透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

駅前商店街は美しいか?

2007-02-25 | A あれこれ



 この本の著者中島義道さんは、商店街(別に商店街に限ったことではないが)のコンクリートの電柱や「黒々と幾重にも絡み合いもつれ合って」延びる電線、広告が醜い!と最も感じている方なのかもしれない。

そして商店街(これも商店街に限らないが)のスピーカーから流れる「音」をうるさい!と最も感じている方なのかもしれない(『うるさい日本の私』)。そんな著者が書いた「日本人の美意識」論とでも紹介したらいいだろうか。

美に敏感な日本人が商店街の電柱を、電線を、巨大な広告を受け入れてしまうのは何故なのか、醜悪で無秩序な街に寛容なのは何故なのか・・・。

日本人に限らずアジア人は混沌とした状態が好きなのだ、という指摘がある。都市の姿はその意識の反映ということだが、なるほどと思う反面、説得力に乏しいとも思う。

著者は多田道太郎の「日本の盛り場の原型は縁日だ」という指摘を紹介して、更にこう書く。**裸電球が揺れる縁日の光景は、横町の赤提灯の光景に連なり、それが自然なかたちで(この部分を著者は強調している)下北沢に、吉祥寺に、渋谷センター街に成長して行く。(中略)村祭りを懐かしむ感受性がそのまま、歌舞伎町や六本木を受け入れる感受性に繋がっている。**

慧眼! 

また、日本人は襖の向こうの声は聞かなかったことにするという暗黙の了解があるという指摘(『「しきり」の文化論』柏木博/講談社現代新書)を踏まえて商店街の電線を「見ない」という「心のもちよう」もとり上げている。

著者は電気通信大学の人間コミュニケーション学科の教授。建築や都市計画の専門家ではないので、テーマに対する独自のアプローチが興味深かった。本書は5章から成るが商店街、更に都市の景観については2章しか割いていないのが残念ではあった。

ある写真家の写真集に書いた磯崎新のあとがきに対して **「おいおい、寝言をほざくなよ」と言いたい** と手厳しい。「やかましい」ジイサンぶりはこの本にも出てくる。なかなか面白い本で、一気に読了した。

『うるさい日本の私』を刊行したとき、「うるさい」は「日本」と「私」のどっちにかかるのかと多くの人に面白半分に尋ねられたそうだが、「両方にかかるんです」と答えてきたという。今回のタイトルの「醜い」も両方にかかる、と著者は書いている。


 


民家  遠い昔の記録

2007-02-25 | A あれこれ

 ①
● カブト造りの民家 東京都檜原村 (197811)
 ②

 久しぶりに民家 遠い昔の記録です。

ここは東京! 西多摩郡檜原村数馬、山梨県と堺を接する緑豊かな山村。人口約3千人という小さな村です。私がこの村を訪れたのは1978年11月のことでした。既に合併したに違いない、そう思って調べてみるとまだ村として健在でした。東京都の数少ない村のひとつですね(って他には村は確か伊豆七島の各島のみ、だったと思います)。

多摩川の源流の山間部に位置する檜原村には、①の写真の左側手前に写っているカブト造りと呼ばれる民家がありました(過去形でいいのかな、民宿などとして現存している民家もあるかもしれませんね)。

それにしても風景によく馴染んでいますね、電柱が邪魔ですが。このような風景の多くが既に失われ記憶や記録のなかに辛うじて在るのみ、というのは寂しいかぎりです。

手元にある参考図書によるとカブト造りの民家はかつては山梨県下富士五湖周辺などにも点在していたようです。富士山を背景とする忍野村の民家は写真や絵の対象として好まれたようで、私もよく目にしました。


●「春陽富士」 山梨県忍野村忍草
  民家を描いて四十年の集大成 向井潤吉展 の図録より 

②の写真の民家、入母屋造りで破風(△の部分)が大きくなったものと考えるのか、切妻に庇をつけたものと考えるのか、判断に迷いますが、入母屋造りの変形、その原形は寄棟造りであろうと私は思います。関東地方に限らず全国的に寄棟の民家が多いですから。尤も塩山あたりには櫓造りという切妻の民家(写真③)もありますからその影響を受けているとすると・・・

 ③
● 棟の一部を突き上げた民家 塩山市(197910)


参考文献
『地域と民家 日本とその周辺』杉本尚次/明玄書房
『民家巡礼 東日本篇』溝口歌子・小林昌人/相模書房