透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

古今「東西」再考

2010-01-04 | A あれこれ

 年越し本『神社霊場 ルーツをめぐる』武澤秀一/光文社新書を読み終えました。

昨年末、なぜか古今「東西」について考えることになりました。南北ではなく東西なのは何故か・・・。

東から昇り、西に沈む太陽の動き。太陽の動きが補助線となって東西方向に引き伸ばされた地理観、地勢観が生まれた・・・。などと考えてみました。

「あの卑弥呼という名前だって、日の方を向く、ヒムカを転じてヒミコとしたのではないか・・・。この説を唱えていたのは誰だったろう。松本清張の作品に出てきたのかな・・・『古代史疑』?『Dの複合』? 遠いかなたの記憶を思い出すことができない。それともぼくの珍説?」

『神社霊場 ルーツをめぐる』、日本の霊場21箇所をめぐり、建築家らしい視点で空間分析を試みています。著者撮影のカラー写真が何点も掲載されているのもうれしいです。で、この本にも同様のことに言及する箇所がありました。やはりあることを考えだすと、不思議なことにそのことに関連する情報が入ってきます。

以下同書の春日大社(奈良県)の章からの引用です。**東は朝日が昇る方角でもあり、日本では古来、この方位が尊重されてきた。(中略)春日大社の社殿は御神体のある方向、そして古来尊重されてきた東の方角を置き去りにして、強引に南向きに変えられているのである。**

古来から「東志向」の日本でなぜ南に向きが変えられたのでしょう・・・。

**仏教はインドで生まれたが、伽藍が南に向くよう、とくに強調されていたわけではなかった。ところが、中国に入るや、伽藍はおしなべて南を向くようになる。それは仏教のコスモロジーというより、中国古来の伝統的方位観によるものだったが、日本ではこれが大原則として踏襲されたのだった。**と分かりやすく指摘しています。

さらに続けて**そして影響は伽藍にとどまらず、藤原京や平城京などの都市計画にも及んだ。**と書いています。これらの都市は南北を基軸として計画されたんですが、それが中国に倣ったということは、中学の教科書に出てきました。

**平城京という新しい都市秩序が神社にも及んだとき、古来の伝統はあっけなく覆された。春日大社はその顕著な例である。** 

その先、若宮神社について**若宮神社は、南面する本社本殿と大きく角度を変え、東にある御蓋山を背にしている。(中略)南面する本殿を拝むという大陸方式にどうしても馴染めなかったのかもしれない。**

論考をまとめて**東方重視を復活させた若宮神社のありかたは、社殿を南面させるべしという大陸の影響を払拭し、日本固有の神まつりを取りもどそうとする営みであった。**

古今「東西」もなかなかいいところまで来ました。それにしても著者の空間分析、鋭くそして明快ですね。

昨年の最終稿にひらりんさん(コメントありがとうございました)から、京都では南北に伸びる地下鉄烏丸線が東西線より先にできました、とコメントをしていただきましたが、その理由が分かります。

京都は中国に倣って造られた平安京を下敷きに計画された都市ですから、南北軸に沿って展開しています。中国の伝統的方位観の影響。で、地下鉄もその基軸に載せることになったのです。地下鉄は主要道路の下を通しますし。これは眉唾な珍説ではないと思いますが。中国に北京と南京という都市があるのもなんとなくわかるような気がします。南北軸を設定して国土全体を眺めた結果ではないかと。いや、これは違いますね。

昨年末、東京で東西線が南北線よりかなり前にできたのにはワケがある、と書きました。確かに理由がありそうだ・・・。本稿でそう思っていただければうれしいのですが・・・。


「日本辺境論」読書メモ

2010-01-04 | A 読書日記

 日本ほど自国の文化論が書かれ、読まれている国は他にない、とよく指摘される。私も日本人論、日本文化論が好きだ。2007年に読んだ『「縮み」志向の日本人』李 御寧/講談社学術文庫はなかなか興味深いものだった。



2日、長野へは高速バスで出かけた。車内で読もうと思っていた年越し本『神社霊場 ルーツをめぐる』武澤秀一/光文社新書を忘れてしまったので、長野駅前の書店で『日本辺境論』内田 樹/新潮新書を買い求めた。



読書空間としては電車が最適だが、バスの中もなかなかいい。揺れる車内でも平気。帰りの車内で読み始めたが、面白くて今日、箱根駅伝を気にしながら一気に読み終えた。

川上未映子の『ヘヴン』、『食堂かたつむり』が話題になった小川糸の『ファミリーツリー』も読みたいと思ってはいるが、先送りすることにした。

さて、『日本辺境論』。

「はじめに」で著者は**「辺境性」という補助線を引くことで日本文化の特殊性を際立たせること**だと本書の目論みを書いている。この本での論考の結論部分として、**私たちは華夷秩序の中の「中心と辺境」「外来と土着」「先進と未開」「世界標準とローカル・ルール」という空間的な遠近、開化の遅速の対立を軸にして、「現実の世界を組織化し、日本人にとって現実を存在させ、その中に日本人が自らを再び見出すように」してきた。**という辺りを私は挙げる。

もう何年前のことになるだろうか、『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説がベストセラーになった。が、内田さんの指摘によると、日本人は世界の中心に自らを位置付けることはしない。

**はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまず確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自分都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか**

面従腹背などというしたたかなことが例えば外交の舞台で日本が出来ているのかどうか私には分からないが著者はこのように指摘している。

世界標準の制定能力など無く、世界標準準拠主義だとも。要するに世界の先頭を切るのではなく二番手で良しとする日本人。

「(華夷秩序に於ける)中華の辺境民」でOKだと自ら認めているからこそ*1「漢」字と自国で工夫したかなを併用して平気なのだと指摘されれば、なるほどな、と思う。かつて朝鮮半島でもハングルと漢字が併用されていたが、今でもハイブリッド状態を維持しているのは日本だけ。

更に漢字を脳内の図像対応部位で、かなを音声対応部位で処理しているという養老猛司さんの指摘を受けて、このように処理している日本人の脳がマンガを育んだ、と指摘している。

漢字を処理する部位がマンガの絵を、かなを処理する部位がふきだしを受け持っている、というのだ。この指摘もなるほど!だ。

どうも論理の流れ、理路が整然としないが(なにせ例によって理路など考えずに書き始めているから)、本書は「たまたま、中国大陸の東、辺境に日本が位置してる、という地理的条件が日本人の思考や行動パターンを規定しているのだという論考」、だと私なりの理解をまとめておく。

こう書いて、昨年再読した和辻哲郎の『風土』について「風土が文化を規定する」、とまとめたことを思い出した。



*1日本という国名からして日ノ本、日出づる処、つまり中国から見て東にある国、辺境にある国だと認めている。

『日本辺境論』についてはもう少し理路整然とまとめておかないといけないが、とりあえず読書メモということで載せておく。