鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

殺すにしては綺麗すぎ

2018年01月20日 00時00分00秒 | 懐疑・猜疑・疑義


子どもの頃から、文字を書くのが下手で、かなりの劣等感を持ち続けてきた。
少しは上手くなりたいとは思うこともあった。
でも、手先を動かしながらもその細かい動作に注意を払うことができずに、いつも先のことや他のことを考えて手先手元がおろそかになる。
自分は集中力がなく、何をやってもじつは器用でないということを他人にさとられないようにさりげなく隠し、すべてごまかしてきた。
他人よりゆっくりやっても良いのだということを自分に言い聞かせながら物事に取り組むと、割合なんでもそこそこやってやれないことはないという事に気付いたのはいつの頃だったか。
それでも、やることが早くてしかも美しくこなす器用な天才はどの分野にもいて感嘆したり自分にがっかりすることも多かった。

最近、どのように書くと文字が綺麗に見えるかという指導をする場面がバラエティ番組内でやられてるのを2回ほど見た。
シャッターの落書き「殺す」はその教え通りで、とっても上手だ。
書く文字は、その人の『ひととなり』を表すというようなことがよく言われる。
これを書いた人は、どういう人なのだろう。
たどたどしく下手な字だったり、乱暴な殴り書きだったりすると、それなりの迫力とおぞましさがあるだろうけれど、これは文字がその意を伝えていない。
美しい字だから、消されることもなく残っているのだろうか。
このシャッターの内側に住んでいる人はいるのだろうか。
持ち主とこれを書いた人間との関係はどのようなものか。
他人事(ひとごと)だから、そんな興味を持ってしまう。
人目を避けて殴り書きの走り書きの落書きにして、この美文字。
こんなことを書いてどうなるのかと思ったり、溜息ついたり、呆れたり・・。
コメント (6)
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