路上観察 松本市内にて
■ 青木淳(*1)は最近の雑誌(建築技術 10月号)に青森県立美術館について「コンペ時におけるプロジェクトの発想」と題する小論を寄せている。
その中で**現在の美術館展示室の主流はホワイトキューブである。白い長方形の部屋。均質な光。サイズとプロポーションだけに還元された四角い部屋。世界中にホワイトキューブの展示室が広まっているし、多くの美術作家もまたそれを望んでいる。**と指摘している。このような「抽象的な建築」は美術館だけにとどまらず、最近のあらゆる用途の建築の特徴のようにも思われる。青木はこのあとに**しかし私たちは、青森にあってここでなければできない空間をもつことも、同じくらいに重要だと考えた。**と続け、敢えてそういう建築にはしなかったと書いている。
*1 青森県立美術館の設計者
塩尻市の「市民交流センター」の一次審査に残った5作品のプレゼンテーションボードに描かれた建築はどれもこの特徴を備えている。そこに描かれているパース(完成予想図)からは、実体としての建築がイメージしにくい。点景として描かれている人間も抽象的な形をしている(以前5作品を紹介しているサイトのアドレスを載せたので確かめて欲しい)。(09/21のブログ)
先日松本市内で見かけたショーウィンドウのディスプレイを見てふと思った。最近パースに描かれる抽象的な人間と同じではないか、と。
抽象的な空間には抽象的な人間が似つかわしいということなのだろうか。生身でない、無機的で抽象的な人間、実社会でも人をそのように捉えてしまう傾向があるのかも知れない。そしてそのことと最近の理解不能な悲惨な事件とも或いは関係があるのかも知れない。