鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

石垣島6日目

2024年02月12日 12時04分44秒 | 養蜂
















最終日は十分に早朝徘徊をしようと思ったのに、石垣の朝はなかなか明るくならず、パソコンに向かっているうちに遅くなり7時になってから、泊めてもらった石垣人の家を出た。
ピーチ航空の出発が10:45で『9時には出るよ』と言ってもらっているからには、1時間ほどで帰らなければならない。
ヒトの車に乗せてもらうとなかなか覚えられない位置関係を、1人で歩いてあれこれ再確認するために、先ずは海を目指した。
ほぼ碁盤目状にはなっているけれど、北だと言われた方向の実際は北北東から北東くらいだ。
海側はわずかに下りになっているようだから、それで判断するのがよさそうで、八重山農林高校に行ったときは上り坂だった。
本土復帰後に車の通行が右から左に変更された日の730記念碑交差点を抜けて港に着き、西表島行きの時に見た具志堅用高の万歳した銅像も見て、岸壁の端まで行く。
さすが亜熱帯という海の青さが港湾内でも美しく、覗き込むと縞々の蝶々風熱帯魚が透けて見え、ゴミも油も浮いていない。
港を離れて大きな赤瓦の立派な建物まで行ってみると、石垣人がいつも本を借りているのはここに違いない、市立図書館だった。
新栄公園の『石垣市核廃絶平和都市宣言』と『石垣市非核平和都市宣言』の石碑を撮り、解体中の旧市庁舎の伐られるかも知れないガジュマルの樹を撮った。
帰り道でようやく陽が差してきて、もう一日あったなら夜空の星が観られたかも知れないのに、誰のせいでもないけれど間の悪いことだ。
立ち止まりがちのぶらぶら散歩は5000歩足らずだったけれど、ようやく東西南北が分かりかけた感じになって帰った。
おにぎりを買いたかったのに果たせず、どん兵衛小カップのそばを食べさせてもらってから9時前に出発。
空港に着いたら、WとKを送った時と同様に、さびしくなるからと、タクシーを降りたようにして別れた。
関空から来る時には並ぶのが遅かったから通路側の席だったのではないかと考え、今度は時間前から並んで手続きをする。
首尾よく4Fという席になり、窓際から石垣島の環礁を観て、太陽は雲を突き抜けてからようやく見ることができて、地球は丸いということもうっすら分かった。
慌ただしかったようなゆったりとしたようなあっさりだったような、『あと1、2回来ることもあるだろうな、きっと来よう・・』と決めた石垣島だった。
コメント (2)
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