぜ女が料理を作ることが多いか、それを考えてみた。調理には包丁が必要だ。武器にもなりうる刃物を男に持たせるのは危険だからだ。男は刃物を持ったら、あらぬ妄想に耽ることもあり、料理以外の応用を考えたりするからだ。

フケ飯という言葉を聞いたことがある。太平洋戦争で志願して少年兵になったものの、殴られてばかりの訓練生活だけで敗戦を迎えた人から聞いた話だ。食事当番(?)が、殴ってばかりの理不尽な上官に食事を持って行くのを途中で呼び止めて、その食事の上で頭をかきむしってフケをふりかけるのだそうだ。その上官は戦場で後ろからの弾丸によって戦死したかも知れない。

何を書きたいのだろうと自分でも思う。私はどこに行こうとしているのか? そうだ。料理を頂くということだ。調理の途中で具材がちょっとこぼれても、3秒ルールでセーフ。私は本当に幸いな事に、好き嫌いがほとんどない。出されたものを残す事を恥と考えるしつけを受けている。今日もおいしく何でも頂きます。

コメント (3)
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