鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

車の運転とエゴ(エゴイズム,エゴセントリック)

2008年05月19日 17時54分48秒 | 個人的主張など
【交通標語のピカイチ『左小回り、右大回り』】の中で、我が物顔の横着運転も、それに腹を立てるのも同じくエゴということなのだろうと書いた。何だか説明不足の気がするので、思うところを書いてみたい。

なぜ我が物顔の横着運転に腹を立てるのもエゴセントリック(利己的な、自己中心の人)か。それは車があるべき姿を自分の中で想定していて、自分の思惑から外れた車(運転手含む)に対して腹を立てるということだからだ。

車はものすごく恐ろしい道具であるにもかかわらず、安全装置が全く装備されないまま走り回っている。そのことを十分認識できていないということでもあるからだ。車の事故が何故起きるかを安全装置から考えてみよう。

居眠り運転事故:居眠り感知警告装置が装備されていない。
よそ見運転事故:運転手の目が前方を見ていないことを警告する安全装置が付いていない。
ドライバー気絶による事故:よそ見警告後に緊急急停車するような装置がない。
スピード出しすぎ事故:スピード制限表示と車とが反応する装置が創られていない。
車同士事故:車を認識し、相手のスピードを察知して自動制御する装置が付いていない。
対人事故:人が当ったと同時に人をはね飛ばさずに抱きとめるような装置ができていない。
車自体の不具合事故:足回り(タイヤ脱落防止)などの自己点検センサー装置がない。

よくもまぁ安全装置を研究開発しないままで来たものだなぁ、と多くの人が思っているのではないだろうか?なぜ世界のどこかで上記の装置がどんどん開発されて一般化する動きなどが起きないのだろう。研究はされているのだろうが、それを開発普及させる行政監督能力がないのだろう。

世界中でどれだけの人が交通事故で毎年死んだり怪我したりの大損害を受けていることか。戦争被害どころではないだろう。大損害のはずだが、車を性能よく作って便利さを売る方に世界はまだ夢中なのだろう。利害がそちらにしか向いていないということだ。

安全装置の無い無い尽くしで車は走っているのだ。しかも「ハンドルを握ると人格が変わる」と言われるように、運転席に座ると何故か全能感のようなものを感じてしまう人が多い。車を信用してはいけない。車はみな凶器であり狂気をはらんでいるとみておいた方が良い。

スピードも思いのままに出せる。一つ間違えばどんな自己だって演出できる。どんな自己と書いた。これは実は事故の変換間違いなのだが、事故をも演出できる自己とも言える。一台一台の車はそんな状態で走っているということを皆がきちんと認識すべきだ。

以上から言える結論。
今の世のなかで生き抜くためには、車に腹を立ててはいけない。
制御装置のない凶器である車を上手によけて自分を守らなければならない。

コメント (2)
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