両方とも、決して自分で買うことも買おうとも思うことのない果物。
私への病気見舞いではなく、作ったカボチャとジャガイモを親戚に持っていったら、代わりにくれたのがこれ。
何年かに一度という数え方より、今まで何回食べたことがあると数えた方がはやいくらいかも知れない。
でも、いざ食べてみると、美味しくはあるけれど、今までのどの機会のものより味が落ちる気がした。
異常気象のせいだろうか、熟すまで飾っておくべきだったのだろうか、値段だろうか。
ありがたそうな包装はちゃんとしてあるし、頂き物にケチをつけてはいけないけれど、このブログの存在を知らない人なので、まぁいっか。
知られても別にどうということもなく、何かのついでに味を聞かれたら、正直に言ってしまう関係だから。
絵心があれば、『静物』として水彩画を描いたり、絵手紙で礼状を描いたりするのもいいだろうな、などと想わないわけではない。
じつは私は味覚が正常ではない。
新型コロナウィルスに感染して発症すると、においがしなくなったり味覚が変になったりするらしいけれど、私の場合は放射性ヨード治療の副作用。
舌先をヤケドしたような感じがずっと続いていて、美味しかったものが美味しくなく、塩味があまり感じられなくて、ほとんどが薄味に感じる。
病院で出される食事でさえ美味しくて完食していた私が、過日の4泊5日の病院食には閉口した。
いずれ治るそうだけれど、一時より納豆の味は戻ってきて、美味しく感じられるのが嬉しい。
美味しいと分かることかも知れませんね。
健康な人に健康を語る資格はない。
なんてことも言えるのかも知れません。
失って初めて気づく迂闊な人生を味わっております。
健康は全ての始まりです。
すてい・やんぐ。