春を感じた日、勤務先の窓から常念を望む (070222)
● ああ、春になったなと感じる日がある。今日がまさにその日だった。昨年のダイアリーを見ると3月8日に「春を感じた日」と記録してある。
さて今回は・・・
先日とり上げた『建築家という生き方』で槇さんは「モダニズムの造形言語の洗練を追及し続けてきた人だ」という評価があるが、自身ではどう受けとめるか、という質問に **抽象的な図形を基盤としながらどれだけ豊かな空間を生み出せるか、絶えずチャレンジしていきたい。抽象というのはユニバーサルなものだけれども、どう使うかで、時代や場所の特異性をも表現できるんです。(中略)抽象言語によって新しい時代の精神とか、地域やプログラムの持つ特異性を表現できるし、人々の共感を生むような空間がつくれると確信しています。** と答えている。
槇さんはこれからも単純な幾何学的形態による建築表現を追及し続けることだろう。槇さんと同じくモダニストの谷口吉生さんも同様だろう。
それに対して伊東豊雄さんは単純な幾何学から離脱してしまって、「うねうね建築」を追及し出した。このことについては既に何回か書いたので繰り返さない。黒川さんは、単純な幾何学と柔らかな幾何学を共生させる試みをこれからも続けるだろうと思っていたのだが・・・、「都知事選に立候補」だって?
磯崎さんもどうやら伊東さんと同様、単純な幾何学からの離脱を目論んでいるようだ。 繰り返しの美学は単純な幾何学による建築に頻出する。それは感性を磨かなくても知覚できる美学。
伊東さんや磯崎さんが目指すうねうね建築の美学、それは感性を磨かないと知覚できない美学。この続きはまたいつか、ということにして今回はこの辺で。